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scene.7 理想と現実

「こんちわー。亜咲でーす」  俺は、みわ子さんの指定した時間に合わせるように1号店の方へ顔を出した。 店舗の中を軽く見渡すと、確かにそこには結真さんと一人の客しか居なかった。 「…ああ、亜咲か。ごめんな、急に呼び出したりして」 「それは全然構わないっすよ。…社長は?」 「裏のアパート。遺品整理に行ってるよ」 「え、そうなんすか?…誰か亡くなったんですか、裏の住人で?」 「…ああ。こいつの爺さんがな…」  そう言って結真さんが指し示したのは、今まさにそこに座っている客人だった。 見た目は俺と同じくらいか、もう少し年上だろうか。一瞬女性と見間違えるかと思うほど、随分と小綺麗な姿をしている。 「…なあ、リオン。本当に手伝わなくていいの?」 「…いいんですよ。どうせ私が行っても足手まといにしかならないから」 「そうは言ってもな…。一応、君のお爺さんだろ?何か手元に残しておきたいものとか…」 「…そんなもの、あの人の部屋にはありません。あっても酒瓶くらいでしょ」 「…リオン…」  『リオン』と呼ばれたその客人は、どうやら結真さんとは知り合いらしい。 お互いの会話の交わし方から、その様子は見て取れた。 「え、と…。リオンさん、でいいですか?」 「…はい」 「…俺は藤原亜咲、と言います。このサロンの従業員です、此処じゃないけど。…いきなりですみませんけど、あの…。」 「はい」 「…リオンさんは…うちの社長や結真さんとは知り合い、なんですか?」 「…ええ。こちらのアパートで私の祖父もお世話になっておりましたし…私自身もこちらの社長さんとちょっとした知り合いなんですよ」 「そうなんですか…?」 「まあ、そういう事だな。俺もこの前まで知らなかったけど。…しかし、初めて会った時は驚いたぜぇ…。なあ亜咲。彼女…航太に似てないか…?」  そう言われて、俺は改めて『リオン』という名のその人の立ち姿を見直してみる。 確かに、その独特な雰囲気は航太がよく俺の前で見せてくる、所謂「男の娘」のような出で立ちの姿そのままだ。…だが、目の前のこの人からは、航太の「男の娘」の時の姿とは全く違う雰囲気が漂っている。…この感じは、何なんだろうか? 「…あの…失礼だったらすみません。…リオンさんは、女性の方…ですか?」 「…あなたには、そう見えますか?」 「えっ、どういうこと?」  返された答えがあまりにも意外過ぎて、俺は少し戸惑ってしまった。 そんな俺を見かねてか、結真さんが横からフォローを入れてくる。 「…亜咲。お前の目は節穴か?」 「…何で!?どう考えても女性にしか見えないでしょ??」 「…馬鹿。利苑はこう見えても男性だ。…俺らと同じなんだよ」 「はあ!?何それ意味分かんねーし!?」 「……亜咲。お前の恋人は誰だ?」 「…え、それは…まあ…航太、だけど……」  そこまで言って、俺は思い当たった。…なるほど、そういう事か。 俺は結真さんのその言葉を聞いて、目の前のこの人が醸し出す独特の雰囲気の理由に、強く納得したのだった。  それは、航太のような故意に『造られた』女性像ではなく、男性でありながら女性の人格も『併せ持った』人物であるが故の女性像なのだと。 「…そうか…。こんなにも違うんだ…。」 「…私が、ですか?」 「いえ、あなたじゃなくて。…実は俺の相方ってのが、かなり変わった趣味を持ってまして…。そいつと見間違えそうになっただけなんです」 「そうですか。…私は、そんなに似てましたか?」 「…いや、違いますね。リオンさんの方がよっぽど綺麗ですよ」 「…お前それ、航太の前で言ったら殺されるぞ?」 「…言いませんよ」 「…どうだか。お前口軽いからなー」 「それより自分はどうなんです?…社長とリオンさんの関係知って、実は密かに嫉妬してるんじゃないの?」 「…おや、言うねぇ。…俺は大人だから、そんな事くらいで揺らいだりしないよ?」 「…それも怪しいなー。だって結真さんトラウマ持ちでしょ?…自分じゃない別の誰かが突然入れ替わって『キーこの野郎!』