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Magia della dea
Amaro10%Dolce90%
柔らかな日差しが背中をぽかぽかと暖めてくれる。
屋敷までの道をレオンは楽しげに歩いていた。珍しく入った長期の仕事がようやく終わり家で待っている大好きな恋人の元へ急ぐ。
まだ日が高いからこれから色々出来る。一緒にお茶をして沢山話して抱っこでベッドまで連れて行ってそれからー。
きっとアリーシャは恥ずかしがってレオンの腕から逃れようとするだろう今日はどうやって騙して、もとい説き伏せようか。
楽しげな思案をクルクルと回転させながら玄関のドアを開ける。
「ただいー」
「本当にごめん!!」
ドアを開けるのとアリーシャがリビングから飛び出してくるのがほぼ同時だった。
驚いて幼い恋人を見るがアリーシャは泣きそうな表情を浮かべたまま階段を駆け上がって行ってしまった。
「んー…」
頭を擦りながらリビングへと向かう。憂いを帯びた恋人を一刻も早く慰めたいが事情も知りたい室内に入ると恐らく元凶であろう相手が居た。
困惑の表情を浮かべたままの八雲が呆然と立ち尽くしている。普段感情の起伏など殆ど無い男だからアリーシャに拒絶されたのが余程ショックだったのだろう。だからといって同情するような恩愛の心など持ち合わせてはいない。
「ふられてやんの」
寧ろ恋敵がアリーシャからの心情を悪くした事が面白くてしかたがない。笑みを浮かべて軽口を叩く。
「ちげーよ」
憮然と反論する八雲は何時もの無愛想な男に戻っていた。
「どうせ無理やり押し倒そうとして拒否られたんだろ?ポチは下半身に直球だから」
先程まで考えていた計画を棚にあげて八雲をからかう。
自分でも穢行だと分かっていたが好機を逃す積もりもなかった。上手く行けばしばらく八雲にはアリーシャを近づけさせなくできる。
「だから違うって言ってるだろ」
八雲はレオンを一度睨み付けるが直ぐに頭を抱えてしまう。
「ただコレを渡そうと思っただけだ」
「ーっ!」
ポチはセンスが無いから、そうからかおうとした言葉をレオンは思わず飲み込む。
八雲の手には小さなネックレスが握られていた。水晶の形をしたペンダントヘッドは下半分が紫色に染まっていて上半分には小さな薔薇が閉じ込められている。
「それ………どこで…………」
声が上ずりそうになるのをどうにか堪える。記憶の枝葉が大きく揺れて現実を飲み込もうとしている。記憶の中にある小さな硝子のネックレス。目の前のそれはあまりにも似すぎている、ネックレスは流行りの樹脂で出来ている見たいだがそれでもレオンを動揺させるには十分だった。
「露天で売ってたんだよ」
レオンの狼狽に気付く事なく八雲は頭を押さえたまま苦悶の表情を浮かべる。
何故拒絶されたのか、拒絶されたことよりも理解できない事に苦しんでいるようにも見えた。
「何でそれ買おうと思った?」
からかうのを忘れて詰問のような言い方になる。八雲はあの事を知らない筈だ。
「アリーシャに似合うと思ったからだ」
さも当然と言う風に答えた八雲を見てレオンは細く息を吐き出す、考える事は同じと言う訳か。
趣味も思考も真逆でお互いがお互い毛嫌いしているのに根底にある物は同じ。嫌悪を感じながらもレオンはそんな事を思っていた。
数回のノックの後ドアが開く。ベッドの上で膝を抱えたまま顔を上げるとレオンがちょっと困ったような笑みを浮かべて入って来た。
「隣いい?」
アリーシャが黙ったまま頷くと隣に腰かけたレオンが頭を抱き寄せる。
「八雲に…酷い事しちゃった」
弱々しくそう漏らすその姿は余りにも頼りなくてレオンは腕に力を入れる。
「アリーシャも覚えててくれたんだ」
「忘れたりしないよ」
アリーシャが五歳の誕生日にレオンがプレゼントしたネックレス。
八雲が渡そうとしたのは瓜二つの品に見えた。
「アレ見て嫌な事思い出しちゃった?」
あのネックレスを渡してからしばらくしてレオンが事故に会いアリーシャも組織に捕まって殺戮兵器として育てられイヴにー。
悲しい過去と共にあのネックレスも一緒にあった、アリーシャにとっては見たくもないのかもしれない。
けれどアリーシャは小さく首を振る。
