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【6】-2
それから、少し泣きそうな顔になってこう聞くのだ。
――千春は?
千春は大丈夫かと。
そばにいてやれなくてごめんねと、足の痛みよりもそのことが辛いというように、千春の髪を何度も撫でた。
その度に、千春も笑ってみせた。
『僕は大丈夫だよ』
千春は男だ。母に心配をかけるわけにはいかない。子ども心にそう自分に言い聞かせた。
十分な手間をかけられないかわりに、口うるさいことも一切言わない。そんな母に迷惑をかけたくなくて、千春はとにかく「正しく」生きようと思ってきた。何かで活躍することよりも、悪いことをしないで正直に生きること。人から後ろ指さされないように、大きな失敗をしないように、それだけを守って生きてきた。誰が見ていなくても、きちんと正しく。ズルいことはしない。それが千春の矜持でもあった。
本当は、できるだけ早く社会に出て、母に楽をさせたいと思っていた。大学に進んだのは、母がそれを強く望んだからだ。父が生きていれば進学できたと後悔させたくない、平凡で、特別なものは何もない千春だからこそ、学歴くらいはしっかりつけてあげたい、そんなふうに母は言った。母のその言葉に甘えて、父の大切な保険金を使わせてもらって、千春は大学に行ったのだ。
誠司が通った国内最高峰の国立大学には遠く及ばないまでも、誠司という最高の家庭教師が身近にいた千春は、一般的に「いい大学」と評される私立大の経済学部に進んだ。真面目にやって、きちんと卒業すれば、それなりにしっかりした会社に就職できる道を進んできたのだ。
大学を出て安定した会社に入って母を安心させる。それが一番の恩返しになると信じて、うまくいかない就職活動も頑張ってきた。
それなのに……。
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