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scene.4 出会いと焦燥

 ――そして。  俺は、あらかじめ社長から提供された今後の生活拠点となる寮のアパートへの全ての引っ越しを終え、その翌日から2号店へ出勤する事が決まった。…その翌日。 「…おはようございます。オーナーはいらっしゃいますか?」 「はい。お待ちください」  当時の2号店には、オーナーであるみわ子さんの他、理美容師の資格を持つ従業員が数人と、公認カウンセラーの資格を持つ従業員が一人在籍していた。 「…君が藤原亜咲くん?…初めまして、オーナーの乾です。社長からお話は伺ってます」 「あ、はい。…藤原です。今日からこの店舗で働かせてもらうことになりました。まだ見習いですが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」 「ご丁寧な挨拶をありがとう。これから一緒に頑張って行きましょうね」 「はい、よろしくお願いします」 「…早速だけど藤原くん。本店では、どこまで教えてもらっていたのかを教えてくれる?」 「…それなんですけど…実は俺、本店に入ってからまだ1年も経ってなくて…基礎とかもあまり教わっていない状態なんですが…」 「あ、そうなの?…それじゃ、こちらで更に学んでいく事になるんですね。…ちなみに藤原くんは、どの資格を取得するのが目標なんですか?」 「あ、はい…俺は一応、理美容師の資格を取るという事で、これまで本店の方で就職させてもらっていました。ですから、こちらでも同じような感じでお願いしたいかな、と…」 「なるほど。ではそのつもりで私の方でも対処はしますね」  そう言って、みわ子さんは俺を快く受け入れてくれた。  航太が現れたのは、その後だった。当時の航太はまだ中学2年くらいで、時々学校の帰りに店舗にやって来てはスタッフルームの奥で黙々と一人で勉強していたり、休憩中の他のスタッフと世間話をしていたようだった。  俺はまだ新しい職場に慣れていなくて、時々ふらりとやって来る航太の姿を何度か見かけるものの、どうしても声を掛けられなくて、遠目からずっと不審者を見ているような感覚を持っていた。 「…何だよお前。オレのこと睨んでんじゃねぇよ」 「え…あの…ごめん……。」  航太との最初の会話は恐らくこんな感じだったと思う。 彼の事を不審者のような目で見ていた俺も悪かったけど、向こうも俺のそんな所に気付いていたのか、当時のお互いの第一印象はあまり良くなかった。 「航太!初対面の人にそんな言い方をするのは失礼でしょ。謝りなさい!」 「…は?向こうが勝手にオレの事睨んできただけだろ」 「…あの…別にそんな事しなくても…。悪いのは俺だし…」 「いいえ、こういう事はきちんと言わなくちゃ駄目なのよ。それが自分の子供なら尚更ね」 「子供…ですか?」 「そう。この子は航太。…私の息子よ」 「ああ、そうなんですね。…だからこの店によく来るんだ。…えっと…航太君…?…どうも初めまして。俺、藤原亜咲って言います。」 「…乾航太です。…さっきはすみませんでした」 「…ああ、それは別にいいよ。…俺も変な目でずっと君を見てたりしてごめんね。…俺、今度からここで働く事になったんだ。…よろしくね」 「…ふうん。…あんたって何歳?」 「俺?…19だよ。君は?」 「…オレは中2」 「あ、そうなんだ。…じゃ、俺とけっこう年齢が近いんだね。これからよろしくね」 「…ああ。…母さん、裏借りるよ」 「…いいけど…あまり遅くならないように帰りなさいよ?」 「…分かった」  俺が挨拶をしようとしたのに、航太はそんな事はお構いなしと俺の事は大して気にも留めずに、そのまま裏のスタッフルームに入っていってしまった。   「…全く…。藤原くん、ごめんね。…あの子、いつもあんな感じなんだけど決して悪気はないと思うの。だから許してあげて」 「…いや、許すも何も…知らない人間がいきなり来たら誰だって嫌ですよね…。」  「…やっぱり父親が居ないと駄目なのかしら…」 「…父親?…それって社長の事ですか?」 「そう。かなり昔に別れちゃったけどね…。…あの年代は本当に難しいわ」 「…中2だと13歳か14歳くらいですよね?…それなら大丈夫だと思いますよ。俺もあれぐらいの時はあんな感じだったし…ただの反抗期なんじゃないですかね?」 「それだけならいいんだけど…」  そう言うみわ子さんの顔には、年頃の子供を抱える母親としての何とも言えない焦燥感のようなものが表れていた。   「…そういえば…店舗経営は今でも共同なのに、どうして社長と離婚なんて…?」 「…そうねぇ…。彼と私と店舗を経営していくうえで、お互いに目指すところが違っていた…っていうのが一番近いかしら。…私はご覧のとおり、この店舗をただのヘアサロンにしたくなかったの。もちろん、理美容師としての資格だけでも十分に店舗を経営していくのは可能だけど、今の時代はそれだけじゃこの業界では生き残っていけない。特に私達のような全てのサービスに手を掛けている所は、どうしても昨今の低価格サロンに押されてしまいがちなの。つまるところ、今のお客様が求めているニーズとはあまり合わないのね。だけど、彼の場合は全てのサービスに手を掛けながら、それでいて今の時代に合った低価格帯のサロンとしてやっていきたいという信念があった。…それで意見が分かれてしまって。だから、この2号店を別に出店して共同経営する事を条件に、彼と協議離婚をしたのよ」 「…へえ…そうだったんですね…。」    なるほど、そう言われてみれば確かに、社長が設定していた1号店のあの価格設定を考えると、みわ子さんの意見には納得の一言だった。 俺は未熟ながら、社長が1人であれだけの事をやっているのに、この価格設定はどうなんだろうかとずっと思っていた。  俺がまだ地元に居た頃に幾度となく利用していた個人経営のサロンでさえ、このサロンの倍の金額はあったのだ。  そんな社長の強い信念の裏で、ここへ来て1号店のあの問題が出てきてしまったのだ。 悩みは尽きないかも知れないけれど、恐らくあの社長の事だから、今後もあのままで経営していくつもりなんだろう。  その姿は、幼い頃にテレビを見ていて、俺が密かに憧れたカリスマ理美容師の芝崎護という、まさにそのままの姿だった。  

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