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if 玻璃の歯車
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悪夢はいつも日向に潜む。
それはいつもと変わらない午後で欠伸が出るくらい普通の日だった。
レオンはリビングのソファーに座り目の前の光景をぼんやりと眺めていた。
「書類整理?」
「うん、フィオナと二人でするんだけど」
アリーシャと八雲が他愛も無い話をしている。ありふれた「日常」なのに今のレオンには酷く嫌な景色に写った。
原因は最近繰り返し観る夢だ。それは魘 されるような悪夢では無く穏やかな記憶の断片。
まだ自分も幼く孤児院にいた頃の夢だ。懐かしく優しい記憶がレオンを苛む。
「半日位かかっちゃうから夕飯作れそうにないんだ」
喋るアリーシャを瞳は追い続ける。あの頃は自分を兄と慕いどこへ行くのも一緒だった。
一緒に遊んで一緒に寝て、片時も離れたりはしなかった。元々懐こい子だったがそれでも自分を見る目は特別だった。ちょっとでも離れようものなら泣き出しそうになりながら自分を探していた。
「だからレオンと二人で夕飯作って欲しい…」
「いや、別に俺一人でも平気だけど?」
「うわーっ!待って!!それだけは止めて」
キッチンに向かおうとする八雲をアリーシャが腰の辺りにすがり付いて止めようとする。
(どうして……)
他の男に抱き付いているのだろう。自分だけを抱き締めてくれた夢の中の子はもうどこにもいない。
「遊んでいないで早く来なさい」
「わっ…ごめんなさい」
フィオナに注意されてアリーシャは慌てて部屋から出て行く。
(どうして…)
他の男に駆け寄って行くのだろう。自分の後をほよほよと着いてきた幼い姿はもうどこにもいない。
振り払おうとしても何度も同じ夢を見てしまう。そして夢が優しければ優しいだけ現実との違いに打ちのめされ追い詰められていく。
いつの間にか眠るのが恐くなり睡眠時間を削るようになった。元から睡眠時間は短いほうだがそれでも眠らない日が何日も続くと心が病んでゆくのが分かる。以前は流せていた感情も今は塞き止められてそのまま腐敗していくようだ。そしてまた同じ夢を観る。
アリーシャが誰かと居ると酷く意固地な気分になる。
どうして自分だけに心を留めておいてくれないのだろうか。
どうして自分からアリーシャを奪って行くのだろうか。
返して返して返して返して返して返して返して返して返して返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せー。
どうにもならない呪いの言葉を心で吐きながら目を閉じる。もう冷静な判断は出来そうも無かった。
負の感情に蝕まれ闇へと身体が飲み込まれても抗う気力は残されていなかった。
深夜の書庫をレオンは彷徨っていた。眠気覚ましになればと書棚を見つめるが此処の本は粗方読んでしまっていた。
そもそも自分の興味を引く本など滅多に無い。本に限らずこの世界に惹かれるモノなど殆ど無かった。アリーシャだけが特別だった。あの子を通してなら何でもおもしろく見えたし光明を見出だす事が出来た。
「…っ!」
不意に強い眠気に教われて身体がふらつく、慌てて平積みにされていた本の山に手をつくと音を立ててなだれが起きた。
災難は重なるものだ。ため息を吐きながら散らばった本を片付けているとふと一冊の本に手が止まった。タイトルは印刷されておらず装丁もボロボロであちこち剥げている。
こんな本あっただろうかとなんの気なしに開くと手書きの文字と数式が書かれていた。どうやら誰かの研究記録のようだ。
「なっ!」
読み進めていたレオンが悲鳴に近い短い声を上げる。辺りを見回すがほの暗い書庫は静まり返っている。
どうしてこんな物が此処にあるのだろう。
そこには禁忌とされる魔法がいくつも書かれていた。反魂の法や移動魔法、人体生成すら書かれている、どれも机上空論から抜け出せないと言われていたものばかりだ。
自然法則や物理法則を無視した魔法と言えど限界はある。それは倫理的に追及することを禁止されただけではない、理論上不可能だからだ。
それなのに眉唾だと一蹴することの出来ない記録と実験結果がそこには載っていた。
中でもレオンの目を引いたのは人体にのみ作用する強大な攻撃魔法だ。記録によれば一撃で生命を奪える程の威力らしい。
もしこれが本物ならばー。
「これで…」
願いが叶う。自分を苛 むあの二人を消す事ができる。
現存する魔法は強大なものもあったが深手を負わせるのが限界だ。そうなれば次の手を打つ前に反撃のチャンスを与えてしまう。ましてや二人同時に攻撃するとなれば圧倒的不利に陥ってしまう。戦闘に関しては八雲もフィオナもかなりの手練れだ。バラバラに倒そうとすれば一人を消した時点で警戒され長期戦に持ち込まれてしまう。そうなればこちらも深手を負うだろうし逃げたされてしまう可能性だってある。
不意を突いて一撃で、何度も頭の中でシュミレートしていたがどうしても二人同時に倒す事が出来なかった。
けれどもうそんな夢想を繰り返す必要は無い。複雑な詠唱も動作も必要ない、簡単に複数人を葬り去る事が出来るのだ。
逸 る気持ちを押さえて書庫を後にする。
新たな計画を幾つも頭の中で回転させていく。
いつ実行するかどうやって招き出すか、出来るだけ早い方が良い。けれどアリーシャに気付かれないように慎重に。予備実験も必要だろう。
もうすぐ。
もうすぐあの子を取り戻す事ができる。あの淡い夢の続きを現実に手に入れられる。レオンは自然と口角が上がるのを感じていた。
「ただいま」
買い出しから戻ったアリーシャが声をかけるが返事は無い。
「あ、れ?」
今日は珍しく皆が家にいる日の筈なのに屋敷は水を打ったかのように静まり返っている。
急な予定でも入ったかと思ってスマホを見るが連絡は入っていない。
不思議に思いながら荷物を片付けていたアリーシャが目を見開く、漂う空気の中に僅かな血の匂いを感じたからだ。
気配を消して神経を研ぎ澄ませる。もう誰も殺さないと約束したがそれでも戦い方を忘れた訳ではない。
音も無く階段を駆け上がり人の気配を探す。血の匂いは少し濃くなるが物音は何もしない。
何が起きたのだろう。頭の中で嫌な考えが膨らむ。まさかイヴが襲撃してきたのだろうか。そう考えると身体が震えそうになる。
(ダメっ!!)
