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第7話

―――嫌な夢を見た。 いつもと変わらない朝。 正純が家に来て、軽い挨拶をしてから並んで歩く。 何も変わらない。 昨日のドラマとかバラエティー番組の話をしながら笑う。隣を見れば正純も白い息を吐きながら笑ってる。 これも変わらない。 腕がたまに当たる。じゃれるような一瞬の触れ合いがある。その度に俺の胸はドキッとする。 それも、……いつもの事。 思い返せばドキッとなんかしてないと断言できる。けど、夢の中の自分はそれを自然と受け入れてて、少しでも正純と触れ合える事に嬉しさと照れ臭さを感じていた。 見慣れた風景、くだらない会話、左隣にはくしゃっとした笑顔の正純。 それらは全て当たり前にあるもので、俺の中の普通で。 いつもと違うとすれば、俺の感情。 すごく、幸せな気持ちだった。 寝ながら笑ってたんじゃないかと思うくらいに幸福感で満たされてた。 当たり前のそんな日常の中で、変わらずに正純の笑顔を隣で見てることがこんなに嬉しいことだなんて思わなかった。この日常がずっと続くものだと疑わずに俺も笑う。 突然、正純を呼ぶ可愛い声がした。嫌な予感に気分が急降下して渋い顔になる。 そんな顔のまま前を向けばやっぱりあの後輩の女の子がいて、今日も正純の分も入ったランチバッグを胸に抱えて真っすぐ正純に笑いかけている。やっぱり可愛い子だなと思った。でも、なぜか好きにはなれないとも思った。 隣の空気が動く気配がした。 勢いよくそっちを見れば、正純も彼女に優しく笑いかけていて、次には俺の方なんて一切見ずに彼女の元へと駆けていった。 ―――正純っ!! 大声で叫んだつもりだった。でも、全く声にならなかった。 それならと足を動かそうとするけど、びくともしなくて無様にこける。 なんで、と焦りと絶望が押し寄せて頭が真っ白になった。 楽し気な笑い声が聞こえる。 見たくないのに、勝手に顔が上がる。視線の先では正純と彼女が笑顔で何か言葉を交わした後、こちらを振り返りもせずに手を繋いで歩いてく背中が見えた。 ズキリと胸が痛む。待ってと言いたい。行くなと言いたい。だけど…。 俺の目から見てもお似合いの2人で……正純も、幸せそうで。 ぐにゃりと視界がぼやけて、顔に当たる風がさっきよりも数倍冷たく感じる。 動かせる手を離れてく背に精一杯伸ばして、届かないとわかってはいるけど正純の名前を呼ぶ。 当たり前すぎて。 それが普通すぎて。 正純が隣にいることに対して何も思わなかった。考えることもしなかった。だってそれが俺の日常で。 でも、知った。アホなふりをしたいのに、理解した。 ……この先に、終わりがあるんだってこと。 ―――――――――― 「コウ?どした?わかんないとこあった?」 パッと顔を上げる。 不思議そうな顔をした正純が、ペンを持って肘をついた手に顔を乗っけてこちらを見ていた。びっくりして目が大きくなる。 なんで、正純が…? 「なに、そんなびっくりした顔して。もしかして寝てた?」 可笑しそうに笑う正純にグッと喉が詰まる。じわりと目の奥が熱くなって、急いで下を向けば広げられたままの教科書とノートがあった。 ……そうだ、テスト勉強しようって正純が押しかけてきたんだった。 現実の事を忘れるほど、俺はどうやら夢の事を引きずっているらしい。ため息とともに顔を両手で覆って、絞り出した声でうっせと悪態をつく。 「まだ寝てたかったのに起こしやがって……。顔洗ってくるわ」 嘘だ。 あんな夢の続きなんて見たくなかったから起こしてくれて本気で助かった。でもそんなこと言えないから、なるべく正純の方は見ないようにしてさっさと部屋を出て洗面台に向かった。 洗面台の鏡で見た自分の顔は予想以上にひどい顔だった。元々青白い顔色は病人のように血色がなく、目の下にうっすら出来たクマのせいで一発キメてる奴みたいだ。こんな顔を正純に晒してたのかと思うと情けなくなる。あえて冷水で顔を洗って気分もシャキッとさせてからリビングへと向かった。 父さんも母さんも基本平日休みだから、俺の休みの日は家にいない事の方が圧倒的に多い。今日もリビングのテーブルには即席麺の袋とみかんが皿にてんこ盛りに置いてあるだけで他には何もない。特に気にすることもなくキッチンへと行き、やかんに水を入れて火にかける。マグカップを2つ用意してひとつにはドリップコーヒーをセット、もうひとつにはゆず茶を入れてお湯が沸くのを待つ。その間、テーブルの椅子に腰かけてなんとなくみかんを手に取って皮をむく。俺は白いこの繊維もキレイに取らないとダメで、ついつい夢中になって繊維と格闘してしまった。 どれくらい経ったのか。 コトリとそばにカップが置かれたことに驚いてみかんから視線を剥がせば、喉奥で笑いながら目の前に正純が座った。 「コウさ、繊維取るの集中しすぎじゃね?それを勉強に向けろよなー」 「……うっせえな、気になんだから仕方ねえだろ」 ガシガシ頭をかいてから小さくお礼を言ってみかんを一房口に放り込む。強い酸味が口中に広がって眉間にしわが寄る。 やかん沸いたの気付かなかった。てか、正純がリビングに入って来たのにも全然気付かなかったし、シャキッとさせた意味…。 正純の言う通りどんだけ集中してたんだと自分に呆れる。結局正純に飲み物作らせてるし、母さんに知られたら怒られるやつだともう一房口に入れる。不意に、ふっと正純が笑った。 「みかん、甘い?」 「めちゃ酸っぱい」 「テレビでやってたけど焼くと甘くなるらしいよ」 「ふーん。グリルで焼いてみる?」 「なんでグリルなの。トースターのが楽じゃね?」 「ああ、確かに」 「コウは食べる?」 「うん」 「オケー」 よし焼くぞー、とみかん片手に楽しそうに立ち上がった正純はトースターのあるキッチンへ行った。それを見送ってから口の中がいっぱいになるほどみかんを詰め込む。 そうでもしないと口元がニヤけそうになってしまって困る。 なんでかなんて明確な理由はわからないけど、これだけはわかった。 ただ、正純がそこに居て、 俺とどうでもいい会話をして、 楽しそうに笑ってくれる。 その事に俺が、信じられないくらいの嬉しさを感じてる。それだけは。

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