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第10話
ゲロった事に玄関前で叫んだ梶の声に驚いたのか、慌てて出てきた母さんも目の前の惨事に絶叫した。
一先ず動けない俺は玄関に寝かされた。気持ち悪い口をゆすぎたいけど少しでも動いたらまた吐きそうで、じわじわと伝わってくるフローリングの冷たさになんとか耐える。
母さんと梶は、ごめんなさいね?いえ、お気になさらず!というようなやりとりを繰り返しながら俺の戻した残骸の後始末をやってくれた。……本当に申し訳ない。
それから母さんが学校に連絡して事情を話してくれて、梶にはダメにしたコートの代わりに俺のコートを渡してくれた。俺には大き目だったけど、梶が着たらピッタリサイズだったのが少しムカつく。不機嫌そうな顔でお礼を言えば、母さんには窘められ、梶にはくつくつと笑われながらどういたしましてと頭を撫でられた。完全なる子供扱いに更に顔を歪めれば、ついには爆笑された。
どうにか上半身を起こして、ひらりと手を振って梶を見送る。
少し休んでから車で病院へと向かう道すがら、ちょうど母さんの仕事が休みでよかったとホッとした。母さんは美容師をしているから、急に休んだりなんてしたら他のスタッフに迷惑が掛かる。結構指名ももらってるらしく、もし予約なんて入ってたらそのお客さんにも申し訳ないし、お店の信用も落ちてしまうかもしれない。
そんな最悪な事にならなくてよかったとは思うけど、俺は高校生にもなって何してんだか、と自分が情けなくてため息がもれた。
病院は朝から人が多くて、昼なんてとっくに過ぎた頃に家に帰りついた。
結果としては、疲れやストレスが原因じゃないかとのこと。
俺は元々三半規管があまり強くなくて、小さい時は車酔いやめまいで気持ち悪くなるなんてしょっちゅうあった。でも気付けばそんな心配しなくて済む程にまで落ち着いてたから気にしてなかったけど、勉強の疲れとか何かしらの強いストレスがかかって三半規管に影響が出たんじゃないかって、眼鏡をかけた無愛想なお医者さんに言われた。それと、ストレスの原因がわかっているのであれば、遠ざけるかうまく自分で発散してストレスを感じない、溜め込まないのが大事だ、とも。
でも、ストレスの原因なんて……正純のこと以外、思いつかない。
正純を遠ざけるとか、そんなの避けてるのと一緒だし。友情を壊したくないのに自滅してどうすんだっての。そもそも最近の俺が変なのがいけないんだ。うん、正純は悪くない!俺が悪い!
軽くお昼を食べて、ベッドに横になる。まだ気持ち悪さが残ってるけど、あのグルグル回ってるような感覚がないだけですごく楽だ。遅くなったけどみんなに連絡しないと、とスマホを開けば30件以上のメッセージが届いててぎょっとする。急いでメッセージを開けば、大丈夫か?って心配してくれてるメッセ―ジと、泣いてたりガクブルしてたりするスタンプ。それからカン太と梶の変顔写真や、ただみんなでお昼を食べてるところを動画で撮って送って来てるのもあって思わず笑ってしまった。なんなんだよと思いながらも、いつもと変わらない光景に安心する。だからこそ余計に心配かけたくなくて、寝不足で貧血起こしたって嘘をついた。
正純からは、グループではなく個別でメッセージが届いてた。
『大丈夫か?さっきは家まで送れなくてごめん』
『学校終わったら家行ってもいい?』
いつもなら勝手に来るのに、なんでわざわざ聞いてくるのかわからなくて困惑する。もしかして何か大事な話があるのかもしれないと考えたら、自然とカナちゃんの顔が浮かんだ。
どうしようと、返事する指がなかなか動かない。
「……いや、だからなんでそこで悩んでんだよ俺は!」
正純は友達!親友!幼馴染!そんな大事な奴の幸せを祝ってやれなくてどーすんだバーカ!!
そんな意気込みとともに、オッケーのスタンプを正純に送った。
――――――――――
「貧血って、ホント?」
母さんが買い物に出掛けてしまい、2人っきりになったリビング。
一昨日と同じように正純が焼きみかんを作ってくれて、それを有難く頬張っていると少し固い声で聞かれた。ちらりと正純の顔を伺い見れば、思ってた以上に真剣な眼差しとぶつかって狼狽える。命にかかわるような病気でもないから正直に言ってもいいけど、原因が正純かもしれないと思うと言い難い。さり気なくみかんに視線を戻し、繊維を取ってますアピールをする。
「ホントだって。もうさ、やる気出して勉強した結果がコレって俺やばくね!?どんだけ勉強に拒絶反応起こしてんだよってな!」
笑いながら明るく言う。後ろめたさなんてこれっぽっちもありませんよーって顔で繊維をキレイに取った一房を口に入れるけど、緊張してるのか全然甘さが感じられない。
「……やっぱ、」
「やっぱ?」
「……」
特に意味もなくオウム返しした俺の言葉の後がなかなか続かず、どうしたのかとそっと正純を見るが俯いてて表情が見えない。心配になって正純と呼びかけようとすると、パッと顔が上がった。そこにはいつもの笑顔が浮かんでてちょっと安心する。
「やっぱ、コウの頭のキャパは1円玉くらいだな!」
「は…?い、1円玉ぁーっ!?ちっさ!かっる!500円玉くらいはあるわ!」
「ぶはっ!500円玉って…っ、全然キャパちっちぇー!」
「うっせ!!1円玉よりはでかいわ!」
「ハイハイ、そーだね。とりあえず元気そうだけど、明日のテストは受けれそ?」
サラッと正純が俺の怒りを流したことに口がへの字に曲がる。そんな俺に気付いているのかいないのか、正純は皮をむいたみかんを二房一気に頬張って顔を綻ばせる。正純はちゃんと甘く感じてるんだなとつい見つめていれば、それに気付いた正純が視線を上げて思いのほか優しい瞳で見てきた。それがなんだか落ち着かなくて、慌てて手元のみかんを手に取る。
「お、おう!受けないと補習確定だからな、吐きながらでも受けてやらあ!」
「吐きながらはやめとけ。てか、赤点取ったら意味なくね?」
「……だからさあ。梅ちゃんにも言ったけど、テスト前の俺に赤点は禁句だっつの!マジで赤点取るだろ!?」
「ハハッ、梅ちゃんにも言われたんだ?まー、そうなんないように俺が来たんだし。今回出そうなヤマだけ教えるからそこは頑張って覚えて。でも無理は禁物ね?」
「っ!?ありがとう正純先生…っ!」
感激のあまりガシッと正純のみかんを持ってる手を両手で握る。少し目を大きくした正純は困ったように笑って、どういたしましてと呆れたように言った。正純の手は相変わらず冷たくて、自分から握っておいてちょっとびっくりする。それと同時になんだか恥ずかしくなってパッと手を離すと、逆に正純に手を掴まれて今度はこっちが目を大きくさせた。
なぜか正純も驚いた顔をして自分の手を見てる。これは一体どういう状況なのかと俺が動けずにいれば、ふっと息を吐いた正純は弱々しい笑みを俺に向けてきた。
それはこっちの心臓が痛くなるほどの笑みで息を呑む。
そんな顔をされたら不安が募る。何を言われるのか、聞きたいような聞きたくないような相反する気持ちがぶつかって、俺の心の中はひとり戦争状態だ。
ふいに掴まれた手の力が強まり、正純が口を開く。
「コウさ………俺といて、楽しい?」
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