「違う………あのネックレス、宝物だった。大切でずっとずっと心の支えで…」
辛い現実の中でもあのネックレスが心の拠り所だった。どんなに酷い仕打ちを受けてもネックレスを見て優しい記憶を思い出しては耐えていた、アリーシャの口からはそう語られた。
でもそうならば何故あそこまで拒んだのか。
「恐い…………」
レオンが思案に明け暮れているとアリーシャは小さな声を漏らして手をぎゅっと閉じた。
「また壊しちゃうのが…恐い。宝物を守れないのが嫌なんだ」
這い寄る記憶に怯えてアリーシャは震える。
「あれは……アリーシャの所為じゃないだろ?」
思わず声を荒げそうになる。覗き見た記憶の中、アリーシャの首から外れたネックレスはイヴによって粉々に壊されてしまった。
何故あの男がそんな事をしたのか只絶望を植え付けさせたいのか、他に意味があったのかは分からない。それでもいなくなった今もアリーシャの心を縛りつけ蝕もうとしている。
冷たい記憶から守るようにアリーシャを自分の腕に閉じ込める。
「大丈夫だよ。オレ達が守るから。アリーシャも、アリーシャの宝物も」
ゆっくりと言葉を紡いで行くとアリーシャが顔を上げる。清んだ紫苑色の瞳は幼い頃と何一つ変わらない。
「恋人ってそういうものだろ?」
怯えさせない笑みを浮かべてアリーシャの目尻に溜まった涙を払う。
「アリーシャはどうしたい」
「僕は…」
レオンの問いかけにアリーシャはまた俯いてしまう。考えていると言うよりは言葉にするのが恐いみたいだ。
「…………大切にしたい」
それでもアリーシャは答えを出す。真面目で真っ直ぐで頼りないのに強い子だとレオンは感じていた。
「八雲が見せてくれた時…恐かったけど嬉しかった…」
まだ少し身体を強張らせながら、それでも懸命にアリーシャは話す。
「大切に……出来るかな?」
肯定の代わりに背中を撫でる。まだ幼くて小さくてそれでも懸命に出した答えに愛しさが溢れる。
「出来るよ。アリーシャはもう1人じゃないだろ?」
額を合わせて大好きな瞳を覗く。
「もう勝手にどこかに行ったりしないから」
誓うように囁く。守りたい、アリーシャもアリーシャが守りたいものも。守らせて欲しい。
慰めていた筈の心が昇華されるのを感じた。
アリーシャがゆっくりと頷く、ようやく笑ってくれた。
「八雲に謝ってくるね」
レオンの腕から離れたアリーシャはしっかりと立っていた。
「ちゃんと説明してくる。それで…今はまだ身につけられないけど大切にするって…」
整理のついた感情をレオンに説明していたが、そこでまたアリーシャの表情が曇る。
「虫がよすぎるかな?」
「ポチがそんな事言う訳ないだろ?」
最悪くすねてくるから、と言う言葉を飲み込んだのはアリーシャが嬉しそうな顔をして頷いたからだ。信頼されていると思うと迂闊にしゃべれない。
「そういえば…」
勢いよく部屋の外に出ようとしたアリーシャだったがドアノブに手をかけると首を傾げる。
「あのネックレスってどうやって手にいれたの?」
アリーシャとレオンの育った孤児院は貧しい。お小遣いだってそんなに貰えなかった筈だ。
アリーシャは不思議そうに見詰めるがレオンは人差し指を口元に当てて笑う。
「女神様の魔法、かな?」
「そう…」
納得はしなかったがレオンがはぐらかす事は良くあったのでそんなモノかとも思ってしまう。それに聞かれたくないことなのかもしれない、それを無理矢理聞き出すのも失礼だろう。
それよりも励ましてくれたことの方が嬉しい。
「レオン…………ありがとう」
素直にお礼をいうとレオンの口角が少し上がった。
「お礼は今夜ベッドでたっぷりしてもらうから良いよ」
アリーシャは不思議そうな顔をしたが遅れて理解が追い付いたようで顔を赤くしてドアを閉めてしまった。
「………」
アリーシャが出て行くとレオンはベッドに倒れ込んでしまう。
「何やってんだ……オレ」
折角アリーシャから八雲を遠ざける好機だったのに、敵に塩どころか砂糖の塊を与えてしまった。
「まあ…」
出ていったアリーシャの嬉しそうな顔を思い出す。
あの顔が見れたならば良いだろう。今日はそう言う日、という事にしておこう。
勿論このまま易々とアリーシャを渡す積もりはない。
幼い頃からずっと抱いていた恋心だ、あの子を誰かのものになんて絶対にさせないし何時かは一人占めする腹積もりだ。
