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第15話
言われた意味がイマイチわからなかった。
わからなかったというか、思考回路が鈍くなって言葉の意味を俺の脳がなかなか理解してくれない。いや、理解したくないのかもしれない。
正純と距離を置けって……なんで?なんでそれを、俺に言う?俺が正純と距離を置いたってなんも変わんないだろっ?
「ごめん…、ちょっと言ってる意味、わかんないんだけど」
段々イライラしてきて語気が荒くなる。そんな事を言われる筋合いはないと眉間に力が入ってしまったが、それでもカナちゃんは至って冷静だった。
「いきなりこんな事言ってすみません。……でも、長瀬先輩が距離置いてくれないと、正純先輩……私の事、ちゃんと見てくれないと思うんです」
「……そんな事、ないと思うけど」
「あります」
きっぱりと断言されて言葉に詰まる。正純はちゃんとカナちゃんに応えたいって言ってたし、俺から見ても向き合ってるように感じた。それでもカナちゃんがそう言うのなら何かしらの理由があっての事だと、話を促すように低い位置にある彼女の顔を見つめる。
「……実は私、先輩たちと小学校から同じ学校なんです」
「え!?そうだったの!?」
「はい、驚きますよね。正純先輩にも告白した時に言ったら驚いてました。……正純先輩の事はかっこいい人がいるって噂で聞いている程度で見た事はなかったんですけど、小学三年生の時に偶々廊下ですれ違って、先輩の笑顔に見惚れました。まだそれが恋だなんてわかってなくて、先輩が卒業する時にやっと気付きました。中学に入学して久々に先輩の姿とあの笑顔を見る事が出来てとても幸せでした。……でも、彼女がいると知った時の辛さと苦しみにも悩まされました。先輩はカッコいいからモテるのは当たり前だけど、恋するってこんなにツライんだなって思い知りました」
そこで一旦言葉を区切って俯いたカナちゃんに、掛ける言葉が浮かばなかった。
そんなに前から正純の事が好きだったなんて思いもしなかったし、本当に好きなんだっていうのが伝わってきてこっちが苦しくなる。でも今まで同じ学校だったのに、カナちゃんの事を全く知らなかった。こんだけ可愛ければ絶対噂になってるはずなのに。
「……諦めようとも考えました。私が隣に立っていい人じゃないって。私はふさわしくないって。でも……先輩の笑顔を見る度にやっぱり好きだなって思って、諦められませんでした。だから…、変わろうって思いました」
カナちゃんは真剣な目で俺を見てきた。大きな瞳の奥に固い決意が見えて、思わずたじろぐ。でも視線を逸らすことは許されないような気がして、俺はその瞳を虚勢を張って見返す。
「自分が変わって、正純先輩の隣にいても周りから文句言われない人になろうって。それまで外見なんて気にしてなかったけど、先輩の彼女だった春崎 先輩がすごくキラキラして見えて、私もあんな人になりたいって思いました」
「春崎…」
昔の記憶を思い返すまでもなく、すぐに頭に浮かんだ。
春崎美幸 。正純が中学時代に最後に付き合った同級生の子で、その交際期間も1年と一番長い。クラスが違ったけどよく俺たちの教室に遊びに来ていた。とにかく明るくて表情もよく変わって、春崎がいるだけでその場が明るくなるから一緒にいて楽しかった。
「勇気を出して春崎先輩に、私を先輩みたいにしてくださいってお願いをしに行きました。春崎先輩は驚いたみたいで、もしかして正純のことが好きなの?って聞かれて素直にはいって答えました。それでも先輩は、同志だねって明るく笑って引き受けてくれたんです」
春崎らしいなと中学時代が懐かしくなる。
カナちゃんは、元々はメガネをかけて髪も手入れしてないような地味な見た目をしていたらしい。それを春崎のアドバイスで髪を切り、コンタクトに変えてメイクの仕方も教えてもらい、少しずつ自信をつけて前を向いて歩けるようになったみたいだ。カナちゃんはその時の事を思い出しているのか、柔らかい表情で話してくれた。
春崎もびっくりしたんじゃないだろうか。
普通の子でも髪を切ってコンタクトに変えただけで印象がガラリと違うから、カナちゃんの場合は別人並みに変わったはずだ。まあ、春崎なら可愛いを連呼して抱き着いてそうだけど。
