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remind 10
「愛してるよ、春」
満足そうに微笑んだ刑事さんの顔が近づいてくる。キスされる。そう分かるのに、指一本たりとも身体が動かない。きっとこのまま防衛本能に意識まで乗っ取られたら、刑事さんは俺を好きな様にするんだろう。また、「好きです」と言わされ、きっと今日こそ、最後まで身体を奪われてしまう。俺が好きだと囁きたいのも、身体を赦しているのも、ただひとりだけなのに。
「やめ……て……!」
紫音の事を想った途端、金縛りが解けるみたいにピクリと身体が動いた。顔を背けて寸前でキスを避ける。
「……まただ。また失敗だ。全部試したのに。これは最後の手段だったのに……。本当にもう、何をしたって狂ってくれないし、忘れてもくれないんだね」
ピタリと動きを止めた刑事さんが寂しそうに言った。
「僕のこと、嫌い?」
肯定の言葉を口にする代わりに顔を俯ける。
「そう……」
静かに言って、刑事さんは身体を起こした。そして───。
「もう一度、よく考えて答えて」
呼吸を忘れてしまった。刑事さんのこめかみに、銃が向いているのだ。
「これは脅しじゃない。本気だよ。僕は春を手に入れる為に全てを投げ出したんだから。刑事になるのは、僕の夢でね。僕は誇りを持って、誠心誠意職務に取り組んでいたよ。やりがいも、幸せも、感じてた。……春と出会うまでは」
「やめて……刑事さん」
「春と出会って、欲しくなって、僕は狂ってしまった。この事件を隠蔽していたことがバレれば、間違いなく僕は懲戒免職だ。その上春まで失ってしまったら、僕には何も残らないんだ。分かるでしょ?もう死ぬしかないんだって」
「そんな、」
「だから、よく考えて答えて欲しいんだ。僕のこと好き?僕を愛してくれる?」
生ぬるい汗が背中を伝う。
「無理矢理抱くのは簡単だけど、そうじゃなくて僕は春に愛されたいんだ。愛して、愛されて、幸せなセックスがしたいんだよ。だって、エッチな春は沢山知ってても、春が望んで抱かれてる顔だけはまだ見れてないんだ。きっと、そういう顔は青木くんしか見たことないんだろうね。本当に悔しいな……。僕にも見せてよ。狂ってくれないのなら、僕を受け入れて、僕を求めてよ、春」
「刑事、さん。お願い、お願いだから……やめて……」
俺の懇願に静かに首を横に振った刑事さんの指が、引き金にかかった。
「これが最後の質問だよ。春、僕を愛してくれる?」
いやだ。いやだ、こんなの酷い。刑事さんを愛するなんて、受け入れるなんて、そんなこと……。けど、そうしないと、刑事さんは───。
俺のせいで人が死ぬ。
それだけは、もう絶対に嫌だった。またあんな思いをするくらいなら、俺が死んだ方がましだ。だったら、死ぬ代わりにこの心を偽るくらい、この穢れた身体を捧げるくらい、そのくらい…………。けど───。
浮かんだのは、やっぱり紫音のことだ。紫音を裏切るのは、この身を斬られるよりも辛い。辛いんだ…………。
それでも意を決して、俺は刑事さんの目を見た。刑事さんは、思ったよりも穏やかな顔をして俺を見下ろしていた。その穏やかさに、逆に覚悟を感じさせられてしまう。俺も、覚悟を決めなければならない。首を、振ろうとした。これまで何度も振っていた横にではなく、縦に───。
バターン!!
「……てめえっ!!ふざけんなあ!!!!」
激しくドアが開く音。怒鳴り声。あまりに突然のことに、刑事さんが誤って引き金を引かなかったのは奇跡といえよう。
「クソ野郎!殺してやる!!!!」
目にも止まらぬ素早さで刑事さんに飛び掛かったのは───紫音だった。
刑事さんを突き飛ばした紫音は、刑事さんを巻き込んでベッドの下に転がり落ちた。そこは、ベッドに縫い付けられている俺からはちょうど死角で、何が起こっているのか分からない。
「紫音!気を付けろ!銃を持ってるっ!!」
あまりの急展開に頭が回らないけど、ともかくこれだけは伝えなければ、と叫んだ直後だった。
バァン!!!!
大きな破裂音が響いて、一瞬頭の中が真っ白になった。
「紫音!?紫音!紫音!いやだ、紫音!紫音!返事をしてっ!!!!」
半狂乱になって首を動かし紫音を探すも、やはりその姿は見えない。それに、どうしてだか銃の反響音だけが何度も耳の奥でこだまして、何も聞こえないのだ。紫音の声も、刑事さんの声も、叫んでいる自分の声さえ。
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