(にしても…)
レオンは寝返りを打って記憶を辿る。まだ何もかもが稚拙で夢ばかり見ていた頃の事だ。
ゆっくりと目を閉じる。若干記憶は薄れてしまったがそれでも忘れることの出来ない思い出だ。あの日起きた事は本当に魔法でも掛かっていたのではと大人になった今でも思ってしまう。
それくらい不思議な出来事だった。
「………」
レオンは静かに記憶の箱を開いていった。
昇り始めた朝日が葉を散らした細い枝の間から差し込み甲高い音をした風が一陣吹き抜けると本格的な冬が訪れたのだと改めて感じる。
冷たい空気をいっぱい吸い込むとキンと肺が痛んだ。
孤児院がある山頂から麓までの道をレオンは急ぎ足で下っていた。
12月も初頭を過ぎた休日のこと、普段なら本を読んだりアリーシャと遊んだりして孤児院の外に出ることなど無いのだが今日は違っていた。
ずっと前から計画していたある事を実行するために一人あまり整備されていない山道を歩いていたのだ。
院長である先生や他の子達には学校の用事だと事前に言っていたが勿論嘘だ。計画の為事前に色々準備もした、先生に外出の許可を貰って自分より一つ下の女の子にアリーシャの面倒を見てもらうように頼んでおいた。アリーシャにも今日は一緒にいられない事を一応説明したが実感が無いのか大きな丸い目を一度きょとんとさせるとにっこり笑って手を降っていた。
世話を頼んだ女の子は12歳ながらにしっかりしているし他の子達もアリーシャと遊びたがっていたから半日は寂しい思いをさせずにすむと考えていた。
とはいえ早く行って早く帰ってくることに越したことはない、朝の礼拝が終わると飛び出すように孤児院を出たレオンを先生は目を丸くして見ていた。
(えっと…)
足を止めずに今日の計画を反芻する。
目的の場所まではかなり距離がある、体力的なペース配分も考えて行動しなければと自分に言い聞かせる。
けれどもこれから行く場所の事を考えるとワクワクする気持ちが押さえられずに駆け出しそうになってしまう。
結局逸る気持ちをどうしても押さえられずにいつもよりも速いペースで山を下って行ってしまった。
「着いた」
足を止めるとレオンは肺にあった空気を一気に吐き出す。
孤児院から目的の場所まで体感で約二時間といった所だろうか。帰りはもっと時間を取られるだろうしその事も考えて行動しないとだ。
帰りの時間を逆算しているレオンの前には賑やかな光景が広がっていた。
低い草地の上にはテントや幟がいくつもたっていて沢山の人が行き交っている。
毎年クリスマス近くの休日になると開かれる市だ。孤児院でもクリスマスは特別で貧しいながらもお祝いをするから子供達は皆その日を楽しみにしている。
でもレオンにとってはそのクリスマスよりももっと大切な日がある。クリスマスを過ぎた12月26日はアリーシャの誕生日だ。孤児院では誰かの誕生日の時には皆でおめでとうを言い合ってそれで終わりなのだがレオンとしてはどうしてもプレゼントを渡したかったのだ。
幼い家族に対する感情が恋心だと気付いた時には驚いて少し怖かったけれど与えて取られてばかりだった自分にアリーシャは沢山のものをくれた。
だから好きになるのはきっと当然の感情だし今はこの気持ちが誇らしい。まだアリーシャは小さいから告白しても理解してくれないだろう。だから今は想いを秘めておくけれどそれでもやっぱり好きな子の誕生日にはプレゼントしたいのが恋心だ。
レオンはお財布の入った鞄をぎゅっと握る。学校に上がった子は社会勉強も兼ねて孤児院の手伝いをすると僅かばかりだがお小遣いが貰える。レオンにとって孤児院の手伝いをするのは当たり前の事だったし特に欲しい物もなかったからずっと貯めていたのだ。
本当なら去年の誕生日もプレゼントを渡したかったのだがまとまった金額にならなくて諦めてしまい結局エリカで作った髪飾りをあげるだけになってしまった。
それでもアリーシャは凄く喜んでくれたけどやっぱり今年は形に残るものを渡したい。
(何が喜んでくれるかな…)
レオンは目の前に広がる光景をきょろきょろと眺める。露天には見たことの無い品物や食べ物が並びテントはどれもキラキラと飾り付けされている、行き交う人は皆笑顔でクリスマスに興味を持たないレオンでも少しだけワクワクさせられた。
