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第5話

――夢のようだった。 僕が、直海くんの役に立てる日が来るなんて思いもしなかったから。 直海くんは昨日授業を休んだ。だから今日、ノートを渡さないといけないけど、夜もあまり眠れないくらい緊張してる。自分から声を掛けるなんてした事ないし、あと周りからも変な目で見られるんじゃないかって不安もあった。 少し早く学校へ行って、家でも確認したけど改めてノートの中身を確認する。見やすさ、分かりやすさ、字の綺麗さ。いつも以上に気をつけてノートを取ったから、大丈夫。な、はず。……たぶん。 「おはよー」 来た…っ!と、とりあえず挨拶からだよねっ! 両手で拳を握って、ノートに貼り付けていた視線を剥がして顔を上げる。みんなに挨拶をされながら笑顔でこっちに来る直海くんの視線がふと僕と合い、その瞳が少し大きくなった気がした。どきりと胸が高鳴る。すぐにバクバクとうるさくなった心臓を振り切るように挨拶しようとした瞬間、 「おはよーん、永助!はいコレっ、昨日授業出れなかった分のノート!」 そう言って僕と直海くんの間に入って来てノートを差し出す女の子の華奢な背中を、僕は呆気に取られながら見つめた。 「ああ、ありがとう」 そう言ってノートを受け取ろうとする直海くんを見て、うるさかった心臓が急速に静かになっていく。 ……そっか、あの言葉はお世辞だったんだ。 そう思ったら緊張して眠れなかった自分も、心配で何度もノートを確認した自分も、ましてや無駄に勇気を出して挨拶しようとした自分も、全て一人で空回りしていたのだとわかって馬鹿らしくなってしまった。 開いていたノートを静かに閉じてそれを机の中へ仕舞おうとすると、横からその手を掴まれた。驚きつつ、その手を辿っていって見上げた先にいた人に目が丸くなる。 「おはよう晴山。そのノート貸して?」 「え……」 笑顔の直海くんに、意味がわからずぽかんと口も開けて見上げる。 「ちょっと永助!私がノート貸すって言ってんのになんで晴山くんに借りんのよ!?」 「だって晴山のノート分かりやすいし。それに、この前お願いしたし。なあ?晴山」 そう聞いてくる直海くんにどう答えればいいのかわからなくてぱちぱちと瞬きを繰り返していれば、さらに横から手が伸びて来てノートを取られた。 「あ…っ」 「私も永助の為に分かりやすく書いてるし!晴山くんのとそんな差なんてっ、ない、し……」 段々言葉尻の勢いがなくなっていく女の子に、ノートが酷すぎだったのかと不安になる。返してもらおうと手を伸ばすより早く、ノートを齧り付くように見た女の子の驚きの声がクラスに響き渡った。 「なにコレ!めっちゃ分かりやすいんだけど!!先生なんかの説明より、このノート見た方が全然いいっ」 その声にクラスのみんなが僕のノートを見ようとワラワラと集まってくる。僕は一体何が起きたのかわからずきょろきょろと視線を泳がせるだけで、どうすればいいのかわからない。 「うわあ、マジだ!これなら勉強する気起きそう!晴山俺にも貸してよ」 「あ、ずるいー!晴山くん私にも貸してー」 「え?えっと…」 俺も私もと口々に言われて面食らう。良くわかんないけど…まあ別にいいかと頷こうとした時、 「ダーメ。晴山のノート借りる権限あるの、オ・レ・だ・け」 サッとノートを取り上げてニッと笑った直海くんに目が点になった。 「永助だけずるいー!」 「そうだよ直海!なんでお前だけなんだよ!?」 「んー?だって俺、会長だし?」 「意味わかんねー!!」 「まあ、そういう事で。晴山も、誰にも貸したらダメだからな?これ、会長命令」 目元にしわを寄せたあの笑い方で言われて、僕は知らず知らずのうちに頷いていた。 それから何度か直海くんにノートを貸し、その度に直海くんは周りから愚痴愚痴と文句を言われていたけど、全然気にしてないみたいに笑って流していた。 期末テストの前でも授業を休んでいたので、前に女の子が言ってたように直海くん専用ノートなる物を徹夜して作ってしまった。余計な事をしちゃったかもと不安に思いながらそれを渡した時、直海くんは凄く驚いた顔をしたけど笑顔でありがとうと受け取ってくれて、嬉しさに胸の中がほっこり温かくなって口元が緩んでしまった。

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