頭を振って怯える身体を叱責する。もしそうならば皆を守らなければ、もうあの男に何かを奪わせたりしない。
(無事でいて…)
心の中で何度もそう祈りながら血の匂いと気配を追う。
「そんな…」
屋根裏のドアを開けた瞬間押さえていた声が洩れてしまう。
板張りの床は血の海に変化していた。
赤い水溜まりの中に八雲とフィオナが倒れている。何かを考えるよりも先に身体が動いた。
「八雲!フィオナ!しっかりして!!」
噎 せ返る血の匂いの中生命反応を確かめる。脈はある呼吸もしている、けれど言葉は発する事は出来ないようだ。
まだ生きている、けれど一刻の猶予もない状態だ。身体から血の気が失せてまた震えそうになる。早く何とかしないと。
「思ったより火力が弱いな」
爆発しそうな程煩く鳴る心臓の間から声が響く。見上げるとレオンが灯り取りの窓を背に立っている。
顎に手を当てて何かを考えているように首を傾げてる。
縺 れそうになる足をどうにか動かしてレオンの元へ駆け寄った。
「というか、コイツらの体力がバケモノ並みなのか…」
「レオン!何があったの!?レオンは怪我してない?平気!?」
レオンの服の裾を掴んで一呼吸で捲し立てると優しく頭を撫でられた。
「悪い、帰ってくるまでに全部終わらせようと思ったんだけどな」
「レオン?」
名前を呼んだが声が掠れてしまう。肺の奥から何かがせり上がって思うように呼吸が出来ない。
「あ、下におやつあるよ?食べて待っててくれたらその間にー」
「ーなんで…」
何でそんなに普通でいられるの?
最後の方はもう言葉にさえならなかった。自分に語りかける声は余りに穏やかで静かだ。
だからこそおかしい、二人が死にかけているのに。
(何で笑っていられるの?)
震えが止まらない。言い知れない恐怖に身体が後退 る。
「あ、一緒に食べる?あーんしてあげよっか?」
出掛ける前と何一つ変わらない笑みで軽口を叩く姿は目の前の光景とは余り気駆け離れていて混乱する。
おかしいのは自分なのだろうか、自分は夢か幻覚を見ているのだろうか。
いやいっそ夢であって欲しい。視覚と聴覚から入る情報に頭は考えたくもない結論を導き出す。二人をこんな風にしたのは。
「じゃ、直ぐに終わらせちゃうね」
レオンの手から幾本もの光が現れ弾幕となって放たれる。光の群れは曲線を描いて降り注ぎフィオナの頭を狙う。
「ダメ!!」
反射的に身体が動く。腕を伸ばしそこに防壁を作り落ちてくる弾幕の軌道を逸らす。
広範囲を庇えないが防御能力を一点に集中させ硬度を上げる、迫る攻撃は受け止めるよりも逸らした方が負担は軽減する。どちらも戦いの中で学んだ経験則だ。培われた素早さで弾幕を弾いて行くが数は余りにも多すぎた。
「あっ!!!」
腕に衝撃が走り吹き飛ばされる。床に転がり身体を起こそうとするが思うようにバランスが取れない。
体制を立て直すため手を付こうとしたが何故かそのまま倒れてしまい顔を床にぶつけてしまった。
「…え?」
訳が分からないまま上半身を起こす。目の前に映るはずの手が見えない。
右腕が無い。
指先から腕の付け根までが消えている。腕の代わりに傷口が見えた、赤い肉の中に白い骨があって血がだくだくと垂れている。
視界の端に血溜まりに転がっている傷だらけの腕が見えた。
まるで世界が沈黙したように音が何も聞こえなくなる。
「あああぁぁぁぁーーー……」
絞り出すような悲鳴が聞こえる。それが自分が発している声だと気付くのにだいぶ掛かった。
悲鳴を上げるつもりはないのに声が止めどなく溢れる。事態を頭が飲み込もうとするが心が拒絶する。
残された左腕で頭を押さえるとレオンに優しく抱き締められた。
「ごめん…ごめん…痛いよね」
背中を撫でられ「兄」のような優しい声で慰められる。その所為で頭はより混乱する。
怒ればいいのか悲しめばいいのか恨めばいいのか拒絶すればいいのか受け入れればいいのか。
ぐるぐると目まぐるしく変わる感情に痛みが覆い被さる。未だ流れ続ける血、傷に対して出血が少ないのは血管が焼き切れてしまったからなのだろう。
波のように襲う痛みだがそのお陰で頭は冷静になっていく。
自分の腕の先に見える倒れた二人。弾幕は全て弾いたがそれで問題が解決した訳ではない、死へのカウントダウンは刻一刻と迫っている、早く助けなければ。
二人の元へ向かおうと手を伸ばす、アリーシャは気付かなかったがその様子を見たレオンが眉を潜めた。
「っ!」
足に強い圧迫感を覚えた瞬間立ち上がる事が出来なくなっていた。どんなに力を入れても起き上がる事が出来ない、レオンに抱き締められたまま振り返ると伸ばしていた足に光の針のようなモノが幾つも刺さっている。