大きな自然公園全体を使ったクリスマスの市は個人商店や遠くから出展している店舗が多い。レオンの狙いもそこにあった。ここでなら普通のお店で買うよりも珍しい物が安く手にはいると思ったからだ。
路銀を徒歩で抑えたからお小遣いもそれなりの金額になる。
「よしっ」
拳を一度握り気合いを入れ直す。何しろ露天の殆どを今日中に見て回る予定でいたからだ。
予め目星をつけた方が効率が良いのは分かっていたが何をあげれば喜んでくれるのか、一晩中悩んでもこれと言う物は出てこなかった。
駆け出すように楽しげな喧騒に飛び込む、最初に除いたのは人形を扱うお店みたいだ。
テントの中には真っ白な肌の少女人形達が見せつけるように豪奢なドレスを纏っている。
他にも白磁気で出来た人形や木やブリキで作られた兵隊人形もあった。
テントの一角にはぬいぐるみも置かれていて薄桃色のウサギや毛足の長い猫など愛くるしい動物達がつぶらな瞳でレオンを見つめている。
ぬいぐるみの一つを手に取ると柔らかな手触りが気持ちよくてずっと触っていたくなる。
(良いかも…)
早速ぴったりなものを見つけてレオンは嬉しくなる。茶色のクマのぬいぐるみはちょうどアリーシャが抱えられる大きさだ。
アリーシャが孤児院に来たときに持っていたぬいぐるみは里子に出た子にあげてしまっているから代わりにきっと大事にしてくれる筈だ。
(あ、でも)
大事にはしてくれると思うが大事にし過ぎたらどうしようか。寝るときも遊ぶときも常に一緒でその内自分と遊ぶよりもぬいぐるみと遊ぶ方に気が行ってしまったら。
何だか自分でプレゼントした物なのにぬいぐるみに対して嫉妬してしまう顛末が浮かんだ。
「…保留」
少しだけ意固地な気持ちになってテントを出る。
次に覗いたのは衣類の露天だ。
毛糸で編まれた暖かそうな洋服が並んでいる。
(ありかも…)
孤児院は山の上にあって寒いし冬服はあるとはいえ大体誰かのお下がりだから所々摩りきれていたりして充分に温かいとはいえない。
流石にコートは手が出せないが手袋や靴下ならレオンでも買える。アリーシャのサイズなら寸分違わずに選ぶ事が出来るからきっとぴったりのをプレゼントできる。
「あったかい!」と言って笑うアリーシャの顔が想像出来た。
「うーん、でも…」
考えてみればこれが初めてのちゃんとしたプレゼントなのだ、欲を言えばもう少しロマンチックな物が欲しい。
少し後ろ髪を引かれたが他のお店も見てみる事にした。
しばらく歩いて見つけたのはクリスマスの本を扱う店舗だ。子供が読む大きめな文字の本から重厚な物までどれも綺麗な挿し絵と装釘が施されている。
「これ、良いかも」
普段レオンとばかり遊んでいる為かアリーシャは同じ年頃の子よりも沢山字が読めたし言葉も知っている。
もし読めない本でも自分が読み聞かせれば良い。アリーシャを膝に乗せて本を読むのは何より楽しくて幸せな時間だ。
「あー……」
一際挿し絵の美しい絵本に決めようかと伸ばした手が止まる。
(絵本て、この先も持っててくれるかな?)
まだアリーシャは小さいけれどこの先も子供用の絵本を持っていてくれるか不安だ。
現に孤児院にはアリーシャよりも小さな赤ちゃんも入ってきている。アリーシャは優しいからねだられれば絵本をあげてしまうかもしれない。
(それは…ヤダな)
我が儘かもしれないがプレゼントはアリーシャだけの物であって欲しい。
レオンは持っていた絵本をそっと戻した。
「はぁ…」
公園の中心からずれた丘でレオンは座り込む。ほぼ市を一週してもこれと言う物が見当たらず落胆のため息を漏らした。
目を引くきらびやかな物は沢山あったがどれも何かが足りなくて結局何も買えずにいたのだ。
お昼もだいぶ時間を回ってしまっている。頭を冷やす意味も兼ねて少しだけ休憩することにした。
鞄から取り出したパンを齧りながらもう一度ため息を漏らす。
味気ない食事には慣れていたがそれでも今のレオンには陰鬱な気持ちに拍車をかけた。
プレゼントを決めかねていた理由の一つにレオンの手持ちが少ないこともあった。プレゼントしたいと思った物はどれも手が届かない金額で何度歯噛みしたか分からない。
貧しさには慣れていたがこう言う時に酷く困る。
