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第3話

 少なからず芥川は中也が体調を崩した事を知っている。其の上で太宰からの呼び出しに応じるのだから其の中には「あわよくば」も含まれて居るのだろう。其れと同時に如何足掻こうとも二人の中に割り入る事等到底不可能であると深く理解をしている。 「あ」  小さく声を挙げたのは太宰だった。ガリッと奥歯で飴玉を噛み砕き、路上に屈み込む中也へ視線を落とすも直ぐに隣に立つ芥川へと視線を移す。 「御随意に、太宰さん」  太宰の云わんとする事を察した芥川は確りと見据えた儘一度だけ頷く。其れから太宰の片手を取り腰を屈める。其の儘手の甲に口吻ける心算か、勿論芥川は其の心算だっただろうが持ち上げた太宰の手の甲に唇が接触する寸前、其の手は握った儘顔を上げ頬の端にそっと口吻ける。  其の行動は太宰にとっても意外な物だったらしく、頬に触れる薄い唇の感触には僅かに身を引き掛けるが、視界の端に捉えた絶望に苛まれる表情を浮かべる中也の姿が迚も滑稽に見えて口角を引き上げる。  芥川もそんな中也へ一瞬だけ視線を送るも直ぐに外套を翻し、中也とは反対方向の道の奥へ姿を消して行く。  芥川の背中を見送る事も無く、太宰は中也へと歩みを寄せ目前で視線を合わせる様にして屈み込み、両膝を抱え中也の顔を黙って見詰める。  芥川が太宰に好意を抱いて居るのは周知の事実だった。其の芥川に対し頬であろうとも接吻を赦す事が太宰の応えで有るのかと、正常な思考を持ち合わせて居る時の中也ならば考え及ばない事であろうが、此の日の中也は違って居た。熱に浮かされ普段では考えられない程の気弱な状態、目の前で起こった事を何でも悪い方向に捉えて仕舞う。今の中也の中では約束を反故にした事よりも芥川が太宰の頬に口吻けた事実が大きな不安として頭の中を占めて居た。  太宰は小刻みに震える中也を唯見詰めて居た。行き交う街の人々は二人を避けて歩いて居る。 「……ねえ」  痺れを切らした太宰が先に口を開く。 「…………厭、だっ……」  左手を伸ばした太宰の襟首を中也の両手が唐突に掴む。 「厭だ!」 「厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ!」 「一寸」 「芥川ン処に行かないで、厭だ、俺の事嫌いに為らないで太ざッ」 「一寸、一寸待ってってば」  堰を切ったかの様に喚く中也の口を慌てて太宰は手で塞ぐ。向けられた中也の両目には瞳が揺れて見えなく為る程の涙が浮かんで居た。 「はあー……」  自らが何を云って居るのかも理解していない様子の中也は、太宰の溜息でさえも自らへの失望と捉え、次から次へと湧き出す涙は太宰の手許の包帯を濡らして行く。 「欸、もう」  こうなって仕舞った中也はもう手が付けられ無い。子供返りとも表現すれば判り易いか、太宰は此の症状を発症した中也を見るのは初めてでは無い。だからこそ今も同じ組織に属する芥川に此の醜態を晒す訳にはいかなかった。 「ほら」  おいで、と云わん許りに太宰は中也に向けて両腕を広げる。親に怒られる事を怖がる子供の様に、不服気な表情を浮かべた儘歯を食い縛り、其れでも何かを云いたそうに真っ直ぐ視線を向ける。 「おいでよバンビーノ」  其処に悪意が含まれて居るのか、人好きのする笑みを浮かべて太宰は中也が行動に出るのを待った。 「……餓鬼じゃねェよお」 「知って居るよアモーレ」  躊躇いを見せつつも胸元へと顔を埋める中也に安心した太宰は肩に掛けた外套ごと中也を抱き締め、感情が落ち着く迄ゆっくりと背中を撫で続けた。 (先に約束を素っ放かされたのは私の方なのだけどなあ……)

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