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【3】-3
突然父を喪い、ずっと家にいた母が外に働きに出た寂しさに、弱音を吐くこともなかった。時おりひっそり泣いている母の背中を見ても、子どもながらに自分は男だと、だから泣いてはいけないのだと歯を食いしばることができた。
それでも、悲しみや寂しさを全く感じていないわけではなかった。最後まで消えずに残った涙の素は、小さな結晶になって、千春の胸の奥の一番深い場所に沈んでいた。
ある晩、誠司に抱かれて眠った千春は、父を探す夢を見た。白い霧の中で、遠くに消えてゆく父の背中に『お父さん』と呼びかけながら追いかける。どんなに走っても父の背中は遠くなる……。
『お父さん……!』
目を覚ますと、誠司の黒い瞳が悲しそうに千春を見ていた。慌てて目元を擦ると、誠司はそっと千春を抱きしめた。
『千春。泣けよ。誰にも言わないから……』
ひっそりと囁かれて、張りつめていた心の糸が切れた。
結界が崩れる。誠司の胸にしがみつき、千春は声を殺して泣いた。千春の中の、母にも見せることのなかった場所が、この時誠司に開かれた。
千春の矜持。大人でも子どもでも、涙を胸の奥に隠している者にとって、その隠し場所は聖域である。誰にも侵させたくない。
その場所を、千春は誠司に許した。
誠司になら何を見られてもいいと思った。
涙も心も、全部見られていいと。
温かい胸に顔を埋めて泣いていると、やわらかな安堵が千春の悲しみを包んでいった。やがてそこに混じるかすかな甘さとじれったいような切なさを、千春は持て余した。どうすればいいのかわからないまま、濡れた頬を誠司の胸に押し付けていた。
父を亡くしてから、誰かの前で泣いたのはその時だけだったと思う。
誠司の前でなら泣ける。誠司になら涙を見られてもいい。そう思った。
誠司だけ。
そう思うたびに胸の奥が甘く疼いて、自覚のないまま、千春は誠司に恋をした。
けれど、千春が中学に上がる頃から二人の距離は離れていった。誠司の首筋に無邪気に伸ばした手を、もう大きいのだからと拒まれるようになり、誠司の長い指が千春の髪や頬を撫でることも減っていった。
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