レオンは学校を出たら孤児院を手伝う積もりでいた。それならずっとアリーシャと一緒にいられるからだ。
でもそうなると貧しいままだ。アリーシャにはなるべくこう言う気持ちを味わわせたくないのに。
「ジレンマ」
それでも自分が経営に回れば少しは建て直せると予想していた。先生は甘い所があるから見直せば切り詰められる場所があると思う。
「みぅ~」
ぼんやりと考えていると近くで甲高い鳴き声が響いた。
顔を上げると足元に茶と白の猫が寄ってきている。
「にゃう、にゃう」
細身の猫は警戒心がまるで無いように頭をぶつけてくる。その姿にレオンは小さく笑う。飼えないけれど猫は好きだ。
「ごめんね、あげられる物なんにもないんだ」
手をヒラヒラとさせて何も持っていない事を見せるがそれでも猫は離れようとしない。
ためしにパンをちょっとだけちぎって猫の前に差し出すと最初は興味深そうに鼻を動かしていたが一鳴きするとレオンの手に頭を擦り寄せて来た。
思わず笑みが溢れる。残りのパンを口に放り込むとそっと猫に触れてみる。
首輪をしている所を見ると誰かが連れて来たのだろう。レオンが撫でると嬉しそうに喉を鳴らした。懐こくて無防備な所を見るとちょっとだけアリーシャを想像させた。
「早く大人になりたいな」
暖かい体温を感じながら内に秘めていた想いを猫に話す。
そう遠く無い未来なのに全く想像が出来ない。それでも早く大きくなってアリーシャに好きだって伝えて二人で一緒に暮らしたい。今は足りない部分も大人になれば補えて大切なあの子を守れる、きっとそうなると考えていた。
「みふっ」
気持ち良さそうにお腹を撫でられていた猫が不意にするりとレオンの手を抜けて走り出す。
「あ!」
慌ててレオンも着いて行く。本当はまだプレゼントも買っていないしお別れするべきだと思ったがちゃんと飼い主の元に戻れるか心配になってしまった。
猫は迷う事なく人波を掻い潜って真っ直ぐ進む。その後ろ姿を追いかけながらレオンはお伽噺話に迷い混んだような気分になる。
広場を越えて常緑樹の間を抜けると大きな池の袂にぽつんとお店が一つあった。猫は躊躇う事なく広げられたテーブルの上に飛び乗ると甘えた声を上げた。
「あれ?どこ行ってたの?」
柔らかな声が響くと猫が目を細める。飾り棚の影から女性が姿を表して猫を抱き上げた。
親しげな所を見ると彼女が飼い主なのだろう。
(こんな場所あったんだ)
大まかな場所は全部見て回ったと思っていた、でも猫に導かれるように人や木々の間をすり抜けて来たことの無い所に出たようだ。
人の気配が無い上、頭に叩き込んだ筈の地図のどの辺りにいるのかも良く分からない。
ここは本当に公園の中なのかとちょっとだけ疑ってしまう。
「いらっしゃい」
猫をあやしていた女性がレオンに気付いて声をかける。
女性の灰色の目に見つめられてレオンは少しドキドキする。学校以外で大人と話すことは余りない。
視線を下に反らすとテーブルの上にある品物に目が行った。
(アクセサリー屋さん?)
カラフルなネックレスや指輪が並んでいて冬の日差しをキラキラと跳ね返している、どれも女の子が見たら喜びそうな物ばかりだ。
流石にここには探している物は無いと肩を落とした瞬間一つのネックレスに目が止まった。
水晶を模した硝子は下半分が紫色に染まっていてカンパニュラの花畑を思わせた。
上半分には本当に小さな赤い薔薇が一輪閉じ込められている。
首筋が熱くなるのを感じた。女性に見詰められた時よりもドキドキしながらネックレスに手を伸ばすと手が震えているのが分かった。
何故だか分からないけれどレオンはこのアクセサリーがアリーシャだと感じた。普段理論立てて考えているからどうしてそんな直感染みた考えが浮かんだのかは分からない、でもきっとこれはあの子が着ける物だと思った。
レオンは一度目をぎゅっと閉じた。
冷静にならなければ、浮き足立って購入して後で後悔してもレオンにやり直すチャンスは無いのだから。
目を開いてもう一度ネックレスを観察する。レオンにはちょうど良い大きさだが今のアリーシャには少し大きいだろうか。でもそれならばこの先も持っていてくれるのでは無いだろうか。
大人びた色合いは大きくなってもきっとアリーシャは似合うし男の子が着けていてもおかしくない見た目だ。
