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思い出には甘味を添えて

Amaro5%Dolce95% 柔らかな風が梢を揺らす。赤や黄に染まった葉の間から木漏れ日が漏れる。 赤や黄色に色付いた並木道をアリーシャと八雲は並んで歩いていた。 「悪かったな」 「何が?」 ヒラヒラと落ちる木葉を楽しそうに眺めていたアリーシャが不思議そうに八雲を見詰める。 「いや、手伝わせて」 今日は仕事の日だった。内容は大手通販サイトの倉庫整理、本来は八雲一人で行く筈だったのだがアリーシャがサポートに入ると申し出たのだ。 おかげで仕事は予定よりもだいぶ早く片付いた、アリーシャは頭の回転が早いので効率の良いやり方を八雲に教えてくれる。それでいて自身も惜しみ無く身体を動かすので人材としてはかなり重宝される。 とは言えサポートなので賃金は発生しない。八雲としては自分の仕事で時間を取らせてしまった事に後ろめたさのようなものを感じていた。 「平気だよ?今日は予定無かったし。それに八雲仕事続きで大変そうだったし」 落ち葉を踏む軽やかな音を立てながらアリーシャが事もなく話す。こちらの暗澹を拭うだけでなく気遣いまでして、目の前にいるのは天使か何かだろうかと八雲は思ってしまう。 「それに…それに一緒にいたいなぁって思って…」 そう言うとアリーシャは少し赤くなりながら俯く。 「ごめん…迷惑だったかな?」 迷惑な訳がない、寧ろ今すぐにでも草むらに連れ込んで押し倒したい衝動に駈られる。 「どうしたの?」 欲望と理性の間で脳内がせめぎ会う八雲をアリーシャが小首を傾げて見上げる。 「いや…腹へったな…と」 何とか誤魔化す。実際空腹なことは本当だ、時計を見れば昼を回っている。朝早い仕事だったので朝食を食べたのはずっと前だ。 「もうお昼過ぎたもんね。えーと」 そこまで言うと今度はアリーシャのお腹がキュウと鳴る。その音を聞いてアリーシャは顔を赤くして苦笑いする。 「お弁当持ってくれば良かったね」 中々魅力的な提案だったが時すでに遅しだ、そもそも今日は朝が早かったのに弁当を作るとなると更に早く起きなければならなくなる。そんな負担は恋人に強いたくない。 とは言え歩いていても空腹が癒える事はないので帰るのを一旦止めて食事が取れる場所を探す事にした。 「うーん。駅まで行かないとなさそうだね」 地図アプリを見ていたアリーシャが眉を下げる。巨大な倉庫は立地条件からか駅からも繁華街からもだいぶ離れている。 今から歩いても駅まで20分以上掛かるだろう。 「バイクでくりゃ良かったな」 仕事とは言え折角アリーシャと出掛けたのだ。ゆっくり紅葉を見ながら話などして、あわよくば手も繋げたらと思って歩きにしたのだが裏目に出てしまった。 自身の空腹もさることながら育ち盛りの恋人を飢えさせたくはない。 辺りを見回してみても大きめの公園と住宅地が広がるだけでコンビニ一つ見当たらない。 「ん?」 困窮する八雲の目に一軒の古びた民家が映った。公園を挟んだ向かい側、閑静な住宅街にまるで忘れ去られたような木造の一軒家がある、出入口付近には矢張古びた自販機とガチャガチャの機械が並んでいる。 頭を掻きながらはてと八雲は考える。ずっとずっと昔同じような建物を見た気がする。いや、記憶と全く同じと言う訳ではないが酷似している。自分がアリーシャよりももっと幼い頃の思い出、その片隅に確かにある造形。 記憶と思考を混ぜ合わせて答えを拾い上げる。もし考えが正しければ。 「腹の足しにはなるかもな」 それだけ言うと八雲は公園を突っ切って民家に向かう。 「えっ?あ、八雲」 慌てたアリーシャが追い付くよりも先に八雲は民家の硝子戸を開けると中へと入ってしまう。 