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第9話

その後、電話を終えて戻ってきた正純とどんな会話をしたのかよく覚えていない。いつの間にか日が暮れてて、母さんが帰ってきて、正純も一緒に夕飯を食って。帰り際に明日もテスト勉強やるか正純に聞かれて、あとは1人でやるってハッキリ断ったのは覚えてる。 でも結局テスト勉強なんかやる気が起きなくて。 ベッドでゴロゴロしてれば、昨日の出来事ばっかり思い出して泣きそうになって。 でも、なんで自分がこんなに傷ついてるのかわからなくてイライラする。 そんな堂々巡りに嵌って、気付いたら月曜日になってた。 正純が迎えに来る事のない家を出て、重い足取りで学校へと向かう。途中、頭がグラグラと揺れてるような気がして足を止める。でもすぐに治まったので、気のせいだとまた歩き始めた。 道中にあるはなまる公園に差し掛かった時、大きな声で名前を呼ばれて地面ばかり見ていた視線を上げる。すると喜んだ大型犬が尻尾を振ってるみたいに手を振る梶と、その横でバカな子を見る親みたいな眼差しを梶に向ける梅ちゃんがいた。 ……ああ、そういえば朝一緒に行こって連絡あったっけ。 カンペキ忘れてたと頭をガリガリかきながら2人の元に行く。 「おはよー!今回も正純先生に勉強教えてもらったんだろ?ヤマ教えてー!」 擦り寄ってくる梶の顔を鷲掴みにして遠ざける。 ……今は、正純に関する話はやめてほしい。 悲しいのにムカついてるとか、よくわかんない気持ちになるから。 「そんなん自分で聞けよ…。梅ちゃんおはよ」 梶の顔から手を離して梅ちゃんの横へと並べば、自然に歩き出した梅ちゃんに倣って重い足を動かす。 「おはよー。ねえコウ、なんか疲れてる?勉強しすぎた?」 心配そうに顔を覗き込まれて、どう返せばいいのかわからなくて苦笑する。 正純に優先してもらえなくてショックだったとか、卒業してからもこの関係のままでいられるのか不安だとか、そんな事を突然言ったって困らせるだけだ。それにそんな事で傷ついたり不安がってるのを知られるのは正直恥ずかしい。 「まあ…、そんなとこ?頭ん中ごちゃごちゃーって感じ」 「あ、いろんな教科一気にやったんでしょ?それダメだよー、絶対赤点取るやつ!」 「うわっ、そういうのやめてくんね!?受験生に落ちるスベるが禁句なのと一緒!」 「だって事実だし!ちゃんと正純に教えてもらってんの?いや、教えてもらってたらごちゃごちゃになんないか。とにかくさ、今回赤点取ったら短い冬休みが補習のせいで更に短くなっちゃうんだよ?ヤでしょ?」 「……ヤだけど」 「ならつべこべ言わずに正純に叩き込んでもらいな。テスト明日からなんだし」 ね?と笑顔で言われても曖昧に頷くことしか出来ない。 だって思っている事を全てぶつけてしまいそうで、しばらく正純とは2人きりになりたくない。ぶつけてしまったら最後だ。いくら面倒見がいいとはいえ、女より俺を優先しろだなんて言われたらさすがに面倒だ。てか、ヒく。お前何言ってんの?って気持ち悪がられて軽蔑されて、卒業前に正純との友情は終わる。絶対に。 深いため息がもれた。 うだうだ考えてても埒が明かない。とりあえず正純のことは無理矢理にでも置いといて、今は明日からのテストに集中しないと俺の冬休みが減るぞ!、と秘かに気合いを入れる。 「……あっ、あれ正純じゃね!?」 梶の言葉にピシリと体が固まる。今入れたはずの気合いはどこへやら。緊張からなのか心臓がバクバクいってる。 顔が上げられない。 見られない。 だってそこには…、正純の、隣には……。 「うわー、可愛い後輩ちゃんと楽し気に歩いてら。見せつけやがってムカつくわー!な、コウ!」 