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第6話
あと二日、学校に行ったらもう二年生も終わり。
三学期は圧倒的に時間が過ぎるのが早かった。登校する日数も少ないってのもあるけど、やっぱり直海くんの存在が大きい気がする。
憧れの気持ちはとうに、しまい込んでいた奥底から溢れ出している。どう押し込めても、直海くんと話して、目が合って、笑顔を見てしまってはもうどうしようもない。
でも嫉妬の理由については、まだ向き合うことが出来ていない。
変わらず直海くんと園町さんは仲良く話しているし、よく園町さんから直海くんに触れている。それを見る度に嫉妬してしまい、僕が直海くんと接する機会が増えるにつれて、段々とそれが強くなっている気がする。
……本当は、わかってるんだ。なんで嫉妬しているのかって。わかってるけど、それを認めてしまっても自分が傷付く未来しか見えなくて、だったら知らないふりをしていれば傷付くのも少しで済むかもしれない。
いつか、その気持ちが風化する事を願って……僕は、気付いてと訴えてくるそれに今日も知らないふりをする。
「早かったけど明日でこのクラスも終わりだからな、……っ…、みんなっ、ありがとう…っ!」
「センセー、泣くの早いから!」
「今から泣いてちゃ明日泣けないよ!」
「ううっ、ズズッ…うん、そうだな!残りは明日に取っとこう!じゃ、解散!」
逃げるように去っていった先生に笑いが起き、周りにつられて僕もつい笑ってしまった。熱血な人だけどよく生徒の目線で話を聞いてくれる先生で、それが多くの生徒から慕われる理由らしくこのクラスメイトからの信頼も厚い。自分のクラスを持つのが初めてだったみたいだから、感動も一入なのかも。
僕も帰ろうと鞄を手にしたが、するりと滑り落ちてしまった。チャックも閉め忘れていたみたいでバサバサと中身が床に散らばる。
やっちゃった!と慌ててしゃがみ込み、落ちた物を鞄の中に詰め込む。
「ありゃりゃ、晴山くん大丈夫?手伝うよ」
「あ、ありがとう…」
気付いた園町さんもしゃがんで散らばったものを鞄に入れてくれる。あー、もう、明日で最後なのに何してんだろ……。自分の間抜けさに嫌気が差してくる。小さくため息をついて筆箱から飛び出した文房具をしまいながら、直海くんが明日の修了式の準備で居なくてよかったと胸をなで下ろす。
「………あれ?これって、」
不思議そうな声に釣られて顔を上げ、園町さんが手にしている物に気付いた途端、血の気が引いていくのを感じた。
「あ……」
「永助が持ってるのと似てるねー」
「え、と…っ」
園町さんが手に持っているのはあの、直海くんから貰ったハンカチで。
何かを確認するようにハンカチを開いた園町さんは、グッと眉間にしわを寄せて訝しげに僕を見た。
「これもしかして……永助の?」
「っ、あっ、あのっ」
「永助のおばあちゃんがオーダーメイドで作ったって言ってたから、同じのなんて早々ないはずなんだけど……ねえ、なんで持ってるの?」
「……っ!」
頭が、真っ白だ。
ただ貰ったって言えばいいだけなのに、僕を責めるような瞳にパニックになって言葉が出てこない。その瞳から逃れるように視線を彷徨わせてから俯いて、制服のズボンを握り締める。
嫌な汗が背中を伝い、掌の汗もひどくてドクドクと脈打つ音が耳の中に響いてうるさい。
「もしかして……盗んだ、とか?」
「え!?ち、ちがっ!」
「じゃあなんで持ってるの!?」
園町さんの叫ぶような声に、シンと教室が静まり返った。一瞬にして注目を浴びた事にパニックがピークに達し、さらに縮こまる。すると園町さんのそばに直海くんにノートを渡していたあの女の子が来た。
「なに、愛梨沙どしたの?」
「……晴山くん、永助のハンカチ盗んだみたいなの」
「え!?うっそ!……マジで?」
「このハンカチ、オーダーメイドだから同じのなんてないはずなの。永助も大事にしてるみたいで、あたしもイニシャル一緒だから1枚ちょーだいって言ったけどくれなかったし。だから、人にあげるなんて有り得ない。だとしたら盗んだしかなくない?」
「確かに!あれだね、晴山くんて大人しいふりして大胆だね。……ちょっと怖いわ」
「マジかよ…、引くわ~」
「てか女子のだったらわかるけど、なんで直海の盗むわけ?」
「え?それってつまりさ……」
――晴山、永助のこと好きなんじゃね?