「うわぁぁっ!八雲待って!!」 驚いた声が聞こえる、アリーシャとしては空腹の八雲が民家に押し入ったと思ったらしい。 止めようと飛び込んだアリーシャの鼻に甘い香りがまとわりついた。よくレオンが作るお菓子のバニラやシナモンの香りとは違う、けれど甘いと分かる不思議な匂いに辺りを見回す。 薄暗い室内には壁に備え付けられた棚や地面に置かれたダンボールの上に見たことの無い品物が所狭しと並んでいる。 「お店…?」 陳列と呼ぶには雑多な置き方をされているが同じ物がいくつも並んでいるのを見る限り商品のようにも見える。 「駄菓子屋、知らないのか?」 明らかに困惑しているアリーシャを八雲が不思議そうに見詰める。確かに昨今生息数は少なくなったがそれでも年頃の子が、それも頭の良いアリーシャが駄菓子屋の存在を知らないと言うのはおかしな気がした。 「駄菓子は…知ってるよ?」 反発するように勢いよく答えたが直ぐに声を落とすと「食べたこと無いけど」と小さく付け加えた。まるで負い目を感じているような言い方に気にするなと八雲が慰めようとした瞬間室内の明かりが付いた。 「いらっしゃい」 引き戸の奥から割烹着を着たお婆ちゃんが現れのんびりと応対をする。けれどアリーシャの方は心臓が飛び出る程驚いて八雲の服の裾を思わず掴んでしまった。 (………気配が無かった?) 仮にもアリスと呼ばれ戦禍を何年も生き残って来たのだ、人が近くに来れば殺してしても気配を察知する事が出来る。それなのに目の前のお婆ちゃんはアリーシャ達に気付かれる事もなくドアを開け電気まで付けたのだ。 (もしかして相当な手練れ?) 幼いアリーシャよりも更に小柄な老体をまじまじと見詰める。実は老人に扮した暗殺者だろうか民間人のフリをするなら警戒されない姿になるだろうし、そうであればお婆ちゃんは打ってつけだろう。それとも引退した軍人か何かだろうか。それはそれで注視しなければならない。老兵侮るなかれ、知識と経験はこちらより遥かに上になる。 「どうかしたかい?」 お菓子も選ばずに顔ばかりじっと見ているアリーシャをお婆ちゃんが不思議そうに見る。 「え?あ…何でもないです」 我に帰ったアリーシャが慌てて首を振る。目の前の相手が誰であれ差し迫った脅威は無さそうだ。もし自分達に向けられた刺客だとしたら考えている間に襲って来ただろう。 このお婆ちゃんが何者なのか疑問は残るがそれ以上に初対面の相手をジロジロと見るのは失礼に当たる。 「ごめんなさい」 深々とお辞儀をして謝ると八雲の方へと戻る。 「妙な事考えてたろ」 そう言って八雲が軽くアリーシャの頭を小突く。どうにもアリーシャの思考は『普通』とは縁遠い。 言われたアリーシャの方も何が妙なのか分からない位には一般とかけ離れてしまっている。 「大丈夫、八雲のことは守るから!」 謎の決意と共に微笑むアリーシャに八雲は脱力しそうになる。何をどう考えていたのか分からない上にどちらかと言えば自分がアリーシャに言いたい台詞をあっさりと言ってのけてしまった。 ため息を吐く八雲を他所にアリーシャは明るくなった室内を改めて見回す。 見たことも無いようなキャラクターが描かれたお菓子やエキゾチックな色合いのグミやガム。アリーシャの知識では判別不能の食べ物も沢山ある。隙間無く並べられた食べ物の間に子供が喜びそうなおもちゃも幾つか置かれていてどれもカラフルに主張している。 大概は個包装だが剥き身のまま置かれたお菓子もあって手にとって良いのか躊躇ってしまう。 「これ、食べられるの?」 ビビッドな色合いの飴を見てアリーシャは小首を傾げる。 「変わった子だね」 特に咎めるでも無くお婆ちゃんは感想を述べたが八雲は2度目のため息を吐いてしまう。 