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【8】-1
勝山商事から連絡はなく、詳細な日程も届かないままだった。本当にどうなるのかと、不安がピークに達した頃、卒業式の前日になって入社式の案内が送られてきた。
予定通り四月一日に行われるらしい。かすかな不安は残るけれど、ひとまず胸を撫で下ろす。
翌日、無事に大学を卒業した千春は、母と二人で食事に出かけた。
向かったのは家の近くのファミリーレストランだ。祝い事があると、千春たちはよくこの店を利用する。『ボナヴィータ』と同じように日本中のどこにでもある店だ。財布に優しい価格帯でいつでも温かい料理を食べられる。
つつましく暮らす千春たちにとって、外食はささやかな贅沢だ。ファミリーレストランの存在はありがたいものだった。
「予定が変わってばかりで、お母さん、少し心配してたのよね。でも、ちゃんと入れるみたいでよかったわ」
「うん」
「千春も本当は心配だったんでしょ? ずっと元気がなかったもの」
「そうだった?」
「そうよ。なんだかいつも上の空で、目が死んでたわ」
そっか……。笑ってみせる。少しぎこちない笑顔になった。
将来が不安だったのは確かだ。けれど、その不安がなくなっても、千春はもう以前のようには笑えないだろう。
誠司はあの人のものになる。そのことを思うと、世界から全ての色が消えてしまったような気がした。
「千春、卒業おめでとう」
母がシャンパンのグラスでも差し出すように、ドリンクバーのコップをこちらに向ける。
「ありがとう」
千春もコップを持ち上げる。カチンと軽く合わせて、その先にある母の顔を見た。
穏やかで嬉しそうな笑顔が千春に向けられている。息子の目から見ても、まだ十分に綺麗だと思った。
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