力強く肩を組まれて反射で顔を上げてしまった。 視界に映る凸凹な2つの背中。 背の高い赤茶髪の男と、背の小さいミルクティー色の巻いた髪をふわふわさせながら歩く女の子。楽しそうに笑い合って歩くその姿に、夢の光景がフラッシュバックした。 ―――突然、目の前が真っ暗になった。 グルグルと目の前が回っているような感覚に襲われ、後ろの地面に引っ張られる。 「ぅ、おおっと!え、コウ!?どした!?」 倒れるはずの体は、肩を組んでた梶に支えられて地面にぶつかることはなかった。でも同じ身長の男を立ったまま支え続けられるはずもなく、ゆっくりとしゃがみ込んで上半身だけ支えられてる状態になった。ありがとうとお礼を言いたいのに、ひどい乗り物酔いみたいな気持ち悪さに言葉が出てこない。 「コウ、大丈夫!?ちょっと、梶!お前コウの首でも絞めたの!?」 「絞めてねーよ!いきなり倒れたんだって!」 「ええっ!?コウっ、コウー!聞こえる!?息してる!?」 梅ちゃんが慌てふためきながら俺の頬をぺちぺち叩いてくる。 聞こえてる、息してる、大丈夫。 そう伝えたくて重い瞼をこじ開ければ、今にも泣きそうな梅ちゃんの顔と心配げに眉を顰めた梶の顔が見えた。 「コウっ!よかった~、目開いた~っ」 「コウ、大丈夫か?気分悪い?」 「……きもち、わるい……」 それだけなんとか伝えてまた目を閉じる。でも目を閉じてるとグルグル回ってるのを強く感じてしまって、激しい吐き気が込み上げてくる。 重い瞼のせいで目を開けることが出来なくて吐き気と必死に闘っていると、バタバタ駆け寄ってくる足音と俺のそばに誰かがしゃがみ込む気配がした。 ひやりとした手が頬に触れる。 それだけで重たかった瞼がスッと持ち上がった。 「……コウ」 ―――正純がいた。 動揺しているのか珍しく顔色が悪いが、頬を撫でる手はいつもと同じ温度だった。それが俺を心の底から安心させてくれて、苦しさが溶け出すようにゆっくりと涙が流れた。 「…梅ちゃん、俺コウを家まで運んでから学校行くからさ、先生にうまく言っといて」 「え、あ、うんっ」 正純が俺を抱えようと手を伸ばしてくれたことに胸が詰まる。 俺を心配してくれてる。 俺を助けようとしてくれてる。 そう思うと嬉しくて仕方がない。 ……て、心配させて迷惑をかけてるのに嬉しく思うとか、俺サイテーだな。 心の中で自嘲する。 それでも嬉しさが止まらなくてジッと正純を見つめてると、正純の腕から遠ざけるように強く抱え込まれて驚く。 「……正純、コウは俺が運ぶから。家の場所だけ教えて」 より近くから聞こえた梶の声に、え…?なんで…?と疑問符が浮かぶ。俺は梶じゃなくて、正純に家まで連れてってもらいたいと意思を示すように梶の胸を弱々しく押しやる。 「いいって。俺が運んだ方が早い」 「お前さあ……まさかあの子をあそこに一人で残してく気じゃねーよな?」 ぴくりと手が震えた。 そろりと視線を動かせば、少し離れた所でこちらをジッと見つめるカナちゃんがいた。 指先が急に冷たくなってくる。 さっきの浮かれた気持ちなんて欠片もなくなって、カタカタ手が震えだす。 正純……お願いだから、今回だけは――…っ 「……ごめん梶、コウの事、お願いしていい?」 一瞬、周りの音が聞こえなくなった。 正純の言葉だけが脳内で反響して、グサリ、グサリと、容赦なく俺を突き刺してくる。 梶に背負われて家に向かう時、正純に何か言われて頭を撫でられたけど、何も反応出来ずにただ梶の肩に顔を埋めてた。 なるべく振動を与えないように梶は歩いてくれてたけど、家に着いた安心感に気が緩んだ結果、玄関前で梶のコートに盛大にゲロってしまった。

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