悪意は無いのだろうが聞く人によっては嫌味に聞こえてしまいそうだ。 これがレオンなら初めてのお使いの様に微笑ましく眺めているのだろうがどうにも八雲は落ち着かない。 「適当に買って出るか」 言葉通り目についた駄菓子をカゴに放り込んで行く。一方のアリーシャはくるくると何度も店の中を見回している。 「何か食いたいものあるか?」 そう聞かれるとアリーシャはちょっと困ったように棚に手を伸ばした。 「これ、とか?」 「それは食べ物じゃない」 アリーシャが手に持っていたのは樹脂ゴムを煙の様に見せる文字通り子供騙しのおもちゃだ。 とは言え駄菓子屋初体験のアリーシャがそれを知る筈も無く恥ずかしそうに顔を赤くするとおもちゃを棚に戻した。 「おまかせします」 小さくそれだけ言うとアリーシャは項垂れてしまう。何だか叱られた子犬の様でかまいたくなるがこれ以上ここに居るとカルチャーショックが強すぎて泣き出してしまうかもしれない。 八雲はアリーシャの頭を軽く叩くと早々に会計を済ませる事にした。 「採算取れるのかな?」 店を出たアリーシャが訝しむように戸口を見ながら首を傾げる。手に持った袋にはパンパンになる位お菓子が詰められている、それでも合計金額はカフェでランチを取った時の一人分になるかならないか位だ。 「さぁ?」 八雲が興味無さそうに答える。子供が乏しいお小遣いで買うのだ、単価を上げても集客は見込めない。そこまでは考えられるがそれ以上は腹の虫が鳴っている状況では考えられないし興味の無い案件だ。 「でもびっくりした。値段書いてないのが多かったから」 箱や袋にマジックで直接書かれている物もあるが大概は無記名で値段は店主であるお婆ちゃんから直接聞く。駄菓子屋としては基本的なシステムなのだが経験した事の無いアリーシャには新鮮だったようだ。 「時価かと思った」 「寿司かよ」 天然なのはアリーシャの方だろうに。 八雲は3度目のため息を吐いた。 気を取り直して自販機でお茶と水を買うと二人は日当たりの良さそうな公園のベンチに腰かける。 袋をひっくり返すと駄菓子が小さな山を作る。 「甘いのが多いな」 良く見ずに購入したせいで偏りが出てしまったようだ。甘くない駄菓子は駄菓子で酒のアテに見えてしまうのは大人になったせいだろうか。 「甘いの嫌いだっけ?」 アリーシャも普段を思い出す。甘党のレオンと違って八雲はおやつの時間もコーヒーを飲むだけの事が多い。 「嫌いじゃない………ただ一度腹へった時に食って気持ち悪くなった」 「血糖値が上がり過ぎたのかな?よく噛んで食べなきゃダメだよ?」 何だか母親の様な物言いをされてしまった。根がしっかりしているせいかアリーシャは時々小型のおかんになる。 「こないだくれた菓子はうまかったよ」 ふと先日アリーシャが作ってくれたクッキーの事を思い出した。その時は仕事に忙殺されて軽く礼を言っただけになってしまったので改めて感想を述べる。味も見た目も申し分無い上に愛しい恋人の手作りと言う付加価値まで付いていては八雲も顔を綻ばせずにはいられない。 「良かった。レオンと作ったんだけど甘いの嫌いならどうしようかって」 アリーシャは安堵するが八雲の方は顔を曇らせてしまう。まさかこんな形で恋敵に塩を送る羽目になるとは。 大好きな相手が作ったから美味しいのであって決してレオンの腕を誉めた訳ではない、それなのにライバルの評価を上げてしまったようで何とも言えないもやもやした気分になる。 「これは?どうやって食べるの?」 ふて腐れる八雲を他所にアリーシャが不思議そうにお菓子の山からカラフルなパッケージを拾い上げる。 駄菓子と言うだけあって丁寧な説明など何処にも無い。習うより慣れろ、考えるより感じろ的な商品が殆どだ。