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第4話
そして気付けば、直海くんと一言も話したことがないまま三学期を迎えてしまった。
友達も出来ず、憧れを封じ込めてからは学校生活の楽しさもなくなり、途端に色褪せてしまったように感じる。でも何かしていないと自分が空っぽになってしまうような、足元が急に崩れてしまうような恐怖が常に付きまとって、ひたすら勉強に打ち込んだ。
昔から運動も友達作りも苦手で、唯一出来たのが勉強だった。僕の親はテストで100点をとってくればそれで良かったらしく、そんな親からの期待も高校受験の時より大学受験の今の方が重く、それに応えるためにも少しでも良い大学に僕は行かなければならなかった。
「今日は二年最後の席替えをするぞー」
担任がそう明るい声で言えば、途端にクラス中が騒がしくなる。あそこの席が良いと言う者や、この席から離れたくないと嘆く者。女の子同士でこそこそ話しているのは多分、好きな人の隣になりたいなんて話しているんだと思う。
僕は勉強が出来れば席なんてどこでも良かった。強いて言えば、周りが静かだと集中出来ていいかなくらい。
「じゃ、晴山(はれやま)から順番にくじ引いてけー」
なんでも最初に指される廊下側の一番前の席が、今の僕の席。この席は他の人からしてみたらハズレ席らしい。
立ち上がって担任が持っている紙袋に手を入れ、一番上にあった紙を引いてそのまま担任に渡す。
「えーっと、晴山はここな」
担任が黒板に書かれた座席表に僕の名前を書く。場所は、真ん中の一番前の席。最も煙たがれる席が早々に埋まった事で、クラスから安堵の息がもれたのが聞こえた。僕にしてみれば集中出来る一番良い席だったから、内心喜んだ。
くじ引きが終わるまで暇だったので、大学受験の問題集を開く。年末から親に予備校へ通わされているのだけど、正直ついていけてない。だから少しでも時間があれば復習しないと、次の予備校の授業の時に更に置いていかれてしまう。
もっと勉強しなきゃ……レベルの高い大学入らなきゃダメだ……じゃないと、親に呆れられちゃう。お前はこんな程度なのかって、絶対見放される。
そんなの、ヤダ。怖い。
友達もいないのに、親にまで縁切られたりでもしたら……。
「晴山くん?」
「――っ!!」
突然話し掛けられ、びくりと跳ねた手が筆箱に当たって下に落ち、中身が散らばってしまった。
「だ、大丈夫?席、移動だよ」
「ご、ごめんっ、ありがと…」
話し掛けてくれた女の子の方は見ないで急いで筆箱の中身を拾った。そんな距離のない新しい席へと自分の机を動かし、周りが静かになるまでまた問題集と向き合った。
「よし、終わったな。今のその席がこのクラスで最後の席になるからな、みんないっぱい思い出作れよー!」
以上!と言って教室を出て行った担任を見送り、何気なく座席表の書かれた黒板へ目をやった。
「………え?」
「永助~!!最後が永助の隣なんてめちゃくちゃ嬉しいよ~!もう、コレ運命なんじゃない!?運命だよ絶対!」
「ははっ、結衣はいつもテンション高えな。運命っつーより……腐れ縁?」
「腐れ縁?んー、良くわかんないけどそれも運命ってことでしょ!?」
「うーん…」
何その顔ー!と真後ろから声が聞こえる。会話の内容なんて理解できてなくて、ただその声だけが耳に入って来て頭の中で響く。背中越しに聞く、低くて、落ち着く声。
――直海、くん。
神様はなんでこんなに意地悪なんだろうと、胸の奥が鷲掴まれたように痛くなって、なんでか泣きたくなった。
帰って勉強しなきゃと、机に入ってる物全部鞄に詰め込んで席を立つ。早く勉強に打ち込まないと余計な事を考えて、しまい込んだものが溢れ出してしまうような気がした。
「あ、晴山」
ビクッと体が硬直した。聞き間違いかと思ったけど確認のようにまた名前を呼ばれて、信じられない気持ちのまま少しだけ首を動かしてそちらを見る。
「二年最後、よろしくな」
目を細めて笑ってくれた直海くんに、じわりと涙腺が緩んでしまう。
またその笑顔が向けられる日が来るなんて、思わなかった……ダメだ、泣きそう…っ。
ぺこりと頭を下げて急いで教室を出る。その時、直海くんの隣の席の園町(そのまち)さんに、なにあれ、感じ悪ーと言われていたのが聞こえて、直海くんもそう思っただろうと考えたら……ついに涙が零れ落ちた。
――――――――――
こんな憂鬱な気分で登校するのは初めてだと思いながら、靴を履き替えてクラスへと向かう。チャイムが鳴るギリギリで登校してしまった為にほとんどの人が既にクラスに居て二の足を踏む。痛いくらいに早鐘を打っている心臓と一緒に重い鞄を抱きしめてクラスへとどうにか足を踏み入れ、席に着く。
「晴山おはよう」
なっ!?直海くんから挨拶された…!
