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侑紀3
ハロウィンの夜、悪魔がやって来た。
「ねえ、お菓子は?」
連絡もなしに、いやまあ、今までだってろくに約束なんてしことはなかったが、それにしたって突然だった。玄関を開けた先に魚住侑紀が立っているなんて場面、まさかテレビの外で見ることになるとは、ついこの間まで思ってもみなかったのに。面食らったまま「ないけど」なんて間の抜けた返事をするのがせいいっぱいだった自分は、事実、菓子をストックしておく習慣がないのだ。
ふん、といつものように不興げに鼻を鳴らした侑紀が、その白魚のような指で葉の胸を突く。
「じゃ、悪戯ね」
事の起こりは、だから、彼のいつもの傲岸と酔狂だったのだと思う。
しかし今もう、そんなことはどうでもよくて、そんな、せいぜい点けっぱなしのテレビ番組がCMに入ってから明けるまでの間の出来事さえ、夢か幻かわからないくらい、彼の虜になっていた。
チノパンから抜き取られたベルトで、後ろ手に両手をきつく縛り上げられた。皮膚が擦れて痛かったが、その乱暴さは彼の興奮そのものだとわかるから、愚かだろうか胸が高鳴った。
張り倒されるようにベッドに尻餅をついて、弾んだスプリングが収まらないうちにチノパンと下着を下ろされ、既にゆるく勃っていたそれを口に含まれた。
「んむ」
喉の奥まで頬張って、鼻息を上げながら、侑紀が口淫を施す。
氷像すら溶けてしまいそうな冷たく透き通った美貌を色づかせて、苦しそうに眉根を寄せて、ちゅる、先走りを強く啜る。こういう時いつもなら、たまらなく愛おしい気持ちで彼の絹糸のような髪を撫で、もっとぐちゃぐちゃにしたい気持ちで形の良い頭を掴んで喉の奥の奥を責めるのだが、痛いくらいきつく縛られた手首がそれを許さない。
ちゅ、ちゅむ、股の間で侑紀の頭がうごめき、舌づかいの音がする。閉じたいのか開きたいのかわからない太腿がわななき、快感と我慢で滲んだ涙でコンタクトレンズが浮いた。
「ゆーき、くん」
はむ、と、葉を含んだまま侑紀が上目遣いに見上げてくる。
「り、たい」
「――なに?」
「触り、たい」
葉を咥えるのをやめたべっとりと濡れた唇の隙間から、荒い息をつく。侑紀は白い歯列に指を入れしばらく探っていたが、一本の太い縮れ毛を摘み出すと、嫣然と微笑んだ。
「ダメ」
絞り出した懇願を軽やかに却下し、葉の股座に屈み込むのをやめ、オーバーサイズのゆるいカットソーをかばりと脱ぐ。現れたのは滑らかな裸体ではなく、ぬらりと黒光りするエナメルのキャットスーツだった。
「それ……」
「よーく見ていいよ」
茫然と呟くだけの葉へけしかけるような視線を寄越すと、ぴったりとしたキャットスーツに包まれた完璧な身体をひけらかす。繊細なラインを全て浮き彫りにするスーツは、もちろん、彼の下腹部の膨らみもはっきりと示している。少し左側へ寄っていて、そこから高く突き出そうとしている。スキニーな黒パンツだと思っていた下半身が最初からこのキャットスーツだったのだとわかると、彼の危うい好色さにぞくりと背筋が震えた。
「……葉さん、びしょびしょ」
んふふ、愉快そうに葉を揶揄って、わざとらしく腰をくねらせる。
「これ、そんなにいい?」
「侑紀、くん、ねえ、触りたい……」
再びそれだけ願うだけで、達してしまいそうだった。
「言ったデショ。悪戯だって」
ぎし、侑紀は葉の太腿の間に片膝で乗り上げ、両肩に手を付くと、首元のファスナートップを鼻先まで近づけてくる。
「ファスナー、下ろしてよ。口で。できる?」
「わかんない……けど」
ゆらゆらと揺れる小さな金属を、葉は舌を伸ばして絡め取った。
「ん……」
苦心して前歯で噛むと、口の中に金属のひどく不快な味と感覚が広がる。
「はは、下手くそ」
「んっ……」
しばらくは力加減がわからず何度も引っかかったが、次第に二人の息が合い始め、葉が頭を少しずつ沈め、その肩を支えに侑紀が伸びをすると、ジーッと滑らかな音を立ててファスナーが開いてく。侑紀の裸の胸は、むっと汗ばんでいた。湿り気を帯びた香水のにおいを鼻から吸い込んだだけで、くらりと昏倒しそうになる。窪んだ臍が現れ、とうとう、その下の彼がこぼれ出る。彼もまた、瑞々しく滴っている。
はぁ、侑紀は恍惚としたため息を吐いた。
跨って腰を振る侑紀の下で、葉はただ喘ぐだけだった。ひどくもどかしく、もしこれが永遠に終わらないなら気が触れてしまうかもしれないと、ちらつく絶頂を追いかけながら馬鹿げたことを考えた。
「あ、あ、ゆーき、くん」
「あ、おく、すご、あ、も、いくぅっ」
二人してわけもわからず喚きあいながら、激しく痙攣する彼の中で自分もぶるぶると射精した。やっと解放された両手で彼の蒸れた肌を弄るうちに再び燃え上がり、今度は侑紀を後ろから突きながらまた二人で果てた。
シャワーを終えて満悦顔の悪魔がアイスを所望し、そんなもののストックなどもちろんない自分は近くのコンビニへ走り、さてそういえば彼の好むフレーバーを知らないことに気づき、バニラとストロベリーと、もしかしたらと抹茶と、期間限定のパンプキンを買い込んだ。会計の時にスウェットの袖口から見えた自分の手首が赤紫に腫れていて、内心少し焦った。
代替案を複数持ち帰るという無難な行動がどうやらまた彼の不興を買ったようだったが、分け合って食べたバニラアイスは、火照りの冷めきらない、疲弊した身体に快く染みた。葉の肩にしなだれかかっていた侑紀の長い長いまつ毛が、いつか、ゆっくりと伏せられている。
「……起きてる」
先制するように言う、その声が今にも眠ってしまいそうに甘い。
「うん。おやすみ」
洗いたての極上の手触りの髪を撫でると、悪魔は――天使は、静かに音息を立て始めた。
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