いや、企業のホームページに行けば書いてあるのかも知れないが。 「確か…水混ぜて」 記憶を頼りにミネラルウォーターを粉に垂らす。 「……っ!」 混ぜ合わせていた八雲だがとんでもない事に気づく。アリーシャとの距離がやたらに近い。 普段ならアリーシャからスキンシップなど殆どしないし此方から近付いても恥ずかしがって逃げてしまう事も多い。 それなのに今は八雲の腕にくっつきそうな程頬を近付けて真剣な、それでいて期待に満ちた瞳で一挙手一投足を記憶しようと見詰めている。 (マズイな…) 柔らかい髪が肌に当たって高めの体温を感じると主に下半身が平常ではいられない。これ以上すり寄られたら押し倒さない自信は無い、何しろ相手はお菓子より甘い味のするアリーシャなのだから。 「ふぷっ!」 欲望がマックスにならない内に錬成した砂糖と重曹の塊をアリーシャの口に押し込む。 アリーシャは驚いた様に目を丸くしたが口に広がる初めての味にその目を細める。 「甘い」 少し照れたような笑みにまたも下半身を刺激されて八雲は帰ったら絶対に押し倒そうと心に決める。 そんな思惑など露知らぬアリーシャが今度はシロップ浸けのすももを手に取る。赤いシロップが光を反射してキラキラと光彩を放っている。 「それは凍らせた方が美味いし食べやすいんだが」 連鎖的に記憶が繋がって裏技チックな方法も思い出す。とは言え冷凍庫が無い此処では無理な話だが。 するとアリーシャが手に冷気を集約させてすももをあっという間に凍らせてしまう。 「できた!」 「チート技を使うな」 八雲の周りでも魔法を使う子はいない訳では無かったがこんな食べ方をした子はいない。 呆れる八雲の隣でアリーシャが吐息の様な笑いを漏らす。 「不思議だね、八雲がこんな風に食べてたんだって分かったら何だか嬉しくなって」 言葉通りアリーシャが嬉しそうに笑う。相手の幼い頃の軌跡を知って追体験をする。 それはきっと大切な人だからこそなのだろう。知らなかった側面を知って共有できるならきっと幸福な事だと思う。 「他には、子供の時どんなの食べてたの?」 「んあー?パスタにカツ乗せたヤツとか…」 一方の八雲も不思議な気持ちになっていた。詮索されるのは好きでは無いのにアリーシャに昔の事を話すとくすぐったいような、それでいて暖かい気持ちで満たされる。 秋の優しい日差しを受けながらしばらく二人で八雲の思い出に浸る。それもまたいつか掛け替えの無い記憶になることを二人は感じていた。 「アリーシャ」 酢漬けの大根を齧っていた八雲が声をかける。穏やかな会話から駄菓子を食べる事に戻した二人だったが矢張りアリーシャの一挙手一投足が気になってしまう。 今も懸命に飴に付いた粉を指先で叩いて落としている所だ。 「それ、粉ごと食べるヤツだぞ」 言われたアリーシャが固まってしまう。自分の無知さが恥ずかしいのか頬を僅かに赤くすると小さく「いただきます」と言って飴を口に運ぶ。 「ん?」 小さい頃故にどうにも記憶が曖昧だがふと八雲が考える。あの粉は確か。 「~っ!?」 声にならない悲鳴がアリーシャから上がる。飴についた粉が弾けて舌や歯に当たるパチパチとした音が隣に居ても聞こえる。 まさか駄菓子に口を襲撃されるとは思っていなかったアリーシャはパニックになる。飴は弾け続けて唾液を飲み込むと今度は喉がパチパチと言い出す。そんなアリーシャを見て八雲も慌てる。飴を噛み砕かせて水で飲み込むように促す。 「はぁ…はぁ」 うっすらと涙目を浮かべてアリーシャは呼吸を整える。まさか駄菓子でこんなダメージを受けるとは思ってもいなかったようだ。 「本当に何も知らないんだな」 ここまで来ると逆に感心してしまう。普段は冷静で大人びているアリーシャがここまで落ち着きを無くすとは。