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第12話

俺は明日のテスト分だけのヤマを、梶はみっちりとヤマ以外もスパルタ並に正純に教えて貰っている。いつも俺に教えるより数倍も厳しくて、横で聞いてる俺の耳にもたまに痛い言葉が聞こえてくる。それから逃げるように休憩がてら3人分の飲み物を作るべくリビングへと下りた。 母さんはまだ帰ってきていない。買い物に行くと何軒かはしごして大量に買ってくるからいつも時間がかかる。 俺はお湯を沸かしながらカップを3つ棚から取り出し、ついでにスティックタイプのブラックコーヒー1本とカフェオレを2本手に取る。コーヒーは正純で、カフェオレは俺と梶だ。梶とは味の好みが似てるのか、食堂とかファミレスとかの好きなメニューが被ったりする。苦いのが苦手で甘いのが好きなところも一緒。和食より洋食、魚より肉、和菓子と洋菓子はドロー。ついでに言うと炭酸とナスが苦手なのも一緒。ここまで好みが似てると若干気味が悪い。 ふと、正純のスパルタ授業に半べそかいてる梶の顔を思い出してつい吹き出す。 俺の家で勉強する時はいつも正純と2人でだったから、今俺の部屋に梶がいるのがすごく新鮮だ。おかげで余計なことを口走らなくて済むし、ちゃんと自分の勉強にも集中出来るから助かる。 でも、正純の様子が変だったのは気になる。人の手を掴んできたり、一緒にいて楽しいか聞いてきたり。そういえば、梶が来たときもなんか変だったよな?今は普通だけど…。 俺の最近の言動がおかしかったせいかもしれないと、沸いたお湯をカップに注ぎながらため息が漏れた。自分でもよくわからない。感情が勝手に動いて、焦りとか苛立ちとか不安のせいで態度がおかしいし、体調も悪くなるしで良い事なんて何もない。それがもし正純に影響を及ぼしているんだとしたら……。正純の為にも、もちろん自分の為にも早くこの意味不明な気持ちにケリをつけて、前の俺に戻らないといけない。 ユラユラ湯気を立てるカップをお盆に3つ乗せ、零さないように慎重に階段を上る。どうやら少し扉が開いていたらしく、中の光が廊下に漏れていた。一応部屋の暖房はつけてるけど、廊下のこの冷たい空気が流れ込んでたら意味がない。と、思いつつもカップの中の茶色い液体が零れないようにゆっくりと進む。 どうにか俺の部屋の前まで来たところで、静かな話し声が聞こえてきた。 「―――ねえねえ、あの子とはもちろん延長するっしょ?」 俺はドアノブに手をかけたまま、ピタリと動きを止めた。 「なに、急に。てか顔ちけえよ」 「ねえーねえー、どーなんだよー」 「うざさ半端ねえ……」 面倒くさそうな正純の声が聞こえてくる。恐らく梶が正純に擦り寄ってでもいるんだろう。 俺は急に跳ね上がった心拍数を落ち着けるように細く息を吐いた。 「―――するよ。全然カナちゃんのことわかってないし」 きゅうっと胸が絞られる。息が苦しくなる。 カナちゃんの事なんて、わかんなくていいのに……。 思わず浮かんだ言葉に、自分で愕然とする。 なんでそんな言葉が浮かんできたのかわからない。 ただ、俺は正純にカナちゃんの事をこれ以上知ってほしくないと思ってる、というのは理解できた。 それじゃまるで……カナちゃんと付き合うのを反対してるみたいじゃんか。 ―――ぽろり。 目から鱗が落ちたように視界が晴れた気がした。 その考えはスッと俺の心の隙間にピッタリと収まり、やっと地に足が着いた気がした。 「やっぱなー!あんだけ可愛けりゃ逃がすのは惜しいしな!」 「可愛いかもしんないけど、俺はそんな考え持ってないから。外見云々じゃなくて、ちゃんとカナちゃんって子を知った上で答えてあげたいの。ま、梶にはわかんねえだろなー」 「うーん、正純がイケメンだから言えるセリフだってのはわかった!」 