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 わずかに眉をひそめたままリビングへのドアを開けると、スマホを手にした母が、ひどく眩しい笑顔で振り向いた。  そして、言った。 「千春! 大ニュースよ! 誠司くん、とうとう結婚するんですって!」 「え……?」  意味が、わからなかった。頭と心が瞬時に凍りついた気がした。 「三十歳までにはどうにかしたいって、前々から言ってたみたいなの。今、誠司くんは二十九歳でしょう? だから、ちょうどいいんじゃないかって。ほんとに順調よね。式には……」  母の、白い歯。  嬉しそうに笑うその顔をいくら見つめていても、笑顔で語る言葉が何も理解できない。音の消えたテレビを観るように、母の顔を見ていた。 「千春?」  名前を呼ばれて、二度瞬いた。 「ぼんやりしてないで、早く食べちゃいなさい。バイトに行くことになったんでしょ? お母さん、もう出るから。後片付けと戸締り、お願いね」  こくりと頷く。少し遅れて言葉が滑り落ちた。 「うん。わかった。行ってらっしゃい」 「行ってきます」 「気を付けてね」  機械的に流れる言葉と笑顔で、母を送り出す。  トースト、スクランブルエッグ、レタスとミニトマト。紅茶にミルクを入れる。黙々とそれらを口に運び、部屋に戻って服を着替えた。  鍵をかけて家を出て、足を交互に出して歩く。  右、左、右、左、右……。  心はフリーズしたまま、何かを考えることを拒否していた。

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