レオンがアリーシャの身体を優しく横たえる。抗おうと暴れると腕にも針が打ち込まれた。
痛みは無い出血も無い、けれどうつ伏せのまま手も足も床に磔にされてしまう。どれだけ抵抗しても針は少しも動かない、魔法も打ってみるが擦り付けてしまう。こんな魔法、文献でさえ読んだ事がない。
「今度はジャマしちゃだめだよ?」
まるで小さな子に言い聞かせるように頭を撫でながらそう言うと二人の方に向き直ってしまう。
ああ、やっぱり二人を傷付けたのは。
当たり前の事を今さら理解する。
レオンが二人の方へ歩いてゆく。
(どうして…)
どうしてこうなってしまったのだろう。
ケンカはいっぱいした。それでも大切な家族で仲間だと思っていたのに。
腕が無い。
傷口が痛い。
違う。
そうじゃない。
二人が死んじゃう。
死んでー。
爆発音が室内に響く。衝撃波が窓をガタガタと揺らした。
「ぐっ……あ゛あ゛あ゛ぁぁああ」
咆哮に近い叫びがアリーシャの口から溢れる。吹き上がった血が壁や天井を赤く染めていく。
意識さえ奪い兼ねない痛みにアリーシャは転げた、腕と両足を残したまま。
どんなに抗っても針は抜けなかった。だから最大の火力を込めて魔法を打ったのだ自分の腕と足の付け根に。
視界が赤く染まる、痛みで涙が止まらなくなる。もう手も足も無くなってしまった、けれど今はそれを問題視してはいられない。
目を見開いて呆気に取られているレオンを余所にアリーシャは床を這い八雲の上に覆い被さる。
「アリーシャ…」
漸くレオンが口を開いた。
「どいてくれないかな?」
憐愍 のこもった声でそう言われるがアリーシャは頭を強く振る。赤かった視界は白黒へと変わり霞んでいく。身体中が冷たくなり意識が飛びそうになるが気を失う訳にはいかない。
「いやだ!二人を助けてくれるって約束してくれるまでどかない!!」
言葉を発する度に目の前がチカチカする、絶えず襲う痛みで口の端から唾液が溢れ止まらない。それでもまだ意識を手放す訳にはいかない。
「どいてくれないと手当ても出来ないよ?」
教え諭すような声はまるでこちらが酷い我が儘を言っているようにも聞こえる。
それなら我が儘でもいい。
微かだが重なった体から鼓動を感じた。二人ともまだ生きている。
「二人を殺したらレオンの事嫌いになる!もう絶対に好きになんてならない!!」
自惚れが過ぎるのかも知れない「だから?」と言われればそれまでだしそもそも腕も足も無い子なんてもういらないかも知れない。
けれど意識を保つのがやっとのアリーシャにはもう他の考えは浮かばない、自分自身に賭けるしかない。
ゆっくりとレオンが近寄るとアリーシャを抱き上げる。自分の服が血で濡れて行くのを気にも止めず抱き締めた腕に力を入れる。
「分かった。分かったから手当てさせて。このままじゃアリーシャの方が死んじゃうよ?」
慰めるように背中を優しく叩かれた。寒さで身体が震える、これ以上の出血は危険だと自分でも分かっていた。けれどまだ眼を閉じる訳にはいかない。
「本当に、二人を助けてくれる?」
「約束する」
そう言ってアリーシャの額に口付けをレオンは落とす。
嘘か疑いをかける力は残されていなかった、安堵して目を閉じると意識は暗闇へと溶けて行った。
ヒトはどんなに世界が変わっても劣悪な状況に落とされても順応しようとする性質を持っている。そうしなければいずれ淘汰されてしまうからだ。
ならばこの生活に未だ馴染もうとしない自分はいずれ消えてしまうのかもしれない。
自室の天井をぼんやりと眺めながらアリーシャはそんな事を考えていた。
あれから何とか命を取り留めレオンに面倒を見てもらう形で半月が経った。腕も足もなくなった、けれどそれで二人が死なずにすんだのなら惜しくは無い。
あの日以来会えてはいないが。
どんなに食い下がってもレオンは二人に会う事を許してはくれなかったし何処にいるのか聞いてもはぐらかされてしまっていた。もしや二人が死んでしまったのではと顔を曇らせると「約束は守ってるから」と宥められた。その姿から嘘を吐いているようには見えなかったし何よりも気持ちが二人の死を想像することを拒んでいた。
レオンの事を信じたいし信じるしかない、それでもその程度では心は晴れず疑心暗鬼が募るばかりだ。
突き動かされるように寝返りを打つと枕元のタブレットに顔を近付ける。退屈しないようにとレオンが用意したものだ。視線と瞬きで操作する事ができるように改造されている。
何度目か分からないメッセージを二人に送るが相変わらず返信はない、その事が余計にアリーシャの気持ちを曇らせた。
