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scene.3 青天の霹靂

 ――それはまだ俺がこのサロンに来て間もない頃。  その頃の俺は、子供の頃からの憧れだった社長の芝崎が経営している本店の方で見習いとして働いていた。この当時の本店では、それまで彼の元に居た別の理容師が店舗独立の為にサロンを去る事になり、また昨今の周辺環境の変化などもあって、店舗の経営自体が危ぶまれていた時期でもあった。  この頃はまだ本店の隣に大きな工業高校が存在していて、学校帰りの高校生たちが少し寄り道をするくらいの活気があったのだが、その工業高校が少子化の影響で周辺の同系列の高校との統合が決定したため、閉校することになった。  その当時の主な客層というのが、実は近所に住む高齢者や隣の工業高校の生徒たちだったので、この高校が閉校することによって常連客が減るかも知れないという緊急事態に陥った。  その為、今後のサロンの客層が変化する事を見越した社長は、この本店自体を閉めなければならないかも知れないと言って、俺を本店からみわ子さんの経営する2号店の方へ異動させることを提案してきたのだ。 「…亜咲君。…少し君に話したい事があるんですが…」 「はい、何でしょうか?」 「君はまだ、今の仕事を続けるつもりがありますか?」 「…俺は、出来れば…このままもう少し続けたいと思ってます」 「…そう、ですよね…。ですが、今のままでは恐らくこのサロンも閉店せざるを得ないと、私は思っています。ですから…君さえ良ければ、今後はこちらではなく2号店の方で働いてもらおうかと思っているのですが…」 「…俺は別に構いませんけど…社長はどうするんですか?…このままこの店舗ごと、今の仕事も辞めてしまうんですか…?」 「…いえ。すぐに辞めるつもりはないのですが…もちろん、ここを利用したいと言うお客様はまだいらっしゃいますし、私自身もこの店舗は残していきたいと思っています。ですが…」 「辞めないでくださいよ。…俺は社長に憧れてこの仕事に就こうと思ったんですよ。…今の俺にとって社長は人生の全てなんです。その貴方がこの仕事から離れてしまうのは…寂しい…」 「…亜咲君…。」 「俺は別に店舗が変わろうとどうなろうと、今の仕事は続けていくつもりです。それが今の俺の目標です。…だけど、そのきっかけをくれたのは社長なんです。だから、出来る事なら貴方には今の仕事からは離れて欲しくない。…この店舗を残したまま、今後も営業を続けていく方法は、探せばいくらでもあると思いますよ」 「…そうですね。…やはり君のような若い世代の意見を聞く事はとても大切ですね」 「大丈夫ですよ。社長ほどの技術力と人脈があれば、例えどんな形であっても続けられるはずですよね?…俺は貴方を信じてますから」 「…そうですか?」 「出来ますよ、社長なら。今までだってずっとそうだったじゃないですか」 「亜咲君は本当に真っ直ぐで気持ちいいですね。…君のような人なら、きっと2号店のオーナーであるみわ子さんも喜んで受け入れてくれるでしょうね」 「だって社長は元カリスマ理美容師でしょ。何とでもなりますって」 「…いえ、それは…。私は昔の事はあまり覚えていないので…」 「えー…俺はあの頃の社長を見てて、いつか自分もこういう風になりたい!って本気で思ったんだけどなー」 「…ですが、憧れだけではこの仕事は務まりませんよ?…最終的にはお客様との信頼関係が一番重要なんです。接客業ですからね」 「それはもちろん分かってます。…こういう技術職や接客業がそんな簡単なものじゃないって事は。…だけど、社長のような人に憧れてこの仕事に就いた…俺みたいな存在が居るって事も忘れないで」 「…亜咲君…。ありがとう」  俺はそう言って、社長の顔を見上げた。 この人は、あまり昔の事を語りたがらない。どういう理由かは分からないけど、敢えてその話を避けているようにも思えた。なので俺も違う話に切り替えて、こんな事を質問してみる。 「あ、そういえば…支店のみわ子さんって、確か社長の元奥さんなんですよね?…どうして別れてしまったんですか?」 「…それはまあ、いろいろとね。…考え方の違いとか、お互いも分からないような様々な憶測というのはありますけど…私も彼女も、今のこの関係性が自分たちに最も合っていると判断したから、ですかね?」 「へえ、そうなのかぁ…」 「亜咲君も、もう少し大人になったら分かるかも知れませんよ?」  その頃はまだ俺も年齢的に幼くて、社長が何となく言葉をはぐらかしたような感じはあったんだけれど、それがまさかお互いに触れてはいけない事であるとは思っていなかった。  その事に俺が気付いたのは、やっと歳を重ねた最近の事だ。 そしてそれが、二人の子供で現在の俺の恋人である航太に関わっているという事も。  ――そんな航太に俺が初めて会ったのは、本店から支店に異動してから1年後の事だった。

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