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remind 6
俺の耳元で次々と囁かれる言葉はまるで呪詛だった。
向田孝市があの日、血塗れになった。
男がひとり、死んだ。
みんな死んだ。
俺のせいで。
俺が殺した。
みんな、俺のせいで───死んだ。
「あああぁああ……っ!」
頭が割れるほどに痛い。その痛みの隙間から、断片的な記憶が見える。ぐったりと倒れこんでくる身体。「お前が殺したんだ!」と叫ぶ声。天井まで飛び散る血飛沫。真っ赤に染まった視界とむせ返る様な血のにおい。
こんな事になるのなら、俺なんか生まれてこなければよかったんだ────。
「そうだよ、狂え狂え。おかしくなっちゃえ。これまで通り、嫌なことは全部忘れちゃえばいいんだよ。僕の感触だけ、身体で覚えていてくれればいいんだ」
むにゅっと柔らかいものに唇を塞がれる。ぬめぬめと濡れたものが唇を這いまわって、ついに口の中まで入ってくる。じっとりと熱い塊が素肌を撫で回す。胸の突起を執拗にいじられる。
いやだいやだいやだ。きもちわるい。こわい。こんなのはいやだ。いやだ。これはいやだ。こわい。ここにいたくない。こんなのおぼえていたくない。わすれたい。こわい。ここにいたくない。いたくない。たすけて。だれか。たすけて。たすけて、しおん───紫音───。
目を開けば俺の身体を舐め回す刑事さんがいて、目を閉じれば真っ赤な血だらけの部屋がある。
「記憶戻って、青木くんとエッチした?」
絶望しかないと思った世界に、ふと光の明滅が見えた気がした。見たくないおぞましい光景が目に入っても視線をそらさず、瞼を閉ざさずに、俺は必死に目を凝らした。
「……どうせしたんでしょ。酷いよ。悲しいよ。春は僕のだっていうのに」
何か言っている刑事さんの頭越しに、低いテーブルが見える。そこで、画面を明るくさせながら震えているのはスマホだった。
俺のじゃない。刑事さんのだ。けど、なぜか確信があった。紫音だ。紫音。絶対にそうだ。あの向こうに紫音がいる。そうだ。俺には紫音がいる。もう忘れないって。絶対に紫音のこと忘れたりしないって、約束した。紫音。紫音。忘れない。忘れちゃいけない。逃げてはいけない。俺はもう逃げない。
「やめて」
はっきりそう言うと、俺の胸元に顔を埋めていた刑事さんの頭が起き上がった。もう恐怖心はなかった。無抵抗のままやられて紫音を裏切るくらいなら、死んだ方がましだ。
雰囲気の変化を感じ取ったのか、刑事さんが目を丸くして俺を見ている。
「もうやめてください、刑事さん」
「春…………くん……」
「俺はもう何があっても記憶をなくしたりしません」
向かい合う刑事さんの顔がみるみる強張っていく。
俺はもう二度と紫音を傷つけないと決めたから。だから───。
「だから、もう、」
「何があっても?」
小バカにするみたいに言葉を被せてきた刑事さんが、強張った顔のままひきつった笑みを浮かべた。
「春くんの人殺し。春くんを好きになった奴はみんな死んだ。春くんのせいで、春くんが受け入れないせいでみんな死んだんだ」
人殺し。死んだ。
その言葉を聞くたびこめかみが刺される様に痛む。身体が思い出すのを拒んでいるのだ。
───意識を正常に保てない。このままあの記憶を正視したら支配されてしまう。だから今はこれ以上思い出しちゃだめだ。見ちゃだめだ。そう思うのに、再び視界が血に塗れていく。その記憶と同時にやってくる、胸を抉られる様な感情に正気が引きずられていく。
俺なんか、生まれてこなければよかったんだ。
頭の中で、自分を殺す声が響く。
「…………俺の、せい…………」
手が震える。その掌に、刑事さんの指が絡んだ。ねっとりと、蛇のように。
「そうだよ、春。春のせいで死んだんだ。春はみんなを不幸にするね。僕の事だって、不幸にしてるんだよ?辛いよね。苦しいよね。だから、あの記憶は忘れちゃおう。これまで通り嫌なことは忘れちゃえばいいんだよ。ね、大丈夫。僕の事好きになって、僕とエッチなことするの嫌じゃなくなったら、その時から僕と春のメモリーを綴ればいいから。それ以前の事は、全部、全部忘れちゃえばいいんだよ」
都合のいい甘言に引き摺られそうになりながらも、殆ど気力だけで首を横に振った。
「俺の、責任なら……、俺は、罪を、償わないと……」
ガンガン痛む頭と血生臭い記憶に苛まれ意識が途切れそうになるのに必死に抗う。これ以上記憶を無くさない為には、どんなに辛くても、苦しくても、受け入れ難くても、起こった出来事から目を逸らしちゃいけない。それがどんなに残酷な過去であったとしても───。
「そうじゃない!」
突然響いた大声に、真っ赤な部屋が霧散した。唐突に意識を引き戻され、血走った目をした刑事さんに床の上で組み敷かれている現実に直面する。
「いやだ……っ!」
「そうじゃないだろ!」
また頬をぶたれた。そして───。
「あの魔法の言葉を聞いたら、春は叫んで、頭抱えて、おかしくならなきゃだめなんだよッ!!」
絶叫するかの如く怒鳴った刑事さんの手が、いきなり俺の首にかかった。躊躇なく力を籠められる。息ができなくて、さっき口を押さえられた時よりもずっと苦しい。
「春が悪いんだ。狂えって言ってるのに狂わないから」
ともかく、首を締め付ける腕を外そうと必死だった。力の加減もできないまま爪を立てたりしても、刑事さんは一向に怯まない。それどころか、両手を使って確実に力を籠めてくる。
今度こそ、本当に殺される───。
「一緒にいこう。春が確実におかしくなれる場所に」
紫音、ごめん。本当にごめん。愛してる。俺は、お前だけを、ずっと───。
意識を失う最後の瞬間まで、俺は紫音を想い続けた。
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