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第8話
三月でもまだまだ寒い気温の中、僕は部屋着のままなんの防寒もしないでひたすら学校へ向かって走っていた。体力がないからすぐに息が上がって、足もフラついて言うことを聞かないけど、必死に前へ、前へと動かす。学校まで歩いて20分の道のりを、なんとか10分で辿り着くことが出来た。
息が苦しくて、時折噎せながら初めて話した場所――裏門へと向かった。
走ったお陰か寒くはないけど、鼻水は素直に出てくる。垂れないようにすすりながら、裏門へ続く最後の角を曲がろうとして……足が止まった。
勢いで来てしまったけど、修了式が終わってから結構経っているし、もう直海くんは居ないかもしれない。そもそも今日なのかもわかんないし、裏門に居ないかもしれない…。でも会えなくて残念という気持ちよりも、ホッとする気持ちの方が大きい気がする。
逆に直海くんが居たら…。
面と向かってひどい言葉を浴びせられるかもしれない。冷たい目で見られるかもしれない。
それが、とても怖い。でも……、
恐怖からか寒さからか、ぶるりと震えた身体に喝を入れるように自分の頬をべちんと叩く。
どっちにしろ行ってみなくちゃわかんないし!僕の最後の悪あがきだ!
鉛がついているように重い足を上げて角を曲がった先には――。
「……晴山。来てくれたんだ」
裏門の前にしゃがみ込んだ直海くんがそこに居た。制服の上に黒のダッフルコートとボルドー色のマフラーをして防寒しているけど、赤い鼻と頬、足元に缶コーヒーが五本も置かれていてずっと待っていたのがわかる。さっきの、会えなくてホッとするなんて嘘だった。怖さなんて今なら微塵も感じない。
だってこんなに、喜びで満たされてるんだから。
笑顔で立ち上がった直海くんにどうしようもなく目頭が熱くなる。泣かないように力を入れて唇を噛んでいると、5mくらい離れてた距離を直海くんはあっという間に詰めてしまっていた。
「てか、晴山コートは?これじゃ風邪引くだろ……ったく、はい」
そう言って直海くんは自分のコートを僕の肩にかけてくれた。サイズが大きいからか、すっぽりと包まれてとても温かい。まるで直海くん自身に包まれているみたいで幸せな気分になる。
でもその直海くんの優しさが火種となって、いろんな感情が爆発したみたいに言葉が溢れ出た。
「……ねえ、なん、で?」
「ん?」
「なんで、優しくするの…っ!ぼ、僕の事、きっ、気持ち悪いって、思ったでしょ…!?僕みたいな奴に好かれて……最悪だって思ったでしょ!!ハンカチの事だって、忘れてたのにっ………なんで!」
なんで初めて話した、この場所の事は覚えてるの…っ?
そんな弱々しい僕の声が直海くんに届いたのかはわからない。でも驚いた顔から困った顔になった直海くんは、それでもずっと優しい目で僕を見ていた。
それが苦しくて。息も上手く出来なくて。鼻水はずるずるだし、泣きたくないのに視界が滲んでいく。ひどい顔を晒している事が恥ずかしくて俯くと、その先に色が白くなるほど握りしめている自分の拳が見えて、ああ、僕すごい頑張ってるんだなと他人事のように思った。
「……晴山、忘れてないよ。ハンカチの事も、この場所で起きた事も。晴山との事は全部覚えてる」
「嘘だ…っ」
「嘘じゃない」
温かい手に僕の拳が包み込まれ、びくりと肩が跳ねて涙が散った。冷えきっていると思っていた直海くんの手が予想に反して温かくて、僕の手が冷えきっている事に今更気付いた。
「晴山、まずは言わせて。――俺を、好きになってくれてありがとう」
「…っ…!」
そんな、優しい言葉を言わないで。
どうせこの恋が報われないのもわかってる。あと1年我慢すれば卒業して、直海くんの存在を感じない所に行こう。直海くんもその方が安心するはず。
あともう少し頑張れと自分に喝を入れる。次に言われる直海くんの言葉を聞くのが怖くて耳を塞いで逃げ出したい気持ちでいっぱいだけど、はっきり言ってもらった方がけじめがつくとギュッと目を瞑って言葉を待った。
「晴山……好きになってごめんって言うのは、俺の方だ」
「……え…?」
どういう意味だろうと考えつく前に、いつの間にか僕は直海くんの腕の中にいた。その状況についていけず目をぱちくりとさせて、自分とは違う呼吸のリズムに、どこかで嗅いだ優しい香りに、服越しでも伝わる体温に、段々と心臓が強く打ち始める。
「晴山がさ、俺の事見てたの知ってた」
「え!?」
「この顔のせいか昔からよく色んな視線向けられてたから、結構敏感になってて。その中でも晴山の視線は強くてさ、最初は誰のかわかんなかったけど晴山とすれ違った時に気付いた。ああ、コイツだって」
「ご、ごめんなさい…っ」
一方的に見ていたのが気付かれてたとは思わなくて、あまりの恥ずかしさにとっさに謝る。
「ううん、嬉しかった。初めてこんなに真っ直ぐで純粋な、濁りのないキラキラした目を向けられたから。なのに、俺を心底欲しがってるみたいな熱もあってさ……なんかそのギャップにすげえ興奮した」
そ、そんな目で僕、直海くんの事見てたんだ……。
恥ずかしすぎる…っ!と直海くんの腕の中で顔を覆うと、違う意味の涙が滲んできた。
「それから俺も自然と晴山の事探すようになってた」
その直海くんの言葉にぴくりと反応した僕は、そろそろと覆っていた手を少し退ける。
「そしたらここで晴山が一人で草むしりしてるの見つけてさ。何してんだろって気になったのもあるけど……一番はきっかけが欲しかったんだ」
「きっかけ…?」
「うん、晴山と話すきっかけ。マジであの時は自分でもびっくりしたから。どうすっかなって考える前に体が動いててさ、気付いたら会長にコピー頼まれた資料、外にばらまいてた」
「ええ!?」
てっきり風かなんかで外に飛ばされたんだと思ってたのに、直海くんがやった事だったの!?
驚愕の事実に、思わず覆っていた手を完全に外して直海くんの方を見てしまう。その時に見えた耳が赤く染まっていて、なんだか釣られてこっちまで耳が熱くなる。
「そんな事までして俺は晴山と話してみたかったんだけど……結局、資料拾わせるわ、泣かせるわ、謝らせるわで会話らしい会話も出来てねえし、俺何やってんだろーってすげえ落ち込んだ。だからとりあえず晴山の負担減ればいいと思って会長に裏門の草むしりやってる委員会聞き出して、一人しかちゃんとやってないって顧問に報告した。次の日からは他の奴らもちゃんとやってるの見て、ああ晴山の役に立てたーって一人で満足してた」
そう、だったんだ……。先生が来たのは作業が遅れてたからじゃなくて、直海くんのおかげだったんだと事実を知って胸の奥が温かくなった。
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