「ハル先輩、もしかして、中学の頃から俺の事……？」 　両想いと分かって以降、紫音は俺を質問攻めにした。聞きたいことが山ほどあるのは俺の方も同じなんだけど……。 「中学の頃は、そういう気持ちはなかったよ。大人になってから……多分、記憶に影響されたんだと思う。俺はずっと紫音が好きだったんだろうなって確信がなんとなくあったから」 「記憶、戻ってなくてもそういうの分かるんだ」 「バスケと同じようなもんかな？」 「バスケ？」 「バスケもさ、記憶はなくても身体が覚えてるって言うか。それと同じで、紫音の事も感情で覚えてたのかなって」 　言うと、紫音が両手で顔を覆って天を仰いだ。掌の隙間から、はぁーっと大きな溜め息。どうしたのだろうと思っていたら両手が外れて、そこには泣いてる様にも笑ってる様にも見えるくらいくしゃくしゃの紫音の顔があった。 「嬉しいです。俺の事、そんな風に想って貰えて」 「俺の方こそ。今もだけど、紫音は俺の事ずっと支えてくれてたんだなって……」 　ふふっと、紫音が照れ臭そうに笑う。　 「俺、ハル先輩の事大好きだからね」 　さらっと告げられた明け透けな紫音の言葉に頬がカーっとなる。今度は俺が顔を覆ってあたふたする番だ。 「俺はね、中学の頃は既にハル先輩の事好きだったんですよ」　 「え……そうだったのか？」 　紫音が続けた言葉に、頬の熱さを忘れるくらい驚いた。　 「けどそんな素振り全然……」 「ハル先輩、鈍感だから」 「そんなことない」 「その、ちょっとムッとした顔も可愛いです」 「からかうな」 　えへへと笑う紫音は浮かれてて幸せそうだ。 「中学の頃からすっごく好きだったけど、あの頃は俺なりに頑張って隠してたんです」 「……同性だから……？」 「それも多少はあるけど、それよりも柏木先輩の事があったから」 「柏木先輩の事……？」 　頷いた紫音が、さっきとは打って変わって苦い顔をした。 　どうしてだろう。俺も何だかもやもやする。柏木先輩との間に、こんな感情になる様な記憶はないのに……。そう言えば、退院して間もない頃にも一度、柏木先輩との記憶で引っ掛かりを感じた事があったな……。 「柏木先輩が、何だっけ……？」 　恐る恐る、探りを入れてみる。 「……中2の文化祭の日の事ですよ」 「中2の、文化祭……」 「模擬店見回った後、中庭でさ……」 「中庭……」 　オウム返しばかりの俺に、紫音は痺れを切らしたらしい。 「ハル先輩が柏木先輩に告白された時の事ですよ！」 　けど、はっきりそう言ってから、やっぱり口に出したくなかったって顔をした。 「告白……」 　そんな記憶は、俺の頭の中にはない。けど、あの日の中庭での出来事は途切れ途切れでしか思い出せないという自覚もある。抜け落ちた記憶の中に、紫音の言う様なエピソードが含まれているのだろうか……。 「そのあとハル先輩泣いてて……。男に好意を持たれるのがトラウマだって俺に言ったから────」 　話を聞いていたら、急に紫音の声が遠くなった。途端、唐突にうわーっと波のように記憶が押し寄せてきた。 「思い出した……」 　───抜け落ちていた記憶。柏木先輩との事。それに、もっと昔の事も。小学生の時の親友との事。学校帰りに変質者に道端で襲われたり、誘拐されかけたこと。温泉で知らないおじさんに変な事されかけたことも。　 「ハル先輩……？」 「俺、何で忘れてたんだろう……」 「え……。忘れてたんですか！？」 「うん、柏木先輩のことだけじゃなくて、小学生の時の事とかも、沢山……」 　紫音が驚きの表情になる。無理もない。俺だって、特定の記憶がこんなに綺麗に抜け落ちていた事を、今の今まで知らなかった。15までの記憶はある程度完璧だと思っていたのに……。 「思い出したら、俺の事気持ち悪くなった……とか、ないですよね……？」 「ないよ」 「よかったぁ……」 「……と言うか、寧ろ俺、何であんなに柏木先輩に失礼な態度取ったんだろう」 「え……」 「変だよな。俺にとってはたった1年前の事なのに……。けど、柏木先輩はただ想いを伝えてくれただけだったし、俺の態度見てちゃんと俺の気持ち尊重して身を退いてくれた。あの頃の俺は、何がそんなに嫌だったんだろうなって」 「……今のハル先輩がそんな風に感じてるなんて、夢にも思いませんでした。俺、てっきり、ハル先輩はあの頃のハル先輩だから、告白したらそれだけで嫌われちゃうんじゃないかと……。けど、よく考えたら、ハル先輩はハル先輩ですもんね。記憶がないだけで、中学生に戻った訳じゃない。そう言えば精神科の先生も言ってましたね、精神面は変わらない筈だって」 　もっと早くに、好きだって伝えてればよかった。そう言って綺麗に微笑む紫音を眺めて幸せだなと感じるのに、なぜだろう。さっき晴れた筈の胸がまたもやもやと曇ってくる。 　 　俺がついさっきまで忘れていた事は、きっと俺が記憶を失ってしまった期間に起こった事、そして記憶を失う切っ掛けとなった事件に何らかの関わりがある筈だ。 　同性。告白。変質者。いたずら。そして、誘拐。監禁。身体に刻まれた名前。左手薬指の指輪───。 　これだけ考えてもいつも思考を遮ってくる頭痛がないのは、俺自身に記憶を取り戻す自信が、覚悟がついたからなのだろうか。昨夜紫音の前に出てきた、「忘れたくない」って意思。それが俺の、春の真の望みなら───。 「紫音。俺も取り返したい」 　唐突すぎたのだろう。紫音がポカンとしている。 「失われた記憶。紫音との思い出。全部取り戻したい」 　緩んでいた紫音の顔が、瞬時に引き締まった。そして、重く、深く頷いた。 「俺、ハル先輩のこと全力で支えます」 　力強くそう言う紫音の表情には、けどほんの少し迷いも見え隠れしていた。紫音が思わず躊躇する程に酷い、悪夢の様な記憶と向き合わなければならなくなるのだろう。俺にだって、迷いがない訳ではないし、正直怖さもある。けど、今それよりも強くあるのは、紫音の事を思い出したいという気持ちだ。自分と紫音はこれまでどんな道のりを歩んできたのだろう。どんな思い出を二人で作ってきたのだろう。知りたい。共有したい。その全てを取り戻して、俺は紫音と向き合いたい。