慌て府ためる姿も可愛いと思うがそれが子供らしい知識や経験を与えられてこなかった過去から来るものだと思うと憐愍の念が湧いてしまう。 「八雲はいっぱい知ってるんだね」 ようやく落ち着いたアリーシャが笑う。その目には憧れが宿っている。平穏で退屈で代わり映えが無い、そんな『普通』が逃げ出す位嫌で堪らなかったのにその普通が誰かの憧れになるとは思いもしなかった。 蔑ろにしてきた日々に少しだけ後ろめたさを感じていると何かを見つけたアリーシャが嬉しそうに笑う。 「あ、これは知ってるよ。綿菓子だよね!」 自分でも知っているお菓子があったのが余程嬉しかったのか目を輝かせている。 「いや、それも…」 八雲が止める間も無くアリーシャはカラフルな綿菓子を口に運んでしまう。 綿菓子の中にあった細かいキャンディが弾ける音と共にアリーシャのか細い悲鳴を聞いて八雲は頭を押さえずにはいられなかった。 「うぅ……暴力的なお菓子だ」 「言い方」 目に涙を浮かべてアリーシャが綿菓子の袋を睨み付ける、その様子がどうにも可笑しくて思わず吹き出しそうになってしまう。 こんなにお菓子に真摯に向き合っている子供も珍しいだろう。 「ほら」 口直しに小さなガムをアリーシャの手に滑り混ませる。明るい色の包装紙に見たことがあるようなないようなキャラが描かれている。 (あ、いちご味だ…) 何の変哲もないガムだが何しろアリーシャにとってはどれも初めての物ばかりだ。じっくりと観察してしまう。 「あたりつき?」 今日何度目か分からない首を傾げる仕草をアリーシャは繰り返す。 「確か、中に紙があって…」 言いながら八雲も包みを開ける。これだけは同じのを2つ買っておいたのだ。 説明するよりも早いと思い中に仕舞われていた薄い紙を引っ張り出す。 〈はずれ( ´,_ゝ`)〉 赤く大きく印字された文字と挑発的な絵に八雲が一瞬固まってしまう。 「わざわざ書くなよ」 はずれでも味が変わる訳では無いがなんとなく腹立たしい。ふてくされたようにガムを放り込む様子を見てアリーシャは小さく笑った。 駄菓子には人を子供に戻す力があるのだろうか、包みをほどきながら少しだけドキドキしている自分を感じていた。 〈あたり゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚〉 「あ…」 思わず声が出てしまう。 「交換してくるか?」 当たりが出れば同じ物を引き換えられる、古から伝わるシステムだ。 「ん……もうちょっと」 頬を薄桃色に染めたアリーシャはふわふわしていて心此所に有らずと言った感じだ。 「そんな嬉しいか?」 確率的には低いかもしれないが単価は恐ろしく安いお菓子だ、ワンコインもあれば箱ごと買えてしまう。 それなのにアリーシャは紙を大切そうに両手で握って目を何度もぱちくりさせている。 「こう言うのって当たったことないから」 はにかみながらも嬉しそうにアリーシャが答える。 確かにアリーシャは運が良いとは言えないだろう。生まれて直ぐに親から引き離されて実験対象としてまるで物のように扱われて慕っていた相手には暴行されて。 何よりあのレオンに好かれたことが運の尽きなのではないか。 「わっ!?」 同情したくはないがいたたまれない気持ちになってアリーシャの頭を乱暴に撫でる。 幸福を分けることは出来ないがそれでも誰よりも幸せにしたいと改めて思う。 わしわしと頭を撫で続ける八雲をアリーシャは不思議そうに見上げる。 「幸せにするから」 不確かな約束ではなく実現させるという決意、八雲は滅多に誓いを口にしたりしない。口にすれば何だか薄っぺらくなってしまうような気がしたからだ。それでも今回はちゃんと口にしておきたかった。 