何より硝子の中に閉じ込められた一輪の薔薇に心を奪われる。
(確か薔薇の花って…)
赤い薔薇の花言葉を思い出して体全体が熱くなる。今はきっと渡してもアリーシャは知らないだろう。でもいつかこの花の意味に気付く時が来る、その時こそ自分の気持ちを伝えるのだ。
秘めた自分の恋心をこの薔薇のように閉じ込めてアリーシャに渡す、それはいつか来る告白する未来への約束にも思えた。
胸元を押さえて鼓動を落ち着ける。まだ渡してもいないのにどうしようもなく幸福な気持ちになってしまった。
けれど興奮はネックレスに付けられたタグを見て一気に覚めてしまう。僅かだが手持ちに届かないのだ。
レオンは唇を強く噛んだ。また同じだ、こればかりはどうにも抗えない。
思わず自分の出自を、育った環境を呪いそうになる。でも今回ばかりは諦める事が出来ない、きっとこれ以上の物はもう探しても見つからないだろう。物質をこんなにも欲しいと思ったことは今までなかった。
爆発しそうになる感情をどうにか押さえて冷静な意識を働かせる。
何か糸口がある筈だ。
「っ!」
鞄を握ったレオンはあることを思い出しす。それは一筋の光明のように思えた。
ネックレスを握ると意を決して女性に向き直る。
「あのっ…!」
先程から鼓動が煩く鳴り続けている。
冷たい風が頬を撫でても感じない位緊張する。
「これ、チェーンいらないので安くなりませんか?」
ドキドキし過ぎて空気を上手く吸えない、レオンが一気に捲し立てると女性は細い首を傾げた。
「そんなに気になった?」
体が酷く強ばってしまい頷く事ができない。
こう言った露天では交渉で幾らか値引き出来る時がある。端数を切り捨てたりおまけしてもらったりとやり方次第では売る側も多少譲歩してくれる。
本当なら多少情に訴えた方が効果があるのは分かっていたがおねだりなんてしたことが無いレオンは理詰めで値切りするしかない。
「確かにキミに似合いそうだけど」
女性がもう一度首を傾げる、短い銀色の髪がさらさらと流れた。
「あ、ボクじゃなくて…」
「プレゼント?」
今度は強く頷けた。
孤児院で待っている幼い子を思い出して自然と暖かな気持ちになる。
「もうすぐ五歳になるけど凄く可愛くて優しくてボクの後いつも着いて来てー」
さっきの緊張が嘘のように言葉が溢れてくる。見知らぬ相手とはいえアリーシャの事を知ってもらうのは嬉しい。
レオンが話す間女性は優しげな眼差しでずっと頷いていた。
一頻り話終えてレオンは女性の方を見る。アリーシャのことは話しても話し足りない位だけれど交渉から脱線してしまいそうになったので切りの良いところで閉じる。
「ねえ、キミいくつ?」
不意に女性が口を開いた。突然の質問にレオンはちょっとびっくりする。
「…13」
慎重にレオンは答える、交渉中は何が鍵になるか何で足を掬われるか分からない。
「うーん」
女性は何故か猫のおしりをポスポス叩きながら何かを考えている。猫の方も何故か気持ち良さそうだ。
「あ、そうだ」
くりんとした瞳がレオンの方を見ると女性は笑う。
「ちょっとの間代わりにお店に居てくれる?」
突如出された条件にレオンはいぶかしむ。怪訝そうな表情になってしまったが女性は構わず説明する。
「欲しいのがあるのだけど1人だからお店離れられないし。ね、お願い」
逆に女性におねだりされてしまいレオンは少し考える。帰りの時間を考えても門限までにはまだ時間がある、買うものが決まっているならそう時間はかからないだろう。
レオンが小さく頷くと女性は嬉しそうに立ち上がる。
「ありがとー!値段は札に書いてあるから。あ、お釣りは机の下の箱から出してね」
女性は水色のワンピースをヒラヒラさせて駆けて行ってしまう。
残されたレオンは呆気に取られながらテーブルの後ろにあったイスに座る。何だか狐に摘ままれたような感覚だ。
「変、なの」
冬の清んだ空を見上げながらレオンは呟く。
普通出会って直ぐの人間に店番を任せるだろうか。騙されて品物や売上を持っていかれる心配をしないのだろうか。
それとも騙されているのはレオンの方なのだろうか、ただ店番を代わってと言われただけで明確な約束はしていない。
疑問と不安がない交ぜになって頭を駆け巡る。
「どう思う?」
キミのご主人は良い人なの?