「・・・・・・」
神経を研ぎ澄ませて気配を追う。部屋の外には誰もいないようだ。こちらが心配になる位甲斐甲斐しく面倒を見てくれるレオンだがそれでも四六時中一緒にいる訳では無かった、仕事だったり自信の生活だったりと1日の間に何時間か席を外す。
動くなら今だろう。教えてくれないのならこちらから調べるしかない。
レオンの部屋になら何かしらの資料か痕跡があるだろう。上体を起こすのにも難儀な身体だがベッドの端まで転がるとそのまま身体をベッドから落とした。
落下の衝撃に身を構えたが身体はぽすりとクッションに包み込まれてしまった。
ずっとベッドにいたので気付かなかったがベッドから下の床には幾つもクッションが敷き詰められているしそれ以外の床は毛足の長いカーペットが広げられている。
アリーシャがベッドから落ちても平気なように、多分そういうことなのだろう。
申し訳なさに目を伏せるが絆 されている場合でもない、時間が無いのだ。
腹筋と背筋を酷使して床を這う。思うようには進めないが転がると目が回ってしまうためこの方法しかない。
どうにかドアの前まで這うと新たな問題が浮上した。ドアが開けられないのだ。今のアリーシャの身体では上体を起こしてもドアノブまで届かない、このドアが開けられないという事はレオンの部屋のドアも開けられないという事だ。ましてやレオンの部屋には鍵が掛かっているかもしれない。
魔法で壊すか、いや音で気付かれてしまうだろう。
逡巡しているとドアが開いてレオンが入って来る。
「あっ…!」
思わず動揺したのは一瞬冷涼な瞳を向けられた気がしたからだ。気付かれてしまっただろうか。
二人に会う事を許してくれないレオンだ手掛かりを追うことも嫌がるだろう。怒られるかもしれない、いやそれ以上の事が起こるかもしれない。
不安が身体を覆ったがレオンの方はちょっと首を傾げると困ったような顔をする。
「怪我、してない?」
ベッドから転げ落ちたと思われたのだろうか。黙って頷くとレオンはアリーシャの身体をベッドに戻してくれる。
この場合連れ戻されたと言った方がいいのだろうか。本当は全部気付いていて敢えて何も言わないのかもしれない。
自身の膝の上にアリーシャを乗せるとレオンは傷がないか丹念に触診していく。
「はっ…恥ずかしいよ」
アリーシャが嫌がって身悶えしてもレオンは止めない。
「誰も見てないよ?」
何気無く吐かれた言葉だがアリーシャの胸には酷く重く突き刺さった。つまりこの屋敷には今二人はいないという事だ。嫌な考えが頭を過る。
「八雲とフィオナは?」
恐怖に突き動かされて思わず聞いてしまう。この質問もいったい何度したか覚えていない。
「…生きてるよ?」
素っ気なく返されてしまう。いつも優しいのにこの話の時だけは本当に興味がなさそうにレオンは話す。
「会わせてはくれないの?」
もう元の生活には戻れない事は分かっていた。それでも二人に会えないと侘しさは募る。会って元気な姿を確かめたい。消沈していると頬を両手で挟まれた。
「会ったらあっち行っちゃうだろ?」
アリーシャの瞳を覗き込むレオンの目は何故かこちらも悲しそうだ。
「オレと二人きりは、嫌?」
そう言われて慌てて首を振る。この生活が嫌な訳ではない、レオンは生活の面倒を見てくれるだけでなく気持ちも持ち上げようとしてくれる。楽しい会話をしてくれたり時折庭に連れ出してくれたり、こちらが心配になるくらい目をかけてくれている。
「…ごめんね」
沢山気に掛けてくれるのは嬉しい、けれどその所為でレオンは自分の生活を削っているのではないか。
「何で謝るんだ?」
「レオン寝てる?ちゃんとご飯食べてる?」
レオンは不満を顔に出したり愚痴ったりしない、だから逆に不安になる。いつか疲れて倒れてしまうのではないかと。
「いつも一緒に寝てるだろ?」
確かにこうなってからは毎晩アリーシャはレオンの腕の中で寝ている。最初は恥ずかしくて嫌がったが寝返りでベッドから落ちないようにと諭されて二人でくっついて眠る事になった。
けれどアリーシャが痛みや悪夢で魘されている時はいつも撫でて起こしてくれる。本当にちゃんと眠っているのだろうか。
困った顔をレオンに向けると強く抱き締められた。
「オレは今幸せだよ?」
本当に楽しそうレオンが言う。でも何でそこまで楽しいのかは分からない。
「腕があるから抱きちまうんだ。足があるから行っちまうんだ」
「え?」
珍しくレオンの声が聞き取れなかった。おまじないのように素早く囁かれた言葉。何なのか分からなくて首を傾げるとレオンは静かに首を振った。
「何でもない。ご飯にしよっ?」
