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第32話 さようならこんにちは4

(猪俣先生語り) 葵が夏休み前から俺のメールに応じてくれなくなったので、終わりは予感していた。 漠然と別れを悟っていたように思う。 それはどす黒いコールタールの様に俺の心を侵食していった。葵が俺から離れようとしている。現実を直視したら、真っ暗なそれにあっという間に飲み込まれそうだった。 かわいい、かわいい、俺の葵。 先生が好きと言ってくれたこと、俺には家族が居て気持ちには応えらないと断っても、それでもいいと泣きながら笑ってくれたこと。 堕ちていくのは分かっていた。 いつの間にか、葵という名の柔らかい棘に絡みつかれて動けなくなっていた。葵の弱さと優しさに付け込んだ俺は悪い大人だ。 卑怯な分、別れを葵が望んだ時は静かに受け入れようと決めていた。どんなに不本意でも、気持ち良く送り出してやりたかった。 自分勝手な俺の、せめてもの償いだ。 旧校舎の使われていない教室に入ると、カビ臭い匂いが鼻をついた。ここは来春に取り壊される予定だから、悪い思い出も一緒に持って行ってくれればいい。 「あの……先生」 「……ああ……」 葵が気まずそうに切り出した。 これから俺は振られると思うと哀しくなる。本当は続きを聞きたくなかった。 「俺、先生との関係を終わりにしたいです」 最後だけでも格好良くいたかった。 これからは俺に振り回されたり、泣いたり、笑ったりしてくれなくなるんだな、と思ったら鼻の奥がツーンとして涙が出そうになる。 葵が出した答えを俺は受け入れよう。

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