傍らにいた猫に疑問を投げ掛けるが猫はあくびを一つすると尻尾をレオンに向けて丸くなってしまう。
レオンは小さく息を吐いた。世の中には悪い人がいっぱいいる、騙されて酷い目にあっても失ってしまったものは帰らない。アリーシャにはそんな思い絶対にさせたくないし危険からは全力で遠ざける積もりだ。
(ボクが守らないと)
あの子の純粋さが穢れないように何時でも笑顔でいてくれるように自分が厄災から遠ざけなければ。その為にはもっと多くの事を知らなければだし強くならなければと思った。
決意を新たにすると猫が首だけ振り替えって鳴き声を上げた。
「………叩かないよ?」
何故か期待に満ちた目でレオンを見つめる猫に渋い顔をしてしまった。
真っ白い空間。視界に映るものは上も下も全てが白くて立っているのか宙に浮いているのかさえ分からなくなる。
レオンの足元にはアリーシャが横たわっていた。レオンが知っているアリーシャよりももっと大きくなっていて今の自分と同じ位の姿だったがレオンにはアリーシャだと理解が出来た。
瞳は泣きはらしたように赤くてそれでいて空虚な視線は何も捉えていない。
愛らしい顔は表情が抜け落ちてまるで仮面を被っているように見えた。こんな顔レオンは一度でも見たことがない。
急いで抱き上げようとするが体は凍りついたように動かない、焦りが鼓動を速くする。直ぐにでも手を伸ばさないと取り返しのつかない事になる、心の奥で何かがそう叫んでいた。
せめて名前だけでも呼びたいのに気道を押さえ付けられたかのように呼吸すら上手く出来なくなる。
(アリー…!)
ーお兄ちゃんー
凍りついた表情のアリーシャから言葉が零れた。
唇は動いていない、けれど確かにアリーシャが自分を呼んだ。
その声はどこまでも寂しく響いていた。
「…っ!」
まるで心臓を叩かれたような衝撃にレオンは目を開く。青い湖面が視界に広がる。くらくらする頭をどうにか押さえて意識を落ち着かせる、一瞬自分がどこに居るのか分からなかった。
プレゼントを買いに来て、店番を頼まれて。
「あっー!」
慌ててテーブルの上を確認する。アクセサリー達は何一つ変わる事なく静かに煌めいていた。
記憶には自信があったので何も盗られていないことが確認できた。レオンは安堵のため息を吐いた、知らない間に眠っていたらしい。
眠気に襲われることなど殆ど無いから珍しいことも有るものだ。
それにしても、とレオンは凝った首を鳴らしながら先程見た夢を思い出す。あの夢の中にいたアリーシャはどうしてあんな表情をしていたのだろう。
今思い返しても胸が締め付けられる。自分がいたらあんな顔絶対させない、でもそれならば何故自分を呼んでいたのだろう。
何かの暗示なのか、孤児院で待っている子を想って少し怖くなる。
「おーい」
日向の雪のように溶けていきそうになる夢を何度も思い出していると道の向こうから女性が駆けてくる。
「お待たせー。ありがとう」
猫好きだしてっきり猫の品物でも買ってくるのかと思っていたら嬉しそうな女性の腕には真っ黒なキツネのぬいぐるみが握られていた。
「ちょっと待ってね」
女性がネックレスを丁寧に包んでいく。提示された金額は予想よりもだいぶ低くてこれなら上手くやりくりすれば来年の誕生日もプレゼントを買えそうな気がした。
「あの…」
ネックレスを受け取る時にレオンは気になっていた事を思いきって話してみる。
「何でボクに代わりを頼んだんですか?」
出会って直ぐの相手だ、子供とは言えもっと警戒しても良い筈なのに。
「大丈夫だと思ったからだよ。今のキミならね」
「ね」と女性が笑うと猫も喉を鳴らして目を細める。含みのある言い方が多少引っ掛かったがこれ以上どう詮索して良いのかも分からない。
「ずっと大切にして上げてね、その子の事」
真っ直ぐに女性がレオンを見詰める。その目はもっともっと遠くを見詰めているように感じた。
アリーシャを大切にするのは当然の事なのに、何故だか一抹の不安が胸に咲いた。
先程観た夢が流れ込んで来て今すぐにでも幼いあの子に会いたい衝動に駆られる。
「あの、ありがとうございました」
深くお辞儀をするとレオンは元来た道を走り出す。
「やっぱりショタのお願いは断れないよね」
遠くなる男の子の背中を眺めながら女性は意味深い微笑みを浮かべていた。
「…あれ?」
鬱蒼と繁る木々を割ってようやくそれらしい道に出たレオンは首を傾げる。ちょうど公園の地図が書かれた場所に出たので先程の場所を確かめようとするが指は地図をグルグルと回って同じ場所に戻ってしまう。
そもそもこの公園に大きな池など無い。あれは公園の外だったのだろうか。それにしては何かがおかしい。
これだけ人が居るのに道すがら誰とも会わなかったし誰も訪ねて来なかった。
レオンは来た道を振り返る。目の前には只常緑樹が風に揺れているだけだ。
(お店の名前聞いて置けば良かったかな?)