アリーシャの頬に口付けるとレオンは部屋から出ていく。再びぼんやりと天井を眺める。
こんなことになってしまった大元を考えるのは止めていた。今さら考えた所でどうにもならないし無意味だからだ。
それでもふと思ってしまう、こうならない道も本当はあったのではないかと。何をどうすれば良かったのかは見当もつかないが、それでも自分が何とかしていれば自分が何かをしなければあの穏やかな日々は壊れなかったのではと思ってしまう。
目が少し熱くなった瞬間、レオンが戻って来たので慌てて顔を枕に押し付ける。
「どうかしたか?」
「…………何でもない」
食事の入ったトレーをベッドの脇に置いてレオンはアリーシャを膝の上に抱える。
こんな状況になってしまってから食欲も殆ど無くなってしまっていたがレオンはいつも一人前を用意してくれる。
湯気の立つハンバーグを小さく切るとアリーシャの口へ運ぶ。咀嚼しているとどことなく違和感を覚えた。
お肉がザラザラとしていて上手く飲み込めない、下味の香辛料も噎 せそうな程強いし掛けられたソースもべったりと甘い。不味いという訳ではないが何となく味がちぐはぐなのだ。食欲は無かったが味覚は変わっていない筈だった。レオンが作る料理はいつも美味しい筈なのに。
「ん?」
きっとしかめっ面をしていたのだろう。レオンが困った顔をしている。
「あっ…ごめん!何でも…」
折角作ってくれたのにそれだけの理由で嫌がるなんて失礼だ。論評なんかする気はないし熱か何かで味覚がおかしくなっているだけかもしれない。
ただどうしても次の一口を食べる気になれない。そうするとレオンは益々困った顔をして自分の口へも一口運ぶ。
(ごめんなさい…)
我が儘を言うつもりは無かったのに結果凄く困らせてしまっている。ハンバーグを飲み込んだレオンが小首を傾げる。
「美味しくなかったかなぁ?アリーシャのおてて」
何か言葉を注ごうと思った。けれど何も出てこない。自分の味覚がおかしくなったんだと言いたかったし思いたかった。頭が牛乳を溢したように真っ白になって何も考えられなくなる。何かが気道に詰まったように呼吸が出来なくなった。
(何を……)
言ってるの?レオン?
違う。
違う。
「僕は…」
何を食べたのー?
「………………ぐッ」
恐ろしい早さで頭が回転を始め脳の神経を繋いでいく、全てが繋がり終わった瞬間胃に殴られたような痛みが走った。
「がっ…えっえ……あ…うっ……」
口から未消化の食事が溢れ出てくる。手がないから口を押さえる事が出来ずに服が吐瀉物で汚れていく。
レオンが背中をさすってくれるが吐き気は止まらない、それどころか手の温かさが気持ち悪くてまた戻してしまう。
中身を全部だして唾液と酸液しか口からダラダラと垂れなくなっても胃は痙攣し続けた。
呼吸が出来ずに喉が焼け爛れていく。
「…いやだ…」
何とか小さな声でそれだけ言うと酷い虚脱感に襲われ意識が遠退いていく。
何も考えたくない何も見たくない心の奥がそう告げている。身体はそれに応じてアリーシャの意識を闇へ沈めていった。
(何で……)
瞼を閉じる瞬間見たレオンの顔はどうしようも無い位優しく笑っていた。
虚ろな目で天井を眺めるアリーシャをレオンの手が優しく撫でる。
アリーシャが殆どの反応を示さなくなってどれくらいの時間が経っただろうか。最初は懸命に会話をしたり食事をしたりと「普通」であろうとしていたがいつ頃か食べても食事を戻すようになった。
身体が受け付けなくなったらしく無理に飲み込んでも吐き出してしまう。やがて食べる事事態に怯え何も口にしなくなった。
眠る時間が増え会話に応じなくなり笑うことも泣くこともなくなった。
ただ1日ぼんやりと視点の定まらない目で室内を見ている。
それでもレオンは前と変わらない生活を送り続けた。毎日話しかけて一緒に寝て愛を囁いて。穏やかで満たされた日々。
一頻 り愛しい身体を撫でた後抱き上げて起き上がらせる。
「ミルクティー淹れたけど、飲む?」
返事は無い。けれどコップの縁を口に当てるとコクコクと飲んでいく。時折こうして水分を取ってくれるだけまだマシなのかもしれない。
「美味しい?」
「……………」
「蜂蜜入れてみたんだけど?嘗めてみる?」
紅茶と一緒に用意した蜂蜜を指で掬いアリーシャの口元へ差し出すと小さな舌がちろちろと蜂蜜を嘗め取っていく。
以前ならこんなこと恥ずかしくてしなかっただろうに。
(カワイイ…)
目は虚ろなのに懸命に蜂蜜を嘗めているみたいで愛しさが募る。
舌先が指の付け根をつつくと下半身に妖しい疼きが走った。
「フフッ…煽ってる?」
