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侑紀

 ショーウィンドウの向こうを歩く人影も少ない、夜の表通り。ライトを半分消して、音楽も止めて、さてコーヒーでも飲んでから残りの作業をしようかなんて思っていた。  入り口前のスポットライトから伸びる影が、ふと目の端に入る。顔を上げると細長い男の姿があり、二つの瞳がまっすぐにこちらを見ているのに、少し迷ってから内鍵を開けた。  こちらの第一声を制するように、男が口を開く。 「もう閉店だよね」  いや、正確には、口を開いたのを実際に見たわけではない。わずかに動いた白いマスクの下から、くぐもった声を聞いたのだ。 「構いませんよ、どうぞ」  営業スマイルには興味がないといったふうに、ふいっと目を伏せて横をすり抜ける。その均整のとれた美しい後姿に、葉(よう)はお決まりのフレーズを投げかけた。 「何をご用意しましょうか?」 「ローファー……この服に合うような」  ゆるいシルエットのカットソーに、きれいにプレスされたアンクルパンツ。足元はスニーカーだが、確かにスマートなローファーもよく似合うだろう。 「かしこまりました。店内ご覧になりますか?」  一列置きに消したライトを再び点けながら振り向くと、しかし彼はやはり興味がなさそうにソファに腰かけて明後日を見ている。見立てを信頼してもらえるのは嬉しいが、それにしては取りつく島のない態度にいつも戸惑う。この店に並ぶ靴は、一足がそう安くはない。それを気軽に買っていく彼は、いわゆる上客の部類だろう。 「これなんていかがでしょう」  無造作に投げ出された足元へ屈み、スニーカーの紐を解く。 「外しても?」 「ん……」  薄いフットカバーを脱がし、陶器のようにひんやりと冷たい足を押し戴く。 「カンガルーレザーの一枚仕立てなんですが……少しカジュアルすぎるかな」  オレンジに近い明るいブラウンのローファーをあてがおうとしたが、彼のつま先は葉の手を抜けて、太腿へ乗せられた。  マスクと前髪のわずかな隙間からこちらを睥睨する、氷のような美貌のなかそこだけ熱っぽく潤んだ瞳。  予感がなかったわけではない。ただ、戸惑いが消えることもない。  決まって葉の遅番の夜、閉店間際か今夜のように閉店後にやってくる若い客。  女王のように高慢な態度で葉を跪かせ、気まぐれに翻弄するのだ。 「ねえ」  ただ、今夜の彼はいつもと違っていた。いつもより美しく、いつもより妖しい。  つ……踊るように滑らかな動きのつま先に、ジーンズの股間を撫で上げられる。たまらず呻いて目を上げると、彼のウールのパンツの硬い生地もくっきりと持ち上がっている。  手を引かれた拍子にローファーが転げ落ちたが、彼は構わず自らの股座へ導く。張り出した前ではなく、その下。触れた指先から伝わるのは――鈍い振動だ。  頭の奥が熱くなり、鼓膜が膨らむ。転がり出しそうな鼓動を押し分けるように、ムー、ムー、彼の腹の中からバイブ音が聞こえた。 「ねえ…………ブラインド、下ろしてくれない?」  片耳からマスクを外すと、はあ、熱いため息を吐く。  美しい男だ。  薄い頬、通った鼻筋、形の良い唇。繊細に彫り上げられた二重瞼の奥から、黒曜石を嵌めこんだような瞳がひたと見つめてくる。 「あの」 「パンツ、下ろしなよ」  やはり葉のせりふを制するように命令して、 「あんたも、こんな、なってるくせに」  白い指先で葉のファスナーをつまみ、ジジーッ、下ろす。 「いや……あの……」  ずり下げられた下着からほとんど飛び出した自分の昂ぶりに、自分で驚く。  うっそりと目を細めると、彼はそれに頬ずりをし、ぱくりと口に咥えた。 「ぅあっ……」  狼狽した葉の喘ぎ声に、んふふ、と笑うと、そのまま口をすぼめて大きく往復する。ぷっ、と空気を含んだ音が立って、やがて染みだした先走りと唾液が混じり、粘ついた音に変わっていく。なぜこんなことになってしまったのか嘆く気持ちは、ただただ純粋な快感の前にあまりにあっさり消えてしまった。 「んっ……んむ……む……」  鼻で喘ぎながら葉に口淫を施す彼の髪を掴み、引き剥がしたいのか押しつけたいのか、リズムに合わせてただ前後させている。伏せた目蓋が淡く色づき、苦しげに眉間を寄せて葉を喉まで飲み込み、ちゅぷ、しゃぶる。 「……待って……だめ…………出そう」  黒絹の髪が指からするりと抜ける。  こほ、こほ、小さく咳き込み、ぎらぎらと濡れた口の端を拭うと、彼はウールのパンツを脱ぎ落した。