もう行くことはないかもしれない、けれど親切にしてくれた相手の名前は覚えておきたかった。
せめて今日起きたことは忘れないようにしようと心に思う。
「あっ…いけない!」
ぼんやりと今日の事を振り返っていたが広場にあった時計を見て現実を取り戻す。
随分と長い間ここに居てしまった。
本当は直ぐにでも家路に着きたかったがレオンにはやることがまだ残っていた。
お昼を食べた丘に戻ると鞄から革紐を取り出す。あの時これの事を思い出して良かった。フェイクレザーとは言えしっかりとした紐は本を纏めたりお弁当を包んだりするのに重宝するので持ち歩いている。
折角ラッピングして貰ったのに申し訳ないと思いつつ慎重に包みを開ける。
少しだけ苦労してヘッドの金具に革紐を通す。
「これくらいかな?」
何時も撫でている頭の大きさを思い出しながら紐の長さを調整する。
今のアリーシャには少し長いかもしれないがもう少し大きくなったらきっとぴったりの長さになる。
そう、夢で観た年位に成長すれば。
「出来た!」
紐の先を結び仕上がったネックレスを見る。
黒い革紐としっかりとした紫色のヘッドはあの白い肌にきっと良く映えるだろう。まだ小さいからチェーン金具よりも頭からすっぽり通せるこちらの方が着けやすいだろうし窮地で思い付いたとは思えないくらい完璧なプレゼントになったと思う。
「喜んでくれる、かな?」
幸せそうなアリーシャの顔を思い浮かべてレオンも幸せな気持ちになる。
良く見ればネックレスには光の粒子が散らばっていてオレンジ色の日差しをキラキラと跳ね返している。
レオンは日が傾いているのも忘れてネックレスを日差しに透かして見続けていた。
結局慌てて帰ったもののレオンが孤児院に着く頃には日もすっかり暮れて門限もだいぶ回った時間だった。
今まで規則を破った事などなかったから先生は驚きながらも夜の山道は危ない事と、約束は守る事を軽く叱った。レオンが素直に謝ると門限を守らなかったのはいけない事だけど孤児院の外に楽しい事が見つかって良かったと微笑んだ。
学校の友達と遊んできたと先生は思っているようで少しだけ罪悪感が湧いた。
大部屋に戻ると皆が部屋の中心に集まっていてレオンの顔を見ると驚いたような顔をした。
不思議に思い首を傾げると世話をお願いした女の子がおずおずと前に出てレオンに話す。
彼女の話によると昼間の内は皆で楽しく遊んでいたらしい、けれど時間が進むに連れてアリーシャは淋しさが募るようになって元気が無くなってしまったようだ。
何時もニコニコとレオンの後を追いかけている子だから皆どうやって元気付けて良いか分からなくて、女の子が慰めても中々顔を上げてくれなかった。
時間が過ぎて夕方にも帰って来ないレオンを心配して誰かが事故に合ったのではと言った。この言葉にアリーシャはショックを受けたようで部屋を飛び出してしまい寒空の下玄関でずっと待っているのをどうにか宥めて皆戻って来た所だった。
「ごめんね」
女の子が消え入りそうな声で謝る。彼女としてはきちんと面倒を見れなかった責任を感じているのだろう。
「ううん。ありがとう」
女の子の頭を撫でながらお礼を言う。遅くなってしまった自分に非があるのだから謝る必要は無いのだ。
他の子達も年長者がようやく帰ってことに安心する。けれど真っ先に駆け寄って来る筈のアリーシャは部屋の奥で立ち尽くしていた。
淋しさと不安が綯交ぜになった表情を浮かべて大きな目には今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいる。
その姿に先程よりも強い罪悪感を覚えた。アリーシャを喜ばせる為に出掛けたのに結果悲しませてしまった。
アリーシャの方はレオンを見るとまだ現実と理解出来なかったのか何度か瞬きをしたが不意にとてとてと駆け寄ってレオンの足にしがみついた。
泣き出したり遅れたことを怒って責めたりせずにただ鼻先を刷り寄せて来る姿がいじましくてレオンは屈むとアリーシャを優しく抱き締めた。
「ごめんね、遅くなって」
アリーシャは何も答えずにただレオンの存在を確かめるように服の裾をぎゅっと握る。
「今度のお休みはずっといるから、いっぱい遊ぼ?」
そう言って慰めるとアリーシャは小さく頷く。何度も頷いてその度に涙が零れ落ちた。
矢張り離れたく何て無いとレオンは思った。
もう少ししたらアリーシャの誕生日が来る、その時にネックレスと一緒に渡そう。ずっとずっと一緒にいると言う約束を。
(もう絶対悲しませたりしないから)
夢の子のように絶望なんて絶対にさせない。腕から伝わる暖かな体温を感じながらそう強く心で誓った。
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