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第16話
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目蓋の上を陽の光に照らされ、リツの意識はゆっくりと浮上し始めた。無意識の内に、手首と足首を左右に動かし、自由が効かないことにホッとする。
いつのまにか眠っていたようだ。目を開ける。
すぐ近くにゲルニアの整った顔があり驚くも、傍で感じる体温やかすかに聞こえてくる息づかいに安心をした。
胸板に頬を寄せ、鼓動に耳を傾ける。また、目を閉じた。
(あれ)
そこで違和感に気がつく。
ブズの店程ではないが、床は固い。絨毯の上だ。自分はともかくとして、どうしてゲルニアが。そう考えていく内に昨晩のことを思い出した。
(ゲルニア様の要望に応えられなかった)
両手両足が縛られているのは、諦められたからなのだろう。せっかく、求められたのに、ちゃんとできなかった。
それでもこうして傍にいてくれているのは、どうしてなのだろうか。
(優しい)
まだ、期待はしてもらえているのだろうか。そうであれば、今度こそ応えたいと思う。ご主人様の望みが、きちんと、両手両足が自由な状態で、きちんと前を触れながら達するということであれば、頑張りたい。
不意に項を撫でられ、息を詰める。
「難しい顔をしてどうした」
起きたばかりの瞳はいつもに増して柔らかく細められていた。見られていたことに気がついていなかったリツは顔を赤くし俯いた。
ゲルニアの指が遊ぶように動き、リツの髪を絡ませ、時折皮膚にも触れてくる。くすぐったい。
「もう太陽が高いな。寝すぎてしまった。食事にしようか、リツ」
熱が離れる。ゲルニアは起き上がり、大きく欠伸をした。その様子がなんだか新鮮で、まじまじと視線を送ってしまう。
気づいたゲルニアは、ほんのり頬を染めた。目を逸らし、頭を掻く。
「何が食べたい? 昨日もあまり食べていないと聞いたが」
そう問われても、リツの頭に浮かぶものは少ない。腹が満たされれば何でも良いし、もっといえば、そこまでお腹が空いているわけでもなく食べなくても構わない。
困り顔でいるリツにゲルニアは苦笑した。
「何か、美味しいと思うものはあったか」
更に促され、何か答えなければと焦る。
「ぜ、全部。全部、美味しい、です。こちらで頂いたもの、全部」
「そうか」
答えはあっていたようで、ゲルニアは嬉しそうに微笑んでくれた。それを受けて、リツの気分も向上してくる。縛られた手を絨毯につき、上半身を起こす。ゲルニアが近づいてきて、紐を解いた。
「――起きている間は、そのままでいいんだろう」
檻のないここでは、ずっと縛っていてくれた方が安心できるのだが、ゲルニアがそれを望んでいないことは何となくわかった。
リツは小さく頷いた。頑張ろうと、決意したばかりだ。
ゲルニアは立ち上がり、扉を開けた。侍女を呼び、何事か頼んでいるようだった。次いで、リツを手招き、寝台の縁に並んで座る。
「昨晩はすまない。無理をさせるつもりはなかった。自分がここまで我慢が効かない奴だったとは思わなかった」
「すまない」と更に頭を下げられ、リツの方が申し訳なく思う。
「ぼ、僕が悪い、です。ちゃんと、できなくて、ちゃんと、」
言っている内に視界が歪んでくる。ポロポロ涙が落ちた。
嗚咽の中で、「今度はもっと頑張ります」と不格好ながら伝えることができた。ゲルニアはそんなリツを抱き寄せてくれた。
「ああ」
頭まで撫でてもらえ、リツは感激するばかりだった。嬉しくて嬉しくて、自由な両手で恐る恐るゲルニアにしがみついた。
***
現れたのは体格のいい中年女性、ミエラだった。片手に一つずつ銀のトレイを持っている。そこからは白い湯気が昇っていた。
リツは身体を緊張させ、思わず身を引いた。剥かれることはないだろうが、ぎゅうと自分の着ている服を握りしめる。
「こら」
ゲルニアからポンと背を叩かれ、驚く。ミエラから視線を主の方へやれば、眉を潜めた怖い顔をしていた。
「ミエラが服をきれいにしてくれたのだとリシェから聞いた。それなのにその態度はよくない」
「ゲルニア様、私は別に気にしては」
「リツ」
「よくない」と言われたことがショックだった。リツは青ざめ、慌てて頭を下げた。
よくない。よくない。怒られた。嫌われる。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、ご主人様」
「俺へではない。ミエラに」
「ごめんなさい、ミエラ、様」
褒められ、浮かれていた自分が恥ずかしかった。
ゲルニアの掌が宥めるように背を上下に動く。それでも、リツの緊張は解けなかった。溜息が聞こえてきた。
「リシェはどうしている」
「リシェ様は、まだ眠っておられます。――随分と昨日は頑張っておられましたから」
「そうか」
笑い合う気配に、ますます萎縮してしまう。
勘違いをしそうになっていたことに気がついた。自分のご主人様はゲルニアに違いないが、ゲルニアの可愛がるナゴ族はリシェだ。それに、自分はまだここに来て数日しか経っていない。余所者だ。
ミエラは食事をゲルニアに渡すと部屋から出て行った。
「リツ、受け取って」
緊張した腕でトレイを貰う。ゲルニアに倣って膝の上に置いた。落とさずにできた。腿がじんわり暖かい。
「ゲルニア様、ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
また、溜息を吐かれる。
間違えた。
橙色のスープの中に雫が落ち、小さな輪を描く。
「食べてごらん。きっと気に入る」
リツは首を横に振った。まだ我慢できる程度の空腹だった。「大丈夫です」と伝えれば、低い声音で「食べて」と叱られた。
リツは震える手で匙をとり、スープを掬い、口に入れた。とにかく食べなければとそればかりだった。
ゲルニアは何も言わなかった。
静まりかえった部屋の中でとり食事は、リツにとって苦行でしかなかった。きっと、ゲルニアも同じ思いをしているに違いない。そう思うとなおさら悲しくなった。
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