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【7】-6

 耳に心地いい低めの女性の声が、相手に問いかけている。少し事務的すぎるくらい落ち着いた大人の声。千春は何気なくそちらを見た。  次の瞬間、千春は石になっていた。 「上田君、聞いてる?」  視線の先で、誠司も呆然と固まっている。 「千春……?」  驚いたように目を見開き、半分腰を浮かせて、今にも立ち上がりそうに身を乗り出す。斜向かいの席に、黒いスーツに身を包んだ若い女性が座っているのが見えた。  ふらりと身体がよろける。振り向いた有栖川が千春の腕を取って支えた。 「千春くん、どうかしたのか?」  小さく首を振ってうつむく。それからもう一度顔を上げ、誠司の斜向かいに座る女性を見た。  薄い化粧をしただけの、すっきりと整った顔立ち。綺麗な人だった。  それが答えだ。誠司に似合う綺麗な人だ。 「こっちへおいで」  有栖川に支えられて店の外に出た。  広いロビーを進み、光の滝のようなシャンデリアの下を横切る。バロックガラスのように歪んだ視界の中を、たくさんの人が行き交う。それがやがて金色に塗りつぶされて、涙の幕で見えなくなった。 「ここへ座って」  柱の影にできたアルコーブに導かれた。そこに置かれたソファに座らされる。 「大丈夫かい?」  両肩を抱くようにして覗き込まれ、視線を横に逃がす。廊下から窪んだ空間には音が届かず、ロビーのざわめきもどこか遠くに聞こえた。 「急に、何があったのか、よくわからないんだが……」  有栖川の声も、どこか遠いところで話しているように聞こえる。

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