久しく学校で挨拶された事がなかったから、何より直海くんから挨拶された事に目が大きくなる。貼り付いてる唇を無理矢理こじ開けて、息を吐き出す。
「…っ!おっ、おはっ、よ…」
ああ、吃りまくった…。
これ以上印象が悪くなるのはどうしても嫌だったから、なんとか挨拶を返したのにこの有り様だ。もう嫌だ…、と鞄に顔を沈めた。
「ねーねー、永助!この問題わかるー?」
「んー?あー、俺もそれわかんねえんだよなあ。グラフとか苦手」
今は数IIの授業なのだが、先生がお休みの為みんな配られた自習プリントをやっている。内容は今までの復習問題だったので早々に終わり、今日の予備校でやるだろう数IIの問題集を解いていればそんな声が後ろから聞こえた。
グラフって事は、三角関数の問題かな?どうしよう、直海くん困ってるっぽい、よね?僕の取り柄なんて勉強しかないし、力になれるかも!でも、頼れてもないのにそんな事して余計なお世話だって思われたらやだし、そもそも僕だし……。
どうしようどうしようと、グルグルグルグルその言葉だけが頭の中を回る。話し掛けようと思う度に、でも、どうせという言葉が浮かんで動けない。
そんな僕の肩をぽんぽんと叩かれ、少しお尻が浮くくらいびっくりしてシャーペンを飛ばしてしまった。
「おお?ごめん晴山、大丈夫か?」
「だだだだだいじょぶっ!」
あたふたしながら教卓の向こう側に飛んで行ってしまったシャーペンを取りに行く。教卓の影に隠れながら、恥ずかしさに赤くなった顔に手を当てて多少冷ましてから席に戻る。
「ごめんな?そんな驚くとは思わなくてさ」
「ほんとー!ペンめっちゃ綺麗に飛んでって面白かった!」
あはははっ!て高い笑い声が教室中に響いてるような気がして、冷ました顔にまた熱が集まる。
「……愛梨沙、笑いすぎ」
「だってぇ」
「お前の笑い声豪快なんだから、もっとおしとやかに笑わないとモテねえぞ」
「大丈夫!永助が私の事貰ってくれるでしょー?」
「ペットならいいかもな」
「ひっどーい!」
「はいはい。……で、晴山」
「へいっ!?」
中途半端に後ろを向いている体をいつ戻そうかと悩んでいれば、急に名前を呼ばれて変な返事をしてしまい、恥ずかしさに首元まで熱くなる。
「ぶはっ、へいってどんな返事だよ!うけるっ、はははっ!」
お腹を抱えて机に伏すようにして笑う直海くんに恥ずかしさもあるけどどこか嬉しさも感じて、緩みそうになる口元を堪えるように唇を噛んだ。
「ちょっとー、永助も笑いすぎー!」
「いや、だって…っ、ははっ!あー久しぶりにツボ入ったわ。ごめんな?晴山。あー、でさ……数学得意だったりする?」
ちらりと直海くんを見ると困ったような顔をしていて、こんな近い距離で真正面から見る直海くんなんて初めてだとドギマギしながらぎこちなく頷く。
「マジ!?悪いんだけどさ、この問題教えてくんない?さっぱりわかんなくてさ」
「私も私もー!」
「頼むから静かにしててな」
「どういう意味よー?」
「そのまんまの意味」
なんかムカツクー!と直海くんの腕を揺さぶる園町さんと、それを宥めるように園町さんの頭を撫でる直海くんを見たら、なんか胸がモヤモヤして、気持ち悪くて、お腹の奥が熱くなるような経験したことのないドロドロとした感情でいっぱいになる。
「……っ、きょ、教科書っ!…あ、ある?」
それを振り切るように少し声を張り上げて言ってしまい、自分でも驚いて尻つぼみに聞く。
「あ、おう。……あれ?」
「私忘れたー!」
「…俺も、忘れたみてえだ」
「えっと、じゃあ……はい」
教科書渡して説明するより、自分でまとめたノートを見せた方が分かりやすいかもと、三角関数の公式とか問題対策をまとめた部分を開き、それを直海くんの机に置く。
「その問題、ここに書いてある解き方で解けるから、えと、やってみて下さい…」
教えるというより丸投げになってるけど大丈夫かな?と恐る恐る視線を上げると、直海くんと横から覗き込んでる園町さんの二人ともが目を見開いて固まっていた。
え?もしかしてまとめたの分かりづらかった!?
「………すげ。これ、晴山ひとりでまとめたのか?」
一人ハラハラしていれば、ぽつりと直海くんが呟くように聞いてきた。
「え?あ…、うん……」
「マジでー!?晴山くんすごーい!めっちゃ見やすいしめっちゃ分かりやすい!このノート欲しい~っ」
「お前が持ってても宝の持ち腐れになるだけだから」
「そんなことないし!バカ永助!」
べー!と可愛らしく舌を出す園町さんのおでこを、バカはお前だと言って小突いた直海くんを見てまたモヤモヤした気持ちが膨らんでくる。
直海くんが触れるのも、笑顔を向けるのも、話しかけてくれるのも、全部僕にだけだったらいいのにと胸の内からドロドロの感情が溢れるままに考えて、ハッとなる。
……ああ、わかった。これは――嫉妬だ。
しかも………園町さんに。
これが意味することを理解するのが怖くて、僕は考えを振り切るように頭を振った。そんな僕の名を落ち着いた声が呼ぶ。導かれるままにそっちを見れば笑顔の直海くんがそこに居て、きゅうっと胸が痛くなる。
「このノートならテスト良い点取れそうだからさ、今度授業休んだ時も見せてな」
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