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第12話 涙のキッス1

(葵語り) 期末テストが終わり、数週間で夏休みに入ろうとしている頃だった。 俺は人生で初めて赤点を取った。 奇しくもそれは熊谷先生が担当している現代文で、それが彼には気にくわなかったらしく、くどくどと説教を受けることになった。 「伊藤君、現代文赤点ってどういうこと?」 別に俺が赤点を取ろうが一切関係無いと思うのに、熊谷先生は怒り口調だ。机に置いた答案用紙をバシバシと何度も叩かれた。 「君さ、いちおう補習って目的で、ここで昼ご飯を食べていることになってるんだよ。 国語がこんなにできないとは思わなかった。赤点取るなら教えておけばよかった。はぁ……」 「……はい。」 くどくどくどくど言われる。 「夏休みになったら、補講を受けてもらう。もれなく夏休み中でも俺に会えるな。よかったね。」 「…………しょうがないもん…………」 「今、なんか言った?」 「何も言ってません。空耳です。」 嫌味な言い方に反論したかったが、何倍になって返ってきそうだったので言葉を飲み込んだ。できなかったものはしょうがない。 だって国語は苦手なんだよ。 遠くの方で予鈴が鳴る。 説教モードの熊谷先生から早く逃れたくて、素早く片付けをして生徒指導室を出ようとした時だった。 ドアを開けると、廊下から聞き慣れた声が耳に入ってくる。その内容に思わず固まり、動けなくなった。 「猪俣先生、赤ちゃんは元気?」 「元気ですよ。毎日よく寝て、本当に可愛いです。」 話し声からして、先生と女の先生のようだった。楽しそうに談笑している。 「奥さんは?育児に疲れてない?」 「疲れているみたいで。俺も手伝っているんですけど……なかなかですね。母親は大変みたいです。」 久しぶりに先生の声を聞いた。 奥さんの手伝いとかするんだ。 奥さんはどんな人なんだろう。赤ちゃんは男の子?女の子? 奥さんは、綺麗なのかな? 奥さんは………… 気が狂いそうになった。 自分が今まで抑えていたものが、すべて溢れてくる。考えないようにして、避けて通っていたものが一気に押し寄せてきた。 先生の家、家庭、家族、赤ちゃん、奥さん。 せんせい…… ずっと聞きたくて聞けなかったこと。 恐くて口にすることすらできない。 先生から連絡を待っているだけの、体だけで繋がる俺達の陳腐な関係。 俺は先生の何ですか……… いつの間にか唇を噛み締めていたらしく、口の中は涙と鉄の味がした。 「我慢せずに泣いていいよ。」 突然、後ろからぎゅっと抱きしめられて、俺は困惑する。ふわりと煙草の匂いがした。

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