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第8話

俺の想像よりだいぶ黒焦げになって渡されたみかんに、ぶつくさ文句を言いながら皮をむいていつものように繊維を取ろうとすれば、冷めるから我慢してと正純に言われてムッとなる。嫌々ながらも一房食べて……びっくり。口に入れた瞬間に広がる温かな甘さに正純と顔を合わせて2人して感動に目を見開き、無駄に興奮して騒ぐ。そんな時間が本当に楽しいと改めて思った。 もう一個焼きみかんを食べてからテスト勉強をしに部屋へ戻り、頭の出来がちょっとばかしよろしくない俺に正純が丁寧に教えてくれる。 2時間くらい過ぎたころ、俺に限界がやってきた。脳がしびれて正純が教えてくれても全然頭に入ってこない。これだから数学は嫌いなんだ。 「あー、もー無理。休憩!」 ペンを投げ捨ててベッドにダイブする。もう数字なんか見たくないと枕に顔を埋めて、しびれた脳を休ませるために目をつぶった。 「おつー、コウにしては頑張った方じゃん。腹減ったろ?俺、ラーメン作ってくるわ」 「あー、いいよ。あと5分待って。したら作りに行くから」 「いいからいいから、休んでろよ。勝手に冷蔵庫漁らせてもらうなー」 「え、ちょっ、」 俺の返事なんて待たずに部屋を出て行った正純に、また母さんに知られたら怒られる案件が増えたとため息がもれた。けど、言わなけりゃバレないし、まあいいかとまた目を閉じる。 正純は昔からこんな感じで俺に世話を焼くことが多い。お互い一人っ子でよく遊んでたけど、大体ケガしたりバカやって先生に怒られるのは俺だった。その度に保健室に連れてってくれたり、怒り狂ってる先生との仲裁に入ってくれたりした。正純からしたらそんな俺は弟みたいなのかもしれない。 本当に兄弟だったら、余計なこと考えなくて済んだよな…。 目を開けて正純が座ってた所をボーっと見る。 家族ならその繋がりは切っても切れないものだし、それが終わるだなんて思うこともない。家を出たって実家は同じだし、結婚して子供が出来たって関係性が変わることなんてない。 でも……友達は違う。 その時仲が良くたって、気付けば疎遠になってるなんてザラだ。現に小、中で仲良かった友達とは全然連絡をとってないし、会うこともない。同じ高校に進んだ奴とはたまに話したりするけど、クラスが違えば廊下ですれ違った時に軽く喋る程度だ。遊びに行ったりもしない。 正純とはそんな簡単に壊れてしまうような関係ではないと信じたいけど、絶対とは言い切れない。 高校を卒業して、それぞれの学校で新しい友達が出来て、勉強も忙しくなって。 そしたら遊ぶことも減って、連絡とることも少なくなって、気付いたら疎遠になってた、なんて……有り得る。 今更、俺たちずっと友達だよな?なんて、恥ずかしくて聞けるわけがない。聞いたところで、は?当たり前じゃん。何言ってんの?って爆笑されるのがオチだ。 ――いや、それでもいい。 それでもいいから、正純の口からずっと友達だって言ってほしい。そうすれば不安なんて吹っ飛ぶ気がする。最近よく感じるムカムカもなくなるかもしれない。 「でーもーなー…」 絶っっ対、聞けない! うーうー唸りながら枕を抱きしめて暫くベッドの上で悶々としていれば、ブーーッブーーッとけたたましいスマホのバイブ音が部屋に響いてビクリと跳ね起きた。音源のスマホを探せば、勉強していたテーブルの上で正純のスマホが早く出ろと着信を訴えていた。スマホも持ってけよな、と正純からしたら理不尽なことを思いながらベッドから下りてスマホを手に取る。その時、自然と液晶に映された名前が目に入った。 ”カナちゃん” ―――胸が、ザワついた。 カナちゃんなんて、俺の知る限り正純の知り合いにはいない。ナンパされたからってホイホイ連絡先を教えるようなタイプじゃないから、そういう類の女ではないはず。そうなると、思い浮かぶのはただ一人。 あの、後輩の女の子だ。 昨日見たあの子の顔がちらつく。 苦しげで、悔しそうな顔。 鋭くまっすぐ俺を射抜く瞳には、怒りも混じってた気がする。 だけど……、泣くのを必死に堪えてる顔にも見えたんだよなあ……。 どうしてそう見えたのかはわからない。そもそも、なんであの子にそんな顔で見られたのかすら見当がつかなくて戸惑ってる、というのが本音だ。