笑いながらもう一度蜂蜜を掬うと今度は怯えさせないようにそうっと指をアリーシャの口の中に入れる。
抵抗することもなく小さな口は蜂蜜を啜っていく。
レオンは少し安堵した、これならと思った。けれど3回目に指を差し出すと小さくイヤイヤをして目を閉じてしまう。
「眠い?」
否定も肯定もない、ただ小さな寝息が規則的に聞こえる。どうやら既に夢の中のようだ。
起こさないようにその身体をベッドに横たえると毛布を掛ける。薄掛けでは肌寒い季節になってきた。
「これもそろそろ変えないとな」
室内の灯りを一段階落とす、外の空気をアリーシャが嫌がるようになったので窓とカーテンは閉めきってある。
ベッドの端に腰掛け寝顔をゆっくり観察する。
このままではいけない事は分かっていた。このままでいけは食事の取れないアリーシャはいずれ弱って死んでしまう。
それでもレオンは今のアリーシャが美しいと感じていた。頬は痩けてしまい目の辺りも窪んでいたが儚くて花車 でこの世の何よりも美しく見える。
好きだと言う想いは潰 える処か日増しに強くなっていく。それでも以前のようにほの暗い気持ちにはなったりしない。温かく慈しみ深い感情で満たされていた。愛しい恋人と二人きり、幼い頃から描いていた世界が現実になっているのだ。
頭の片隅ではどうにかしなければと警鐘が鳴っている。勿論死なせる気など更々無い。けれどこの美しい造形をもっと見ていたい衝動にも駆られていた。
「悩ましいな…」
レオン苦笑いをすると大好きな恋人に口付けをした。
微かな呼吸の音と心臓の鼓動が聞こえる。それ位室内は静けさに包まれている。霞む視界の先にレオンがいた、その眼はひどく寂しそうだ。
もう何も思うように考えられない、意識も記憶も朧気で繋ぎ止める事が出来なくなっていた。
それでも1日の内、ほんの僅かな時間意識がはっきりする瞬間がある。レオンもその事に気付いたようでその時間を大切にしようとしてくれている。優しく話しかけられる時もあったが大抵は黙って過ごした。何も話さずに頬を寄せ合ったりキスをしたり暖かい沈黙を与えてくれる。
「ご飯食べる?」
優しくそう言われたが首を横に降ってしまう。食事と言う概念がすっぽりと抜け落ちてしまったみたいだ。自分の首に刺さる針とそこから伸びる細い管を見る。今自分の命を繋ぎ止めているのはこの点滴だけだ。
(…ごめんね)
そう言いたかった、けれど口から空気か漏れるだけで声が出ない。大丈夫だよって笑いたかった。けど顔の筋肉がもう思うように動かない。
「無理するな」
レオンは笑って頭を撫でてくれる。視線だけで分かるなんてやっぱりお兄ちゃんは凄いな。
レオンが口付けをしてくれる。口元は笑っていたけれど眼は相変わらず少し寂しそうだ。
寂しいよね。こんな広い屋敷で話してくれるヒトもいなくて、皆がいた頃は賑やかだったけど。
僕がこのまま死んだらレオン一人ぼっちになっちゃうよね。だってもうここには誰もいないのだから。
二人ともいなくなってしまった。
八雲。
フィオナ。
「…会いたい」
唇が離れた瞬間その言葉がアリーシャから溢れた。
どれくらいぶりだろう言葉を発したのは。
「八雲とフィオナに会いたい…」
感傷に浸るつもりはなかった。でも自分の命がそんなに長くはない事も何となく分かっていた。このまま二人に会えずに消えてしまう、そう思うと涙が溢れて止まらなくなった。
「会ったら、元気になってくれる?」
頷くことは出来ない。自分でもどうなるかは分からないからだ。それでもレオンはちょっとだけ困った顔で笑うと抱き上げてくれた。
「寒いから上着きないとな」
涙をタオルで拭われながらアリーシャはその言葉に小さく頷いた。
厚手の上着にくるまれてアリーシャはレオンの腕の中にいた。鼓動と温かい体温が身体を包む。
二人に会える。か細い鼓動が少しだけ強くなる。今の自分では駆け寄ることも会話することだってろくに出来ないだろう。だけどそれでも良い、話せなくても二人の姿がもう一度見れるだけで充分だ。
霞んで行きそうになる意識を必死で留める。
てっきり外へ出ると思っていたのにレオンの足は地下室へと降りていく。不思議に思ってレオンの顔を見上げる。
「肉体は損傷が激しくて修復出来なかったからね」
深い霧の中に意識が溶けそうになる、その所為でレオンの言葉を頭が理解出来ずにいる。
何をいっているのだろう。
「でも生きてる」
そう言って地下室の電気をレオンが付けた。
作業用のテーブルが灯りに映し出される。白熱灯の灯りが目に入り痛かったがアリーシャは目を閉じる事が出来なくなった。耳鳴りが酷くて頭が痛い、耳の奥で硝子が砕けるような音がした気がした。