初めて心から幸せになって欲しいと願った相手、そしてその幸せを作るのが自分なのだと言う決意を聞いて欲しかったからだ。 小さな手に自分の手を重ねるとアリーシャは不思議そうな顔をした。 「幸せ、だよ?」 まだ何もなしえて無い筈なのにアリーシャは本当に幸せそうに笑う。他愛なくて時間の波にあっという間に流されてしまうような日常でさえ掛け替えのない瞬間だと幼いながらに知っているのだ。 愛おしくて絶対に幸せにすると固く心に誓い直す。 「おーい、こっちこっち!」 「早く来いよー」 抱き寄せようと腕を伸ばした瞬間小さな男の子二人が八雲達の前を駆けて行った。どうやらいつの間にか学校が終わる時間になっていたらしい。 さすがにギャラリー付きで抱き合う勇気は無く致し方なしに伸ばした腕を引っ込めると今度は女の子が駆けて来る。 「待ってよー」 女の子はベンチに座る八雲達に気付くと立ち止まり大きなくりんとした目を二人に向ける。 「こんにちは」 公園に見知らぬ人間がいるのが珍しいのだろう興味津々な表情で挨拶をする。 「あ、こんにちは」 慌ててアリーシャが返すと女の子はニコニコと笑いアリーシャと八雲を交互に見て細い首を傾ける。 「お姉ちゃん達デート?」 「でっ……!」 突然の質問にアリーシャが赤くなって固まる。全く意識していなかったがそんな風に周りからは見えるのだろうか。 助けを求めるように八雲の方を見ると呆れたような表情をされてしまった。 「何だと思ってたんだ」 そう言われて困り果ててしまう、二人で楽しく話ながらお菓子を食べる。とは言え恋人同士なのだデートと言えばそうなるのだろう。 改めて意識してしまいアリーシャが真っ赤になる。どこまでも恋愛耐性が無いらしい。 そんな二人を眺めて女の子が「わぁ」と嬉しそうに笑う。 「ね、お兄ちゃんはお姉ちゃんのどこが好きなの」 「えっ!?」 やはり女の子の方が恋愛に興味を持つのが早いのだろう。おませな質問に問われた八雲では無くアリーシャの方が激しく動揺してしまう。 「全部だ」 てっきり関係無いだろと突き放すかと思っていたのに八雲があっさりと答える。お陰でアリーシャは益々顔を赤くして頭を抱えてしまった。 (あれ…?でも) 顔から火が出るほど恥ずかしいのに嫌という感情は芽生えない。それどころか胸の辺りがじんわりと温かくなるのをアリーシャは感じていた。 「ラブラブなんだ。ねぇ、お姉ちゃんは?」 バトンが回ってきてしまいアリーシャは困窮する。八雲の好きな所。いや、それ以前に先程からお姉ちゃんと呼ばれているのが気になる。女性と勘違いされるのは嫌だが変に否定して女の子を悲しませたくは無い。 様々な思考がごちゃごちゃになってオーバーヒートしそうだ。 「何してんだよ」 先に駆けて行った男の子達が遠くから叫ぶ。女の子が中々来ない事に待ちくたびれたみたいだ。 「ほら、呼んでるぞ」 そう言って八雲が女の子の手に余っていた飴を3つ滑り込ます。 「ありがとう!」 無邪気な笑顔を向けてお礼を言うと女の子は男の子達の方へ駆けて行ってしまう。 その後ろ姿を見てアリーシャは大きく息を吐き出した。まだ心臓がドキドキしている。 「八雲って子供好きなんだね」 「いや苦手だが」 「え!?」 ようやく落ち着きかけた鼓動がまた跳ね上がる。対応が凄く自然だったからてっきり慣れているのかと思ったのだが。 目をぱちくりとさせるアリーシャを前にバツが悪そうに八雲が頭を掻く。アリーシャの前だから、そう喉元まで言葉が出かかっていた。好きな相手の前では少しでも良く見せたいのが恋心だ。多分アリーシャがいなかったらあそこまで答えたりはしなかった。 「で?」 「え?」 苦手なのにちゃんと対応できて凄いと感心していたアリーシャを八雲が真っ直ぐ見つめる。 