その言葉が聞こえてから思考が停止した。
突き刺さる嫌悪の視線にも、気持ち悪いと罵る言葉にも、何も感じなかった。
徐々に周りが真っ暗になって、音も何も聞こえなくなって、底なしの沼に沈んでいくような気さえする。
ふと視線を上げた先には――知らんぷりしていた感情が、目の前で僕に牙を向けて立っていた。
ボク、こんなに叫んでるのに……。
ねえ、なんで無視するの?
ねえ、なんで受け入れてくれないの?
――最初から、わかってたでしょ?
憧れの人を、そんな熱の籠った眼差しで見るはずないって事。
憧れから、こんな他人に嫉妬するはずないって事。
憧れの人を――直海くんを、独り占めしたいだなんて思わないって事。
ボクはいっぱい傷付いた、苦しんだ。僕じゃなくてボクが。
だから……僕もいーっぱい、泣いてね?
ニタリと三日月のような口で笑ったボクは、僕を抱き締めるようにして僕の中にすうっと溶け込んでしまった。
――瞬間、ぼろぼろ涙が溢れた。
今まで押し込めていたものが、堰を切ったかのように流れて止まらない。
「ごめ、なっ、さ…っ」
無視して、ごめんなさい。
「…っ、ごめっ……っ…」
傷付けて、ごめんなさい。
「…うぅっ…、ふ…っ…」
気付かないふりして、ごめんなさい。
顔を覆って泣き崩れる僕に、困惑の空気が教室中に流れる。それを断ち切るように教室のドアが開き、誰かが入って来た。
「……あれ?なんでみんなまだ残ってんの?……え…?晴山?泣いてる…?」
それは今、一番聞きたくない声で…。
涙も嗚咽も止まらないまま硬直していれば、目の前の人物が動く気配がした。
「永助…っ!このハンカチ、永助のだよね!?」
「え……あ、おう」
「……晴山くん、盗んだんだって」
「え?盗んだ?」
「みんなっ、晴山くんがごめんなさいって言いながら泣いてたの、聞いたよね?って事は、盗んだの認めたってことよね!?」
「……っ…!」
違う!盗んでなんかない!
そう叫びたいのに喉が張り付いてしまったかのように声が出ない。直海くんは僕が盗んでないってわかっていると信じたいけど、でも覚えているのか確信が持てない。
次第に周りから賛同する声がパラパラと挙がり始めたことに全身から血の気が失せ、手足が痺れてがくがくと震えが止まらない。すると、ぽつりと直海くんが呟いた。
「……ハンカチ……捨て…なかった…?」
ピタリ、と震えが止まった。
………やっぱり、覚えてなかった…。
「えっ!?まさか、永助がゴミ箱に捨てたのを盗んだの!?嘘でしょ、本気でストーカーじゃないっ!そんな人と一年間一緒のクラスだったなんて……ううん、同じ学校だなんてマジで信じらんない!永助っ、警察に言った方がいいよ!他にも盗まれてるのとか、もしかしたら盗聴器とか仕掛けられてるかもしれないし…っ!」
「は!?ちょ愛梨沙、落ち着けって」
「落ち着けないわよ!!こんな近くにホモな犯罪者がいるだなんてっ……本気で、この世から消えて欲しい」
一瞬だけど心臓が止まった気がした。
ホモな、犯罪者……ハハ、最悪なレッテルだなあ。
ヒクッ、ヒクッとひゃっくりのように嗚咽が漏れ、まだ涙も止まらないけどグイッと無理矢理ブレザーの袖で涙を拭う。痺れて感覚のない手で落ちていた最後のノートを鞄に入れ、足に力を入れて立ち上がる。
後ろで直海くんと園町さんが言い合っているみたいだけど、内容も聞きたくなくて鞄を抱えて俯きながらゆっくりと振り返る。すると二人は言い合いを止めて僕を見たのか静かになった。多分、クラスみんなの視線も僕に集まっていて再び足が震え出す。
ごくりと唾を飲んで、一度深呼吸をしてから深く頭を下げる。
「…ご、めん、なさい……」
涙が床と薄汚れた上履きにぼたぼた落ちてシミを作った。
ダメだ、涙止まんないや……直海くんの言う通り、僕って泣き虫だったんだね…。
自嘲気味に小さく笑って唇を噛み締める。これで最後……、そう思って恐る恐る顔を上げて直海くんを見る。
困惑した顔の直海くん。
初めて裏門で話した時よりも髪が伸びて、生徒会長になってからは顔つきも以前より凛々しくなった。もしかして、少し背も伸びた?僕全然伸びないのにいいなあ…。
「…直海、くん」
あなたの、男らしくて頼もしい所が好きです。
あなたの、子供みたいな所が好きです。
あなたの、真剣な目が好きです。
あなたの、笑顔が好きです。
あなたの、声が好きです。
「……す、きに、なって…っ、……めん、なさ…っ」
――あなたの、全てが好きです。
僕は震える足を必死に動かして、その場から逃げ出した。
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