前に会ったことがあってその時に何かしたのかとも思ったけど、あんな可愛い子と接点があったのなら忘れるはずがないし、身に覚えもない。 てか、後輩の女子との接点なんてほぼ皆無だし。てことはなんだ、ただ単に俺が嫌いとか?生理的に受け付けないってやつ?イケメンでもないし、気遣いも出来ないし、ひょろくて肌が青白くて気持ち悪い……って、言ってて凹んできた…。 大きなため息をつきながらそんな事を俺が考えてる間も、ずっと着信を知らせるバイブは俺の右手を震わせていた。 「―――あっ、やっべ!」 やっと我に返って正純の所へ行こうとしたのと、部屋の扉が開いたのと、着信が切れたのは同時だった。 「あー…」 「ラーメン出来たよー。って、人のスマホ持ってどした?」 「あー、いや……電話、かかってきてて、持ってこうとしたんだけど、切れちゃって…」 そう申し訳なさそうに言いながらも、正純が電話に出なくてよかったとホッとしてる自分がいることに驚く。正純は首を傾げて、ラーメンのどんぶりが2つ乗ったおいしそうな香りと湯気を撒き散らしてるお盆をテーブルに置いた。 「あそ?誰だろ」 俺の手からスマホを取って着信相手を確認すると、ああ、カナちゃんかと呟いて部屋を出て行こうとする正純にあの夢が重なる。待って、行くなって心が叫んで思わず名前を呼ぶ。 「ま、正純っ」 「ん?なにー?あ、電話してくるから先にラーメン食べてていいよ」 「お、おう」 ――じゃなくって、違くて! スマホを操作しながら背を向けた正純にとっさに手を伸ばして、両手でギュッとパーカーを掴む。 ……あ。掴めた。 夢では届かなかった手が、現実では届いていることに嬉しさの波が押し寄せる。喉がグッと詰まって、鼻の奥がツンとして今にも泣きそうだ。でもそんな自分を必死に抑えてなんとか声を絞り出す。 「ぁ、あの、さ……カ、カナちゃん、って…」 絞り出した声は小刻みに震えていた。 カナちゃんってあの後輩ちゃん?電話かけてくるとか積極的だな!とか、茶化しながら聞けばいいのにそれが出来る余裕が、今の俺にはない。 「カナちゃん?……あれ、言ってなかったっけ?今付き合ってる後輩の子だよ」 ”今付き合ってる後輩の子だよ” その言葉に全身から血の気が一気に引いた。 頭のてっぺんから足の先まで余すところなく氷づけにされたかのように体が固まって動かない。思考回路もバカになったのか何も考えられなくて、ただただ正純のパーカーを握りしめる。その手に正純の冷たい手が触れたことで、勝手に開いた口が動く。 「付き合ってるってさ!お、お試しでだろ!?」 「?そだけど…、コウ?」 「さっ、先にラーメン食べてからでもいいんじゃね!?せっかく作ったのにのびるし!食べるの時間かかるわけでもないんだしさ!今だってその後だってそんな変わんねーし!」 「…コウ」 「急ぎならすぐかかってくるだろーし、ラーメンのびたのなんて死ぬほどマズイじゃん!?麺なんてぶよぶよで大事なスープなんて一口分しか残ってなくて最悪だよな!」 「コウ」 「だからさっ、だから……ラーメン食べてからに、しね…?」 最後は完全に声が震えてた。 大声でベラベラ喋る俺を宥めるように優しく名前を呼ぶ正純。 その声が、冷たい手が、固まった俺の全身をやんわり溶かしていく。 ぎこちない動作で顔を上げる。一体、自分が今どんな顔をしているのかわからない。正純は少し驚いたような顔をした後、前に見せたあのらしくない笑顔を浮かべて俺を見た。 「……コウ、ごめんね?カナちゃんに電話しなきゃだから…、手、離して?」 頭を打ちぬかれたような衝撃が走った。 パーカーを掴んでいた手から力が抜ける。 もう一度謝ってから、正純はそのまま静かに扉を閉めて出て行った。 扉を見つめたまま、ぺたりとその場に座り込む。 ――俺より、カナちゃんを優先された。 それだけだ。 今までだってそんな事いっぱい、覚えてないくらいあった。 正純が誰を何を優先させようが正純の自由だ。 だから当たり前に受け入れてた。なんとも思わなかった。 ……なのに、なんでだろう。 なんで今はこんなに、悲しいんだろ…。 「……」 気が付けば、俺の目からは涙が零れ落ちていた。

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