「お前も黙ってりゃな…」 「ん?なになに?もしかして今俺の事褒めた!?ねえねえ!」 「くっそうぜえ」 2人の会話を聞きながら、正純の口から”カナちゃん”って言葉が出る度に胸が痛くなって泣きたい衝動が込み上げる。 朝一緒に登校出来ないって言われた時や、昼飯も別々って言われた時のムカムカ。 カナちゃんが正純の恋人だって言われて感じた激しい怒り。 正純との関係が終わることへの不安と恐怖。 いつもと同じやりとりに感じた嬉しさ。 忘れられない、正純の冷たい手。 あの子の事をこれ以上知りたいと思わないでほしい。 ―――知ったら、正純も好きになっちゃいそうだから。 恋人なんて作らないで、俺の隣にずっといてほしい。 ―――俺の隣は、正純じゃないと違和感しかないから。 正純の隣は、ずっと俺のものであってほしい。 ―――お前の隣は、俺のものだろ? 手をかけたままだったドアノブを押して扉を開ける。 「あ、コウおかえりー。ありがとう」 正純が笑顔で立ち上がると、俺の持っているお盆ごと正純に奪われる。 その時に俺の手に軽く触れた正純の冷たい指先。 そこがじくじくと熱を持ち始め、全身に熱さが広がっていく。 やっと、わかった。 俺は、正純のこと―――。 「コウ?なに突っ立ってんの。まさか立ったまま寝てた?」 テーブルにカップを置いた正純がおかしそうに笑う。 その顔が、好きだと思う。 優しく名前を呼ぶ、その低い声が好きだと思う。 俺は―――正純の全部が好きだ。 「コウなら寝れそう!つーか、顔赤くね?また熱出た?」 「ちっ、げーし!梶うぜえ!」 「ひどっ!ただ心配しただけなのにー」 およよと泣き真似をする梶を睨みつつ、確かに火照ってる頬に触れる。と、目の間に影が出来た。え?と顔を上げる前に額に冷たい感触。 「んー、熱はなさそうだね。暖房で顔赤くなってるだけっぽい」 そう言って両手で頬を包み込まれ、ピシリと固まる。心臓が小動物並の速さで鼓動をし始め、変な汗がじわりと噴き出る。 「ちょっとー、目の前でイチャコラしないでくれない?」 「だって、俺コウの冷えピタ役だし。熱いんなら冷やしてあげないといけないんですー。な?コウ」 クイッと顔を上げさせられて、強制的に正純と見つめ合うことになった。楽し気なクシャッとした笑顔と優しい瞳が予想外の近さにあって、さらに顔が熱くなる。 胸がドキドキしすぎて苦しい。 正純の顔なんて飽きるくらい見てるはずなのに、何かフィルターがかかっているのかいつもの何倍もカッコ良く見えて自分でも混乱する。視線を合わせていられなくて、スッと横にズラして何もない宙を睨む。 いやもう、十分カッコイイのは知ってるから!俺が一番よくわかってるから!わかってるんだから落ち着けっ、俺! そう思うものの、自覚してしまえばもう終わりだ。あとは落ちていくしかない。 恐る恐る手を上げる。正純にどう思われるとか、梶がそこにいるのにとか思わなかったわけじゃない。でも、正純の手に触れたかった。頬を包んでる骨ばっていて大きなその手にどうしても触れたくて、冷たいその手を温めたくて仕方がない。 それが頭の中を占めていて、衝動のままにそっと正純の手を覆う。 俺の方が手が小さいから全部は無理だけど、 温まるようにキュッと握りしめる。すると、ピクリと正純の手が震えた気がした。 「……俺は、正純のホッカイロ役なんだろ?……ずっと、その役引き受けてやっても、いぃ、けど…」 たっぷり間を開けてからちらりと正純を見れば、目も口も大きく開けてまさにポカンという表現がぴったりな顔をしていた。自分で言っておきながら恥ずかしすぎてきゅっと唇を噛みしめる。正純の手をどかせば逃げることなんて簡単だけど、俺からこの手を離すことはできそうにもなかった。

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