小さな染みのできた下着も脱ぎ去り、両膝を上げて大きく股を晒す。彼のすぼんだ尻穴からは、輪になった細いコードが二本垂れていた。ムー、ムー、ムー、そこから漏れる、くぐもったバイブ音。 「……ねえ……俺をこのままにするの?」  魅せられたのだと思う。  輪っかに指をかけ、ゆっくりと引き抜く。 「んっ」  ピンクの肉が広がり、こぼれ出た黒い楕円の機械は、ねっとりとローションをまとい、ひるむくらい強く震えていた。もう一本に指をかけ、同じように引き抜く。 「あ……は……」  その刺激で甘く達したのかもしれない、恍惚の表情で喉を反らし、ぐったりと背もたれに倒れ込む。  玩具を失ってもぱくぱくと息をするように動くそこは、ぬらぬらと内臓の色の肉を覗かせ、葉をしきりに煽るようだった。 「……なに見てんの」 「いや……」 「男の汚いケツなんて見たくなかった?」 「いや……きれいだ、と、思って……」  きゅっ、と、そこがすぼまる。 「ばかじゃないの」  裏腹の悪態だと、だから、身体は隠すことができないのだ。 「いいからはやく……あんたので……気持ちよくしてよ……」  必死にやり過ごしていた射精感が、再び駆け上がる。  投げ捨てたローターが、硬い床の上でゴリゴリと音を立てて跳ねまわる。  葉はしなやかな両脚を肩に担ぎ、彼の中へ押し進んだ。 「入れる、よ」 「――あっ……うそ……ほんとに入ってるっ……」  彼は甲高く喚いて、葉の首へ腕をまわした。耳元からかすかに香る、香水のラストノートは甘い。  温かく、柔らかく、食いちぎりそうなほど締め付けてくる。味わったことのない感触に、正気が薄れて情欲が剥き出しになっていく。それほどまでに、極上の具合だった。 「…………動くよ」  言い終わるや否や腰を振ると、 「んっ……」  一際甘く喘いで、もどかしそうに頭を振る。 「大丈夫?」 「いいから、おく、もっと」 「……こう?」  突き当りに先端が届き、強烈な痺れが走る。 「あっ、そう、もっと、いっぱい」 「こう、かな」 「ぁんっ、そこ……こすって、もっと……」 「……やばいな、ここ」  ひとりごちたのか、声に出てしまったかはわからない。  あとはただ、あられもない言葉と獣じみた息を交わしながら、オーガズムを追いかけるだけだった。  美しく、妖しく、淫靡な男だ。  魚住侑紀(うおずみ・ゆうき)。エンタメに大して詳しくない自分でも知っている、人気アイドル。元アイドルと言ったほうがいいだろうか。グループ解散後は、ソロで活動している。有名な映画監督と早逝の女優の息子ということで、デビュー当時話題になったのもおぼえている。  決して口外することはないが、店の性格上、芸能人の客も少なくない。  この店で行われるのは、サービスを提供し、顧客を満足させる、ただそれだけの営利活動のはずだった。 「あっ……あっ…………あぁーー……」  か細く悲鳴を上げた侑紀が、精液を撒き散らしながら仰け反る。脱力した彼の腰を掴んでさらにしばらくグラインドさせれば、葉にも弾ける感覚が訪れる。 「……ごめ、いく」 「あっ、なかっ、ちょうだい」 「……ふっ……ふぅっ……」  抗わなかったわけではない。きつく腰を引き寄せられて、抜き出すより先に暴発したというだけ。  射精した葉よりも感じ入った表情で震えていた侑紀が、焦点の合わない目で、天井に向かって呟く。 「…………好き」 「…………え?」 「……あんたのことだよ」 「は、俺?」 「くそ、やっぱ伝わってねーし」  途端に苛立ったような彼に胸を押し返され、ずるり、繋がっていた身体が離れる。  ぐちゃぐちゃに乱れた髪をさらに掻き回しながら、侑紀は不機嫌そうに唸った。 「和田さん」 「なんで名前……あ」  指先で示された胸元のネームプレートに、失言を気づかされる。 「和田さん、下の名前は?」 「……よう」 「どんな字?」 「はっぱの葉」 「ふうん。葉さん」 「あ、はい」 「責任取ってよね」 「責任……」 「俺の処女。あんたが奪ったんだから」  そうしてまさに、奪われたそれを見せつけるように、片膝を上げてポーズを取る。粗相した精液がとろりと溢れる、しとどに濡れた秘する場所。ここにねじ込んで、確かに犯した。  両膝から力が抜ける。 「これからよろしく、葉さん」  茫然と見上げた先の侑紀は、咲き誇る薔薇のように艶やかに笑った。

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