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第108話 教科書泥棒7
(葵語り)
やってきた先生は険しい表情で慧さんに礼を述べ、暫く2人で何かを話し込んでいた。
「帰るぞ」
有無を言わせない強引さで腕を引っ張られCaféRを後にする。さすがの島田も小さく手を振っただけだった。先生の背中からは、電話で感じた怒りよりも濃いものが漂っている。話しかけるのも躊躇うほど、明らかに不機嫌だ。怒りのオーラがひしひしと主張してくる。
黙って駐車場まで歩く。
先生は全くこっちを見てくれない。俺は俯き加減で後を追った。痛いくらいの沈黙の後、ようやく先生が口を開いたのは車の中だった。
カーステレオからは俺の好きなアーティストの歌が流れている。俺が持ち込んだものを聴いてくれていたことに内心嬉しくなるが、今は喜びを出すような雰囲気ではなかった。
「葵……どうして俺に言わなかった。そんなに頼りなかったか」
「そんなこと……ないです」
ずうんと重い空気に気押されて思わず敬語になる。
「一番に相談して欲しかった。普通に考えて、捕まえるとか、危なっかしいだろう。怪我してもおかしくなかったんだぞ」
『一番に相談しなかったら、熊谷さんは落ち込むと思うよ』と慧さんの言葉を頭の中で反芻する。これは、万が一を考えた大人達の心配だけではない。真面目に危険だったようだ。
「ごめんなさい。こんな大ごとになるとは思わなくて、安易な考えで行動してた」
「本当に……無事でよかったよ」
ホッとしたように、茶色い瞳が俺を見据える。
「俺にとって葵がどれだけ大切か、少しでいいから分かって欲しい。電話貰った時、心臓が止まるかと思った。変態ストーカー野郎に襲われていたらと考えると、冷静ではいられなくなる。頼むから、もう馬鹿なことはやめて欲しい」
「先生、本当にごめんなさい……もうしない」
俺は先生に抱きつこうと、助手席から身を乗り出した。すると、広げた手を運転席側へ引かれ、いっきに先生へなだれ込む。
「うわぁっ」
「俺の言いたいことが分かったならいいけど」
「けど…………?」
無理な体制で見上げると、先生が一瞬泣きそうな顔をした。敵わないな、と呟いたのが聞こえる。何のことだろう。
「ねえ先生、キスしたいな……」
「もっとちゃんとこっちへおいで」
運転席にいる先生の膝に乗った。座席を後ろへ引いてもらい、隙間へ入り込む。既に天井と頭が付きそうだった。俺が見下ろす形になって、互いに軽く舌を絡める。何度もちゅ、ちゅ、と口付けを繰り返した。柔らかくて、どこが気持ち良いか知ってる唇は、今は蕩けるように優しい。
「せんせぇ……コーヒー飲んだ?」
「ここに来る前、気持ちを落ち着かせるために飲んだ」
「ん……苦い大人の味がする……いい香りだね」
「そうか。俺は葵の味の方が好きだけど」
再び唇を重ねる。
暫くキスをしていたが、これだけで足りる訳がないのだった。
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