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第13話
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ゲルニアは、まだまだ仕上がり半分の報告書から顔を上げ、両腕を天井へうんと伸ばした。肩関節が小気味よい音を立てる。続いて首を左右に揺らし、最後には後ろへ反らした。大きな窓がある。既に太陽は赤く色を変え、落ちかけていた。
急ぎで提出するものは既に書き終えた。
(帰るか)
ペンを机の上に転がし、立ち上がる。ずっと座っていたせいで尻が痛い。同室でなおもゴリゴリ手を動かしているゲルニア付きの文官を見、相変わらずだなと呆れる。
なんせ、ゲルニアより早く来ていたにも関わらず、ほぼ席に座ったままなのだ。
「ヒルメ、これ、ギース様まで頼むよ」
「はい、承りました」
即座に返事があり、ペンを持っていない方の手が差し出される。目線はずっと文書の方へ向けられたままだ。慣れたもので、そこに書類を置く。
この愛想のなさから、あちこちをたらい回しにされていたところをゲルニアが引き取った。最年少14歳での文官合格者の彼との付き合いはもうすぐ2年になる。ゲルニアは、彼のことを気に入っていた。
仕事は早いし、余計なことも言わない。関わりが楽だからだ。ゲルニアは帰宅の旨を伝え、ヒルメに背を向けた。
「ナゴ族、買われたんですか?」
唐突な言葉だった。一瞬、自分達以外に誰かいただろうかと考えてしまった程だ。振り返る。ヒルメが珍しく机から顔を上げていた。
猫のような大きな目がゲルニアを見据えている。
驚いたあまり、笑みを貼り付けるのがわずかに遅れた。
「買ったよ」
言ってしまって、黙っておけばよかったかとも考えたが、まぁいいかと思い直す。ヒルメはそれ以上何も言わず、また手を動かし始めた。
なんなのか。
それにしても、ヒルメまでもがこの話題を知っているとは珍しい。
部屋を出た途端、待ってましたとばかりに、複数の部下に囲まれた。
「ゲルニア様、ナゴ族を買われたというのは本当ですか?」
「なんでもゲルニア様と同じ美しい銀髪だとか」
「高かったんでしょう、うらやましいですよ」
どれも事実ではあるが、どうしてこうも具体的な話が出回っているのか。にこやかに頷きながら、さすがのゲルニアも混乱していた。
「ギース様の申し出を断ってまで、ご自分で買われるほど、気に入られたとか」
その一言で、誰が発信源なのか検討がついた。
目的はわからないが、ギースの仕業だろう。
(ナゴ族を買ってやるんだと大きい声で言いながら城を出たからな。いざ自分が支払いをしていないと周囲にバレたら気まずいとか、そういうことか)
それにしても、こうもナゴ族が注目を集める存在とは考えていなかった。面倒だ。
(俺への嫌がらせも兼ねているのだろうな)
ゲルニアは終わりの見えない質問の嵐に頷いたり曖昧に首を傾げたりしながら、その場を後にした。
***
(げ)
ブズは1度、2度、目を擦った。
店の入り口に、1人の青年が立っている。銀髪の背の高い男だ。黒の外套に身を包み、にこやかな表情を浮かべている。片手を上げ挨拶をされた。
こちらに一直線に向かってくる。
「少し時間をもらえるかな」
「はい」と頷かざるをえない問答無用の眼力だった。
ブズは渋々、店を他の者に任せ、奥の応接間へとゲルニアを通した。狭いが、足の低い机とそれに高さを合わせ作られた横幅の広い椅子が向かい合わせに2脚置かれている、落ち着いた色調が自慢の部屋だ。ブズはそこで机を挟み、ゲルニアと対峙をした。
とはいっても、あの夜の悪夢が蘇り、目を合わせられない。
「リツのことなんだが」
さて、リツとは誰のことだったかと迷ったのが顔に出てしまったらしい。「銀の毛並みをした、店の隅に追いやられていたナゴ族だ」と、鋭い目線とともに返ってきた。
ああ、元凶の名前だったか。
「発情期の周期を知りたい」
「周期、ですか。はあ」
正直把握していない。他のナゴ族であれば、それも1つの『売り』になるのできっちり管理をしているが、リツに関しては、その都度その都度の対応をしていた。
しかし、そんな返答では、ゲルニアは満足しないだろう。それどころか余計に怒りを買う可能性が高い。ブズは慎重に言葉を探った。
「……だいたい月に2度くらいだったでしょうか。時期ははっきりとは決まっていませんでした」
案の定、睨まれた。慌てて、言葉を足す。
「ただ、発情期には前兆がありまして。それで判断をしておりました」
「前兆?」
「はい。香りです。かすかに甘い香りが漂い始めたら、その数時間後には発情します」
あの夜もそうだった。
店から帰ったはずのギースが戻ってき、リツを買い求めたあの夜、既に薄く香りが立ち上っていた。
もしかしたら、長くナゴ族と関わってきたブズにしかわからない程度かもしれないが、敢えて、そうとは添えなかった。
ちらと様子を窺えば、ゲルニアは「香りか」と小さく呟き頷いていた。少しは満足のいく情報だったらしい。ブズはホッと息を吐いた。
「で、お前はリツを縛っていたのか」
「……あの子が縛ってくれと言ったので」
危ない、危ない。ここで正直に頷いてみろ。即座に拳がとんでくるぞ。
背中にだらだら脂汗をかきながら、ブズはどううまくコトを伝えるか悩んでいた。事実は事実なのだ。リツはブズに「縛ってくれ」と懇願してきた。あれが唯一の手間だったとさえ言える。
しかし、そのきっかけはなんだったか。
ブズの中でリツは、比較的手のかからない『穀潰し』であり『暇つぶし』のための道具であった。
ほとんど声を発せず、小さく震えるしか能のない哀れな存在だ。初めての発情期の際も両手両足を縛ったまま、終えていた。それが珍しく面白く、次からの発情期でも、「前は触れてはいけない」とよくよく言い含めて放置していた。
以来、リツは寝るとき以外にも、発情期の前に、「縛ってくれ」とせがむようになったのだ。
しかし、恐らくはゲルニアが知りたいのであろう、リツが何故ああも縛ってくれと言うようになったのかは思い出せないか、あるいは本当に知らない。
「あの子が望んでのことです」
更に強調しておく。
全身に突き刺さるような沈黙が続いた。痛い。視線が痛い。ひたすら俯きそれに耐える。やがて、「わかった」と声が聞こえてきた。ようやくの解放に、ブズは満面に笑みを浮かべ顔を上げた。
ガキッ。
次の瞬間、頬に衝撃を受け、再び椅子に沈み込んだ。状況が理解できず、チカチカと瞬く視界の中でゲルニアの姿を捜す。
机の上に片足を上げ、更なる拳を振り上げているところだった。
(あ)
痛みを感じる間もなく、強い衝撃に揺すられた頭は意識を手放した。
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