テーブルの上には培養液が二つ並べられておりその中には淡い色をした脳が二つ浮かんでいた。
レオンは嘘など吐いていない。二人とも生きていた。
二人とも生きている。
生きてー。
「……っ!!!」
頭の中で何かが砕けた瞬間レオンの首に噛み付いていた。
いったい何処にそんな力が残っていたのか分からない、歯は皮膚を食い破り肉を裂いて血管を千切った。
夥 しい量の血が吹き上がる。流血はアリーシャの顔と身体を赤く染めただけでは飽きたらず足元に大きな血溜まりを作っていく。
レオンの膝がガクリと折れる。
「アリーシャ…?」
不思議そうな目をしながらレオンが赤い水溜まりに倒れた。
「アリー……あ」
尚もアリーシャを抱き締めたままレオンは数回痙攣を起こすと動かなくなった。
静寂が訪れた室内でアリーシャは身動ぎ一つ出来ずにいた。
殺してしまった。大好きなお兄ちゃんを。優しくて暖かくて約束を守ってくれたのに。
温かかった血はあっという間に冷たくなり錆びた匂いを漂わせている。
その血に包まれてアリーシャはテーブルを見上げる。今の自分に二人の生命を維持させる手段は持っていない。
結果的に二人も殺してしまった。もう誰も殺さないと約束したのに。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
声が出なくなっても心でそう言い続けた。涙は出なかった、泣くなんて烏滸がましいと思ったから。どうしたら自分を罰する事が出来るのかそれをずっと考えた。
やがて意識が蝕まれ始め思考が纏まらなくなっていく。
これでいいと思った。
あと数回、眠りと覚醒を繰り返せば自分も死ぬだろう。
それでいい。
願わくは地獄がありますように。
この魂が終わりのない苦しみに落とされますように。
鼓動の聞こえなくなった腕の中でアリーシャは静かに目を閉じた。
ーepilogueー
沈黙が支配していた地下室に靴音が響く。白熱灯の灯りが顔の半分を覆った仮面に反射すしてその容貌を浮かび上がらせる。
イヴは血溜まりの中に落ちていた幼い身体を拾い上げた。
「随分おもしろい事になったな」
そう言いながらアリーシャの首元に手を当てる。僅かだが脈を感じた、これなら充分に延命させられるだろう。適切な処置を行えば何れ意識も取り戻すだろう。
「さて…」
意識を取り戻した時、自分が生かされていると知った時そして誰に生かされているのか分かった時この子はどんな顔をするのだろうか。
「まだまだ絶望してもらうよ?」
アリーシャもよく知る困ったような笑みを浮かべて幼い身体を肩に担ぐ。
「それにしても…」
床に転がる骸を仮面の奥の瞳が一瞥する。
おもしろい結果になったものだ。
ヒトは誰しも極端な妄想をする事がある。けれど多くの人間は想うだけで実行には移さない。
その境目とはいったい何処にあるのか。
まずは精神的に追い詰めてみた、それでも被験者は行動には出なかった。
だから次は力を与えてみた。これには結果が如実に出た。
どう転んでもイヴにとっては良かったが結果は被験者事態も破滅に導いて終演を迎えた、アリーシャ一人を残して。
なかなか満足の行くモノではないだろうか、少なくとも退屈しのぎにはなっただろう。
「行こうか」
今だ眠り続けるアリーシャを抱えイヴは暗闇へと消えて行った。
おまけ
あの日あの時あの場所で~全員生存route~
どうにもならない呪いの言葉を心で吐きながら目を閉じる。眠りに落ちそうになるのをどうにか堪えていると人の気配がしたので再び目を開く。
「アリーシャ?」
見れば夢に観る程大好きな恋人が困ったような顔をして立っている。
「用事があるんじゃなかったのか?」
アリーシャの行動は逐一把握している、でも何となく言葉を濁してしまった。
「ん…フィオナにお願いして明日にして貰った」
思わぬ答えにポカンとしてしまう。アリーシャは真面目な子だ、約束は守るし仕事も手を抜いたりサボったりなどしない。
そんな子が予定を先伸ばしにしてまで自分の元に来たのだ。何か重大な問題が発生したのだろう。少しだけ身構える。
アリーシャの方も言葉を発するのを躊躇っているようで落ち着かない。
取り敢えず自分の隣に座らせて考えが纏まるのを待つ。
「お茶淹れようか?」
アリーシャが小さく首を振る。必死で言葉を選んでいるようで口を開きかけてはまた閉じてしまう。あまり良い話では無いのかも知れない。最悪の考えが頭に浮かぶ。
もう自分と一緒に居たくないと言われたらどうしようか。先程の光景が脳裏に浮かぶ。
幼い日の残像を残してアリーシャは自分からどんどん離れてしまう。