みたいな事言ってたりしてー?」 「……このクソガキ……。」 「…へへ、図星突かれた?」  そんな痴話喧嘩のようなやり取りをしていた俺たち二人を見ていたリオンさんが突然爆笑し始めたのは、その後だった。 「…え、そんなに!?」 「…ああ、いえ…。何だか2人とも兄弟みたいに仲が良くて楽しそうだなって…」 「…いやそんな訳ないだろ。…俺とこいつとは親子ほども歳が離れてるってのに」 「それを言うなら俺だって嫌ですよ、こんなオッサン!」 「オッサンと来たか…」 「だってそうでしょ」  売り言葉に買い言葉、俺が何か言えば結真さんがすかさず返してくる。そして俺がまた上げ足を取り返して…と、こんな具合で俺たち二人の会話は更にヒートアップしていく。  そんな俺たちの会話にストップがかかったのは、裏のアパートから戻ってきた社長の姿が見えてきた時だった。 「…利苑君、一通りの作業が終わりましたよ。…おや、亜咲君。来ていたんですか」 「あ。お疲れ様です、社長」 「すみませんね、わざわざ。…それで利苑君。とりあえずこんな感じで簡単にまとめてみたんですけど、何か必要なものはありますか?」    そう言って、いくつかの段ボールにまとめられた荷物を床に降ろし、リオンさんがその中身を確認できるように蓋を開けた。 「…しかしまあ、何と言うか…。これほど大量の荷物を、あの狭い部屋によく置いてありましたね…」 「ずっと一人暮らしで寂しかったんじゃないの?…与那覇さんもさ」  結真さんが言った与那覇、というその名前を聞いて、俺はようやく思い出した。 それは、俺がまだこの1号店で働いていた頃に此処へ顔を出してくれた人の名前だった。  その人は毎日、少しでも時間があるとすぐにやって来て、たった一人で上京してきた俺の話し相手になってくれたり、時には俺の実技指導のモデルをしてくれたりもしていた。  今の俺がここまで成長できたのも、与那覇さんの存在があったからこそだ。そんな与那覇さんが…と、俺が少し感傷に浸っていると、その横から鋭い突っ込みが飛んできた。 「…亜咲君。与那覇さんの事、忘れてたんじゃないですか?」 「…え!?…いや、あの…。」 「こちらの利苑君はその与那覇さんのお孫さんですよ。…覚えていませんか?」  いや、そう言われても…。社長の言葉に応えようと、俺は何とか過去の記憶を引き出そうとするのだけど、今自分が見ているこの光景とその状況が混同して、その頭の中は完全にパニック状態だった。 「えーと…」 「利苑君。…これは無理かも知れないね」 「…みたいですね」  俺は話についていけずに、完全に取り残された状態になってしまった。 そんな俺の困り果てた姿を見ていて、結真さんが会話の矛先を変えてくれたのだった。 「芝崎さん、これ終わったらリオンに…」 「ああ、そうでした。…本来の目的を忘れる所でしたね。結真君、ありがとう」 「亜咲にはどの作業をやってもらえばいいですか?」 「そうですね…コールドパーマの施術作業をしてもらいましょうか。…彼は器用だし、とても上手ですからね」 「え、俺…?」 「そうですよ。うちの従業員の中でも、特に君のパーマ施術は長けてますからね」 「…な?そういう事なんだって。…だからみわ子さんもお前を指名したんだよ」 「…そうなんですか?…俺、あまり実感ないけど…」 「亜咲君。…君はもっと自分に自信を持っていいんですよ。…僕も、結真君も…それにみわ子さんだって、その技術の高さをちゃんと認めているんですから。…ね?」 「…はあ…。」 「では、僕は今からこの荷物をリサイクルショップに持っていきますので…。その間の作業は、結真君と亜咲君の二人でお願いしますね」 「分かりました、行ってらっしゃい。…ってな事で…亜咲、そろそろ始めるぞ」 「…あっ、はい」    そう結真さんに促され、俺はこの仕事に就いてから5年目にして、初めて一人の理美容師として、本格的な対客(の一部だけだが)を行う事になったのだった。                  

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