カナちゃんがいつ春崎に声を掛けたのかわからないが、春崎からそんな話を一切聞いたことがなかった。それをカナちゃんに聞けば、女の努力は秘密にしておくものだと春崎に言われたらしい。そういうもんなのか?と男の俺にはよくわからなくて首を傾げる。
それにしても、今の彼女になるまでに大きな勇気と、底知れない努力があったのか…。
なんか、女子って強いわ。勝てる気がしない。
気付かれないようにそっと自嘲の笑みをこぼす。なんの努力もなしに正純の隣に居ることに、言いようのない罪悪感を感じた。
「私、春崎先輩が正純先輩の話をしている時がとても幸せそうで、それを見ているのが一番好きだったんです。でも……」
不意に、言葉を詰まらせて悲し気に視線を伏せたカナちゃん。どうしたのかと心配に思うも、その言葉を掛けるのは躊躇われた。
「…ある日突然、春崎先輩から電話が掛かって来て、泣きながら正純先輩と別れたって話を聞かされました。私も正純先輩が好きだから喜ぶべき所なんでしょうけど……ショックの方が大きくて何も言葉が出ませんでした。先輩は私を変えてくれた恩人で、お姉ちゃんと言ってもいい存在で。正純先輩の事は好きだけど…、私は春崎先輩の悲しんでる姿を一番見たくなかったんです」
「……」
確か正純と春崎が別れたのは夏休みにみんなで花火大会を見に行ったあとだったはず。その時の春崎はいつもと変わらず笑って喋って楽しんでいたように見えたから、まさかその後に別れるだなんて思いもしなかった。正純もフラれた理由がわからないみたいで、すぐに春崎に連絡しようとしたらやめとけって正純に止められた記憶がある。
「聞きづらかったけど、どうして別れたのか理由を聞きました。先輩は、私の事を見ているようで見ていないのが辛かった、って言ってました。あんなに幸せそうだったから、本当は辛い思いをしていたなんて全然気が付かなかったです。そんな自分がすごく悔しくて、情けなくなりました。しばらくはそれがどういう意味なのかわからなかったけど、正純先輩を見ていたら……わかりました」
春崎が別れを切り出した理由を初めて知ったが、俺にも意味がわからなかった。俺から見ても正純と春崎は一緒にいて楽しそうで、仲が良いのが伝わってきたし、暗い顔をしている春崎なんて見たことも聞いたこともない。辛そうだなんて、俺も微塵も思わなかった。
それが、カナちゃんにはわかった。
一体どういう意味なのか。
ただ無言でカナちゃんを見ていると、ゆっくり顔を上げたカナちゃんの表情は、悲しいような怒っているような何とも言えないものだった。でもその瞳の強さは変わらなくて、一瞬春崎の姿がカナちゃんに重なる。
「……正純先輩の中で、いつも一番は長瀬先輩なんです」
「……え?」
俺が、一番…?いやいや、そんな事ないだろ。最近の正純はカナちゃんの方を優先させてるし。俺が一番だなんて思ったこともない。
「正純とは長い付き合いだけど、俺が一番なんて事ないと思うよ。それに、それと別れた理由とどう繋がるわけ?」
「……私は、まだ正純先輩とそんなに一緒にいるわけじゃないです。でも、話題にはいつも長瀬先輩の名前が出てくるんです。コウがさ、コウって、コウだったら、って…」
「…っ」
正純が、俺の好きな奴が、俺のいない所でも俺の事を考えてくれてるんだと思わず口元が緩みそうになって手で隠す。嬉しい。嬉しいけど、今はそれを出しちゃいけないと歯を食いしばって歓喜に耐える。
「私が好きになった笑顔も、長瀬先輩といる時が一番自然体で素敵に見えるんです。先輩と並んで歩いて、目を合わせて楽しく話してるけど……正純先輩の頭の中は長瀬先輩ばかりなんです。私の入る余地なんか、ないんです―――だから、」
ぽろりと、カナちゃんの瞳から大きな涙が零れ落ちて目を見開く。
それは絶えることなく次から次へと溢れ、カナちゃんの頬を濡らしていった。それでもその瞳の強さは変わらずに俺を見つめ続け、何かを必死に訴えてくる。
何かなんて、そんなの決まってる。
俺にもある、正純を好きだって気持ち。
好きだから、自分を見てほしい。知ってほしい。
でも、あなたがいるから、邪魔をするから、それも無理なんです。
そんな声が聞こえて来て体が固まる。
そっと、暖かい手が俺の手に触れた。
「だから、お願いです……正純先輩を、解放してくれませんか?」
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