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remind 5
願いも虚しく、刑事さんの片手がTシャツの裾を掴んだ。そして止める間もなく持ち上げられて、上半身を露わにされる。
外気に晒されてヒヤリとする肌を、刑事さんが舌舐めずりでもしそうなだらしない顔で見下ろしてきた。
粘り付く視線に全身の産毛が逆立つ程のおぞましさを感じて、俺は恐怖心も忘れて再び暴れた。
さっきとは違って上半身が覆い被さってきていなかったのに加え油断もあったのだろう。運良く刑事さんの拘束からすり抜け、両腕が自由になった。その好機を逃さず、腹に力を込めて勢いよく上半身を起こすと同時に、頭を前に突き出す──。
俺の腕を逃した刑事さんは、「あ!」と慌てていたけれど、次の瞬間には呻き声をあげていた。俺の渾身の頭突きが刑事さんの額に直撃したためだ。
「……っつ……ッ!」
刑事さんが額を押さえている内にその体の下から逃れ、ベッドを離れた。自分も刑事さんにぶつけた箇所が痛くてクラクラしているけれど、そんなこと気にしている場合じゃない。足を縺れさせながらも、細い廊下の向こうのドアに飛び付いた。
が───。
ドアノブが回らない。内鍵の部分に透明のキャップが被せられ、自由に鍵を開けられなくされているのだ。そんな……。前に柚季に連れ込まれたあの部屋からは、普通に出られたのに───。
「誰かっ!!誰か開けてっ!!」
叫んでドアを何発か叩いたところで、ぐっと後頭部を後ろに引っ張られた。追い付かれた刑事さんに、髪を鷲掴みにされたのだ。
「おイタが過ぎるよ」
柔道の技だろうか。あっという間に俺は身体を引き倒されてしまった。
敷き詰められた絨毯の上で再び格闘する。単純な力勝負では刑事さんに敵わない上に、最初からマウントポジションを取られてしまった俺には殆ど勝ち目がなかったけれど、それでも諦めずに手足をばたつかせていたら───。
「だめじゃないか春!どうして暴れるの!」
頬に衝撃が走った。子供を叱るように怒鳴った刑事さんがビンタしたのだ。少し遅れて、ジンジンした痛みと熱を感じる。
「言ったでしょ!次暴れたら怒るって」
一瞬呆然としてしまっていたが、また怒鳴られて気を取り直した。何があっても逃げなきゃ。ここで逃がれられないとまた紫音を裏切ることになってしまう……!
「いやだっ!離せ……っ!」
「こら春!嫌じゃないでしょ!僕たち付き合ってるんだから!」
「付き合ってなんかない!」
「何言ってるの?春は僕に言ってくれたじゃないか。好きだ、愛してるって」
「そん、なの……っ、あなたに言わされただけだ……!」
───そうだ。そうだった。思い出した。俺は言わされた。何度も何度も、好きとか、愛してるとか。過去に向田孝市に対してじゃなく、あいつと同じ名前の刑事さんに、だ。紫音の家の、俺の部屋のベッドの上で、本当にたくさん───。
「じゃあ僕の事、好きじゃないの?」
「好きなわけ……!」
「……へえ。そんな事言っちゃっていいんだ」
「何度だって言います!俺が好きなのはあなたじゃなくて、ッ!」
突然、手のひらで口と鼻を覆われた。顔が歪むくらい強く押し付けられる。
「言わないで。聞きたくないよ、その先は。言ったら窒息させるから」
息ができない──!
───限界を迎えそうになったところで、図った様に刑事さんの手が外される。
「ッは……っ、はぁっ……」
殺されるかもしれない。その恐怖心は俺の身体を氷漬けにするのに充分過ぎた。けれど、それでも、視線を逸らすことだけはしなかった。怖くてもじっと刑事さんの目を見続けた。俺が好きなのは紫音だ。紫音だけなんだ。そう自分に言い聞かせながら。
「…………分かった。分かったよ、春」
視線を交わらせたままの膠着状態を先に解いたのは、刑事さんだった。理解して諦めてくれたかとほんの少し抱いた期待は、けれどもすぐに打ち砕かれた。刑事さんの口元がいびつな笑みの形になって、その瞳に宿る狂気が増したのを目の前でまざまざと見せられたから。
「本当は、まともなままの春が、欲しかった。けど、まだ無理なんだね。まだ春は、まともじゃない時しか僕に愛を囁いてくれないんだ。僕が好きなのはそのままの春だけど、仕方ない。だってこれまでだって気持ちよくなることはたくさんしてあげたけど、それだけじゃ僕を好きになるのに足りないみたいだから。だから、ね。春がまともでなくても、我慢するよ。本当の春が僕を好きになるまで、狂った春といっぱいいーっぱいセックスして、身体で覚えさせることにするね。そういうわけだから───」
───さあ、狂おうか春。
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