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nightmare 4

 行っちゃいけない。そう本能が告げている。だってさっきから新井田さんが言ってること、なんか変だ。俺は悪夢に引き摺られた気分を変えたかっただけで、誰かに慰めて貰いたかった訳じゃないし、紫音の代わりを探していた訳でもない。 「あの、俺、大丈夫です」  両手を顔の前で振る。控え目ながらも身を引いて、俺なりに精一杯断りを入れたつもりだったのに。 「何言ってるんだ、来なさい。遠慮しないで」  洞察力に優れてると思ってた新井田さんが突然鈍感になった。悪気のない顔でニコニコ笑いながら、俺の手を掴んだ。 「いえ、遠慮とかじゃなくて……!」  その手をグイグイ引っ張ってくるから、ちょっと本気で焦った。引っ張られて前傾姿勢になりながらも、ソファから離れまいと踏ん張る。 「なあ春、いい話教えてあげよっか」  新井田さんの何か企む様な目付きが怖い。力技は諦めたのか引っ張ることはしなくなったけど、それでもまだ掴んだ手は離してくれてない。 「新発売のジュースのCMしてる男の子、分かる?最近よくテレビに出てるんだけど」 「柚季の事ですか……?」  テレビの話には疎い。特に最近出てきた人なんて、柚季以外殆ど知らない。今の俺にとって知らない顔が多すぎてとても覚えきれないのだ。 「ゆうき?ああ、秋良柚季のことか。彼も可愛いけど、ちょっとやんちゃ過ぎて手に負えなそうなんだよなぁ。俺が言ってるのは違う子。ほら、あの薄いオレンジジュースのCMの。分かんない?分かんないかぁ。ともかく、その子長年売れないモデルだったんだよ。芸能の仕事では食べていけないレベルだったんだけど。それがいきなりのブレイク。何でだか分かる?」  当然業界人じゃないし、一般の人の中でも特に疎い俺にそんなの分かる筈ない。首を横に振ると、新井田さんの企み顔が濃くなった。 「正解は、俺と寝てるから」 「ね、寝てる……?」 「え、分かるでしょ?セックスしてるってこと」  何となーくそんな雰囲気をずっと感じ取ってはいた。けど、ど直球で言われると結構衝撃だ。さっきから俺を部屋に誘っているのはつまりそういう事だった……?俺、新井田さんにそういう目で見られてんのか……。 「俺ね、自慢じゃないけど色んな方面に顔が利くんだよ。だから、有名になりたい。売れたい。そんな願いも簡単に叶えられるって訳。春はどうなりたい?もっと試合に出たい?それとも紫音より目立ちたい?何でも言って。叶えてあげる」 「い、いいです。俺は何も望みなんて、」 「いいかい、春。よく考えるんだ。俺の御眼鏡に適ったってことは、将来が約束されたってのとほぼイコールなんだよ。昨日連れてた子だって、今は三流だけど、あと数ヵ月もすれば大ブレイクする筈さ。なぜかは分かるだろ?俺に気に入られて、俺のイロになったからだ。世の中っていうのは、そんな風に出来てるんだよ。長いものに巻かれて、上手に世渡りしてきた子だけが勝者になれるんだ。悪い話じゃないだろ?寂しい身体を慰めて貰って、成功まで約束されるんだから。気持ちよくなって勝者になる。まさに一石二鳥だと思わない?」  怖いくらいの圧力を感じる。けど、俺は有名になりたい気持ちも、勝者になりたい気持ちもない。当然、その代償として新井田さんといかがわしい事をしたいとも思ってない。  新井田さんは俺を説き伏せようと必死だけど、どう考えても俺にとってメリットなんてひとつもない。もうやんわりとか控え目にとか考えなくていいか。目上の人、しかも大事なスポンサーである人に対して失礼かもしれないけど、俺が曖昧に見えるせいで新井田さんが説得という手段を取っているんだとしたら、これ以上無駄骨を折らせるのは偲びない。 「ごめんなさい、お誘いはお断りします」 「春、あのね。答えが早すぎるんだよ。ちゃんと考えた?俺の言ってる意味伝わってる?」  新井田さんは溜め息混じりに「呆れた」とでも言いたげだ。俺ってそんなに何も考えてない間抜けに見えるんだろうか。 「ちゃんと理解してます。その上で全く共感できないのでお断りしているんです」  もう一度きっぱり言うと、新井田さんが漸く手を離してくれた。ただし、はぁーと一際大きな溜め息をつきながら。 「春。分かってないよ。お前は何にも分かってないんだ」  また、向かいのソファに腰掛け直した新井田さんが、胸ポケットから気だるそうに煙草を取り出して口にくわえた。 「火」 「持ってません」  即答すると、新井田さんがふんと鼻で笑った。 「そうだよなぁ。スポーツマンだもんな」  バカにする様な言い方に悪意を感じる。そう思っていたら、自分で煙草に火をつけた新井田さんが、吸い込んだ煙を思いっきり俺に向かって吐き出してきた。なるべく吸い込まない様に顔を背けたけど、それでも煙い。凄く、嫌だ。 「自分がスポーツマンやって金が稼げてるのは誰のお陰だと思ってるの?」  腕を組んでふんぞり返って、新井田さんはさっきまでとは別人みたいに尊大だ。 「応援してくれるファンがいるから、とか甘っちょろい事言うつもりじゃないだろうな?」 「違いますか?」 「違うね」  また煙を吹いてくる。 「俺がいるからだよ。集客やグッズ販売の利益だけでチームの運営が賄えると思う?お前らに賃金が出せると思うか?サンフィールズは確かに人気がある。けど、それでも、例え毎試合満員でも、それだけじゃお前らはやっていけない。俺みたいなスポンサーがいるから経営が成り立ってんだ。お前は俺のお陰で飯が食えてるんだよ、春。好きなことやって金を稼ぐってのは、楽じゃないねえ」 「そう、かもしれません。けど、俺たちの活動はアウルムの宣伝になっていますよね。そういう意味で新井田さんにもそれなりにメリットがあるからチームをサポートしてくれているんじゃないですか?」 「ああその通りだよ。俺たちはギブアンドテイクで成り立ってる。だから、だからだよ春。俺は春に誠意を見せて欲しいって言ってるんだ」 「誠意……」 「これまで通りチームを支援して貰いたいだろう?これまで通りバスケットをして食っていきたいんだろう?その為にやるべきことは何か。誠意の意味、分かるだろう?」 「…………それは、俺を脅してるんですか?」  新井田さんが外国人みたいに大袈裟なジェスチャーで肩を上げた。 「脅してるなんて、人聞きの悪いこと言わないでくれ。さっきから言ってるだろう?誠意だよ、誠意。俺は誠意には誠意で返す男だ。春が一肌脱いでくれたら、俺はその誠意に報いてそれ以上の見返りを春に与えるよ。悪い話じゃないんだ。覚悟を決めて大人しく俺に身を委ねるといい」  なんてわざとらしい。何が誠意だ。耳障りのいい言葉を使っているだけで、これは立派な脅迫じゃないか。

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