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第57話 熊谷先生の憂鬱11

(熊谷先生語り) 「葵、ここにおいで」 ソファの隣へ座るように名を呼んだ。 ゆっくりと腰掛けた葵は、恥ずかしいのか俺の顔は見ようともしない。逆にこちらからは可愛い横顏を堪能することができた。丸い頬は幾分かいつもより紅く染まっているように思える。 「隠さずに全部話してくれるかな」 「………はい…………」 葵は頷き、ボソボソと話し出した。その内容に段々と腹が立ってきたのは正直な気持ちである。 葵は初恋が猪俣であり、付き合うのも勿論奴が初めてだった。 二人の間でどんな決まりがあったのか定かではないが、その頃の葵は猪俣が全てで、猪俣から会いたいと連絡が来るまでひたすら待ち、自分からは迷惑になるため一切連絡をしなかったそうだ。 そんな愛人のような関係は、葵の中で当たり前と化した。葵の常識となったルールは、俺と付き合いが始まっても、どうしていいか分からず自身を縛り続けた。 猪俣との関係が特殊すぎて『先生』という職業は多忙で同じような事を繰り返すと思いこんでいたらしい。 猪俣と同じにされたことが非常に不本意で、ハンマーで後頭部を叩かれたような衝撃を受けた。憎むべきは不倫教師であって、葵は悪くない。むしろ被害者なのだ。 やはり、理不尽な扱いを受けてきたことは分かっているようだ。葵からは、もっと愛されたいと痛いくらいに伝わってくる。 葵には、普通の恋愛を教えてあげたい。 好きだから一緒にいたいという気持ちを我慢して欲しくない。我儘を言っても嫌いになるどころか、可愛くて仕方がないという愛おしさがあることを感じて欲しいのだ。 自分に1番正直に生きてほしい。 一人だとつまらないことも、二人でやれば楽しくて幸せなんだと、心の底から感じて貰いたかった。 「……だから、先生が同じだったら……と思うと聞けなくて……ごめんなさい」 「あのなぁ。とにかく、あいつと一緒にするな。全く違う」 思わず語気に力が入る。 「これから、葵のしたいこと、やりたいことを一つずつやっていこう。嫌なことはちゃんと言うこと。まずはそれからが約束だ」 野田が言ったような高校生の恋愛みたいに、小指を出して指切りげんまんをした。 甘い甘い初恋のようで、子供じみたことが心地良く感じていた。

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