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【7】-9

 ワイパーが弾く水滴を眺めるうちに、青い湿原のような店内で目にした女性の姿が浮かんできた。  飾り気のない黒いシンプルなスーツ、ほとんど化粧をしていないのに、どこか華やいだ、知的で優しい顔立ち。 (綺麗な人だった……)  あんな人なら誠司と一緒にいてもお似合いだ。誰もが羨む理想の夫婦になる。  水の中で、景色が歪んで見える。どんなにワイパーが弾いても、視界はいつまでも滲んだまま、少しもクリアにならなかった。  ひと言も話さないまま古いマンションの前まで来た。  ふだんは敷地の入り口に一時停止して、千春を拾ったり下ろしたりする。けれど、この日の誠司は、近くのコインパーキングまで行って、そこにアウディを停めた。  先にクルマを降りた誠司が、どこかからタオルを取り出してきて千春に投げる。 「拭け」  黙って見上げていると、開いたドアから手が伸びてきて、ゴシゴシとタオルで頭を擦られた。それから開いた傘の下に引っ張り出される。 「行くぞ」  部屋まで送ってくれるのだろうか。  それで、どうするの? どうなるはずもないのに、心で問いかける。  別の傘を差しだされた千春は、それを受け取らず、目の前にある誠司の胸に顔を埋めた。子どもの頃と同じように、腕を回してぎゅっと身体にしがみつく。 「千春……っ」 「……やだ」  離したくない。  強い鼓動を耳の奥に刻み付ける。 「千春……」  傘を持っていない誠司の左手が背中に触れる。その手が千春を引き剥がす前に、自分から離れた。  目から涙が溢れる。  口が歪む。  嗚咽が流れ出す前に、傘の下から走り出た。 「千春……っ!」

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