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第18話

 ** 18 ** (ゲルニア様に、恥ずかしい思いをさせてしまった)  歯の根が合わない。リツは胸の前で両手を組み、祈り続けた。歩く度に大きな振動が伝わってくる。怒っているんだ。 (このまま、ブズ様のところに連れていかれるんだろうか)  捨てないでくれと訴えれば、また頷いてくれるかもしれない。そうは思うものの、今のリツにはその勇気もなかった。  大きい身体は可愛くない。傷だらけの身体は汚い。低い声は耳障りだ。縛ってもらえないと眠ることも発情期を越えることもできないし、きちんと前を触ることもできない。 (僕はおかしい)  全部、わかっている。わかっているのに、「捨てないで」などと、もう口にできない。リツは、更に固く手を組む。  それでも、祈らずにはいられなかった。 (捨てないで)  ゲルニアが望むのなら、全部全部その通りにする。できるように頑張る。  傍にいたい。傍にいたい。   「リツ」  ハッと顔を上げる。と同時に、冷たい空気が中に入ってきて頭痛がした。息を忘れていたらしい。  ぱたぱたと、頬を伝い、涙が落ちる。 「ご、主人様、ご、ごめんなさい。ぼ、く、す、捨てて下さい。ブズ様のところに、も、も、どります」  ゲルニアが顔をしかめるのを見、また何か間違ったのだと気づいた。  口を閉じる。うるさいと、思われたのだろうか。  悲しくて悲しくて、嗚咽が酷くなる。固まっていた指先を無理矢理解き、口を抑える。うるさい。きっとうるさいって、また、溜息を吐かれる。   「ぅ、ぅ――……」  苦しい。   「あれ、もう戻ったんですか? ちゃんと買えました?」  リシェの声がする。 (ゲルニア様の、ナゴ族)  可愛らしい、赤い毛並みのナゴ族。器用で、いつでもきれいにしていて、優しい。  彼となら、もっと楽しい買い物ができただろう。  横たえられた寝台の上、膝を引き寄せ丸くなる。ゲルニアの私宅に戻ったのだということはわかった。  捨てられないのであれば、何か罰を与えられるのだろうか。  ギシと寝台が軋む。腕だ。細い、とはいっても、リツよりも圧倒的に立派で、しっかりと筋肉の筋が見える。のしかかられている。  怖い。 「こっちを向いて、リツ」  こめかみのあたりを撫でられる。命じられるがまま、リツは恐る恐る正面を見た。手が、今度は頬へと移動する。  いつその手が拳をつくるのだろうかと思うと、口に添えられたままの手が震えてしまう。   「リツ、大丈夫だ。ちゃんと、ほら、息を吸って。手を離しなさい」  殴るなら、早く殴ってくれればいいのに、リツはぎゅうと目をつむり、腕を両脇に避けた。足も伸ばす。無防備に晒されてしまった身体が、いつ痛みに襲われるのかわからず、怖い。せめてと、両手でシーツを握りしめた。   「ぅ――……」 「リツ、ごめん。ほら、もう部屋に戻ったから。安心して。無理させた。ごめん。リツ、もうしない。リツ、リツ」  ゲルニアの手は、まだ頬から動かない。  ブズは、よくリツを殴った。「また売れ残った」だとか、「うるさい」だとか「邪魔」だとか、突然現れ突然始まる罰は、予想がつかなかった。  心臓が痛いくらいに打っている。  触れられた手から、意識を逸らせない。不意に、ゲルニアが動く気配がした。 「ひっ」  小さくあがった悲鳴に反して痛みはなかった。  代わりに、唇のすぐ横に柔らかいものが触れる感触があった。目を開ける。銀の髪が、ぱさりと、一筋落ちた。  これまでにないくらい、近くにゲルニアの顔があった。 (唇、が)  何をされたのか理解できた途端、一気に体温が上がった。 「ゲ、ゲルニア様!」 「うん」 「な、にを」 「ううん?」  手は、頬から今度は耳の付け根へと移っていた。そのまま、ゲルニアは、リツの隣に寝転んだ。長く細く、息を吐いている。  リツは、混乱しながらも、ゲルニアとの近すぎる距離を離した。  それに気づいたゲルニアの両腕がリツを捕らえた。抵抗する間もなく、正面から抱きしめられる。 (わ、わわ)  別の悲鳴が飛び出しそうになった。 「食事、無理矢理、全部食べることはしなくていい。眠れないというなら、縛ってもやる。そのまま発情期を迎えたいなら、――そうしよう。ゆっくり……など言いながら、焦っていた。少しでも早く、リツが普通に、楽になればと、そう」  語られる内容がうまく頭に入って来ない。  ゲルニアが殴りもせず、こうして自分を抱いてくれ、落ち着かせるように優しく頭を撫でてくれていることが信じがたかった。   「捨てないから、大丈夫だから」  どうして。  耳の先や付け根、こめかみに、音を立てながら吸いつかれる。ぞわぞわとしたくすぐったさに襲われ、リツは全身に鳥肌を立て震えた。  気持ちが良い。  たくさん触れてくれて、嬉しい。 「タイチョーさん」  そのとき、扉が叩かれた。「入っていいですか?」という、不安げな声に、ゲルニアの身体が離れる。起き上がり、自ら、扉のノブを回した。  廊下に立っていたのはリシェだった。  ぼぉと横たわったままのリツに気づき、大きな耳の先を下に向け、俯いた。 「お店で、何かありましたか?」 「リシェが気にすることは何もない。少し、俺が急ぎすぎたせいだから」 「で、も」 「ありがとな、大丈夫だ」  ゲルニアがリシェの頭を撫でる姿を見、苦しくなった。  そうか、ここには立派なナゴ族であるリシェがいる。別に自分がいようがいまいが、それほど大きなことではないのかもしれない。 (でも、これ以上は、迷惑かけないようにしないと)  いくら優しいとはいえ、今度こそ捨てられるかもしれない。罰があるに違いない。  リツは目を閉じた。  ゲルニアとリシェの姿を見たくなかった。そういうふうに考えてしまう自分が、滑稽で、怖かった。  触れられていた場所が、まだ熱を持っている。  下腹部のあたりに覚えのある疼きを感じ、まさかありえないと無視をした。   (普通に、早く普通になりたい。面倒かけたくない)   

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