「どこが好きなんだ?」 跳ね上がったまま心臓が何処かへ飛んで行きそうな位びっくりする。まさか続いていたとは。 「えっ……と。えと………」 高速で思考を回転させても答えが出て来ない。口を開いては言葉を発する前に閉じる。それを何度も繰り返してしまう。 「そんな考えねーと出ないのか」 「ちっ…違…!」 八雲の好きな所。優しくて暖かくて格好良くて、自分の事を好きでいてくれて。 「いっぱいあり過ぎて…」 アリーシャが俯く。どれか一つだけ選びとるのは到底無理だ。 「全部………じゃダメかな…」 恐る恐るアリーシャが八雲を見上げる。その姿に八雲は固まってしまう。これが意図せずやっているとしたら末恐ろしい。 頼むから他の男にはそんな姿見せないでくれと願いながら遠くに視線を反らす。 夢中になって遊ぶ子供達の姿が見えた。いったい何時まで男女と言う事を気にせずしがらみなくいられるのだろう。 らしくない考えを浮かべて八雲は目を細める。自分にも確かにあった遠い記憶はもう朧気で褪せた絵画のように上手く脳裏に写す事は出来ない。 それでも。 「帰るか」 アリーシャの方に向き直ると幼い恋人は小さく頷く。 これからも作って行きたい。いつか記憶から消えてしまう位何でもない日常をこの子と。 自然と手がアリーシャの小さい手を包む。驚いたアリーシャが目を丸くしたが恥ずかしそうに小さく握り返して来る。温かい体温を感じて八雲はそれが幸せなのだとしっかり感じていた。 「ごめん。ちょっとだけ待っててくれるかな?」 駄菓子屋の前まで来るとアリーシャが不意に立ち止まる。八雲が頷くとアリーシャは小走りで駄菓子屋に入っていく。 気に入った駄菓子でもあったのかと八雲がぼんやりと考えているとアリーシャが直ぐに出てくる、その手には赤いチェック柄のマスキングテープが握られていた。 そんな物も売っていたのかと八雲が眺めているとアリーシャが今度は鞄から手帳を取り出す。 書いた方が覚えるからとアリーシャは予定を携帯では無く小型のスケジュール帳に記している。 13歳が持つにはやや大人びたスケジュール帳を開くとメモのページに先程の当たりの紙をマスキングテープで貼っていく。 「お待たせ。ありがとう」 アリーシャが笑顔で手帳を閉じる。当然疑問に思った八雲が手帳を指差すとアリーシャは恥ずかしそうに視線を反らしてしまった。 「これは、おまもり…………………………かな?」 手帳を握るてにきゅっと力が入る。 その姿を見て八雲が膝から砕け落ちる。 「やっ…八雲?大丈夫!?」 大丈夫では無い、何だろうこの生き物は。恋人の欲目を抜きにしても可愛いらし過ぎる。レオンなら駄菓子屋ごと買い占めると言い出しかねないレベルだ。   駆け寄ったアリーシャの手を強く引いて八雲が早足で歩き出す。最早家まで持つ訳も無く駅周辺にそういう場所が無いか地図アプリを開く。 「歩きながら見ちゃダメだよ」 歩幅が合わなくて駆け足気味のアリーシャが小型おかんモードになる。そう言われてもこのままでは公園のトイレでしかねない。 「全部」 「?」 八雲がアリーシャの方を振り返って真っ直ぐ見つめる。 「全部を聞かせて貰うからな」 「えぇっ!?」 それが先程の質問の事だとアリーシャは即座に理解したがお陰でまたパニックになってしまう。 それでも健気に思考をまとめようとするアリーシャは言葉の最後に「ベッドの上で」と言う文字が隠されているのに気付けず仕舞いだった。 そんな姿も愛おしくて八雲は気付かない内に笑みを溢す。 今日も明日も、何年先かの未来には思い出せなくなる位の平穏を二人で作りたい、強く強くそう心に感じていた。

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