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第116話 教科書泥棒15

(森田君語り) 引きずりこまれたそこは、化学室だった。 沢山のビーカーやフラスコ、重そうな椅子に囲まれた冷たい空間には見覚えがある。 「君は……誰から逃げてるの?」 見上げると、白衣を着た青木先生がいた。僕の嫌いな女子にモテるタイプの軽い大人だ。世界は自分を中心に回っていると疑わない人種だと思われる。 「………いえ、誰からも……」 「うそ、声聞こえるでしょ。これ君のこと呼んでるんじゃない?」 確かに伊藤先輩の声も聞こえており、僕を探しているのは明確だった。 「この声ってさ、2年3組の伊藤葵君じゃないかな。違う?」 青木先生は声だけで伊藤先輩を当てたので、新たなライバルかと思い、身を強ばらせると即座に否定をされた。 「いやいや、僕は高校生に興味はないから、安心して。君は伊藤葵君が好きなの?」 「…………ええ……まあ……そうです」 「ふうん…………奇遇だね。僕には欲しいものがあるんだけど、実は伊藤君が邪魔なんだ。君が伊藤君をどうにかしてくれるなら、協力してあげてもいいよ。需要と供給が見事に成り立つ」 「どうにかって……?どうすれば……」 「簡単だよ。暫く伊藤君の気を引いてくれればいい。そうだな……好きな気持ちをぶつけてみてはどうかな。伊藤君は戸惑うだろうけど、君のことを真剣に考えてくれると思うよ」 青木先生は上手くいったら伊藤先輩が手に入るかもとまで言った。 本当に?伊藤先輩が僕のものになるの? 今までこそこそやっていたのに、何を今更面と向かって仲良くなれるのだろうか。 顔も知られたし、次に会ったら僕は蔑んだ目で見られるだろう。 「だけど、その前に、君は伊藤君に何をやったの?怒ってるみたいだけど」 言うべきか…… 青木先生を信じていいのか分からない。 でも、伊藤先輩は欲しい。 天秤にかけた僕は、青木先生へ教科書を借りていた旨を正直に説明した。 「大丈夫だよ。正直に憧れてたから借りてましたって言えば、伊藤君はそんなに難しい人間じゃない」 青木先生は白衣のポケットに手を入れてニヤっと笑う。欲望に満ちた笑顔は、僕の好きな汚い大人そのもので、この人なら信用できるかもと思った。 「青木先生の欲しいものって何ですか?」 気になって聞いてみたら、青木先生は、再び僕の好きな意地悪い笑顔になる。 「秘密。ずっと欲しかったのに、伊藤君にあっという間に奪われちゃった。だから、今度は見てないで自分から取りに行くんだ」 青木先生の言い回しはよく分からなかったけど、僕は伊藤先輩さえ手に入れば問題無いので、そのまま頷いておいた。 「使いたかったら化学室はいつでも使っていいよ。鍵は僕が持っているから」 「ありがとうございます」 「じゃあ頑張ってね。幸運を祈るよ」 化学室は伊藤先輩と二人で話が出来るようになったら使わせてもらうことにした。 明日、伊藤先輩に話しかけてみよう。 なんだか無性に楽しくなってきた。

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