これ以上離れたくないのに。
行かないで。
思考が混沌とした闇に染まっていく。
あの二人がいなくなればアリーシャは戻って来てくれるだろうか。
あの二人さえいなくなれば。
「レオン最近元気ないなって…」
突如出たアリーシャの言葉に虚を突かれてしまう。確かにここ数日は眠気とだるさに支配されていたがそれでも普段通りに振る舞っていたつもりだ。事実八雲もフィオナも何も気付きはしなかった。
「だから何かあったのかなって」
真っ直ぐに紫苑色の瞳に見つめられる。大好きな瞳なのにどことなく居心地が悪くて目を反らしてしまう。
「何も…」
すげなく答えてしまう。本当の事を言えばきっとアリーシャは軽蔑して自分のことを嫌いになるだろう。自分だって出来るならこんな感情を見たくはなかった。
「でもレオンずっと何か考え込んでるみたいだし、だから・・・・」
珍しく食い下がってきたアリーシャの口に人差し指を当てて沈黙させる。
これ以上話されたらきっと腹の奥にある醜い感情を覗かれてしまう。
見ないで。
誤魔化すように口角を上げると指でアリーシャの顎を持ち上げた。
「詮索する口は塞いじゃおうかな?」
唇を近付ける。きっと「真面目な話をしてるのに」と怒って立ち去ってしまうと思った。
けれどアリーシャは逃げなかった。少し困ったような顔をしたが相変わらず真っ直ぐにこちらを見ている。
「あのね…」
唇が触れそうになる瞬間アリーシャが口を開いた。
「僕、もう子供じゃないから…」
この言葉には吹き出しそうになって思わず顔を離してしまう。頭から足先までアリーシャは小さな子なのにいつも大人であろうとする。その必死さが愛らしくておもしろいのだ。
とは言えそんなことを言えばアリーシャは怒るだろうから必死で笑いを堪える。
「だから…悩みがあるなら一緒に考えるし、仕事が大変なら僕が代わりにするから」
恥ずかしいのか話すアリーシャの顔は赤くなっていく。その姿をぼんやりと眺めていた。
「力になるから…側にいるから…だから一人で抱え込まないで」
見詰める目は悲しそうだ。寝不足のせいか上手く思考が纏まらない、アリーシャが言った言葉を何度も頭で反復する。
「オレが元気になるなら何でもしてくれるってこと?」
飛躍し過ぎただろうか、けれどアリーシャは少し考えると小さく頷く。まったく、純粋にも程がある。これで自分がアレをしゃぶれだの服を脱いで自慰をしろだの言い出したらどうする積もりなのだろうか。
離れていた顔を近付ける。
「じゃあオレの事もっとかまって」
欲望を素直に吐き出す。怒ったり恥ずかしがったりするかと思ったがアリーシャは困ったような顔をして首を傾げた。
「ごめん。かまうってどうすれば良いの?」
本当に純粋だ。
他の男に近寄らないで。
オレだけを見て。
ほの暗い願望は幾つも沸いてきた。そんな事を言ったらアリーシャはどうするだろうか、悲しむだろうか。悲しんで泣いたあと言う通りにしてくれるだろうか。果たしてそれで満足できるだろうか。
そんな事を考えていると強い眠気に襲われた。吸い込まれるようにアリーシャの膝に頭を預ける。
「レオン?」
「…………しばらく、こうしてて」
千載一遇のチャンスだったのかもしれない。アリーシャに叶えて貰いたい願いは幾らでもあった。でもこの温かさと心地よさに包まれるなら、些末な願いも悪くないと思った。
アリーシャの頬を撫でたり髪の毛を軽く引っ張ったりしてじゃれているとアリーシャが不意に微笑んだ。
「レオンは……寂しがり屋だね」
「ああ。どうしようも無い位、な」
否定はしない、しても何の解決にもならないからだ。本当はそんな可愛らしい言葉では済まない、嫉妬深くて独占的で大好きな恋人さえ悲しませてしまう位闇が深い。
でも寂しいのも本当の事だ。
「だから、いっぱいかまってくれないと泣いちゃうよ?」
本音を漏らす度漆黒の感情が昇華されていく。
「また膝枕すればいいの?」
予想を斜め上いく答えが返ってきたがそれも良いと思った。
「少し寝るわ」
もう少し話していたかったが限界だった。アリーシャの膝は気持ち良すぎる。
宣言するとアリーシャは微笑んだまま頭を優しく撫でてくれた。かつて自分が幼いアリーシャにそうしたように。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
静かに目を閉じる。同じ夢を観てももう闇色の感情には支配されないだろう。夢の先に微笑む君がいるから。
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