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【8】-5

 ざっと店を見回し、その混み具合に驚いたように、ノンフレームの眼鏡を外してかけ直す。 「どうして、こんな日にこんなに人がいるんだ……?」  おしぼりと水のグラスをカウンターに置きながら、金井が得意そうに胸を張ってみせた。 「千春のために来てくれたお客さんたちです」  有栖川は、再び驚いた様子で店内に目を向けた。 「こんなひどい天気の日に、わざわざ足を運んでくれるお客様がこんなにいるのか……」 「今日で、最後だから……」  千春がもごもご説明を試みると、有栖川は「いや」と強く首を振った。 「これはすごいことだ。最後に君に会うために、これだけの人が足を運んでくれるということは……」  有栖川は千春の顔をじっと見る。 「どうやら君に魅かれているのは、私だけではなかったようだ。君は……」  一度言葉を切って、真剣なまなざしで話し始める。 「私は、君のような社員を採用したかった。明日から、どこかの会社に勤めることは知っている。だが……」 「有栖川さん……?」 「いや、それでも……、今からでも考えてみないか」  何を言っているのだろう。千春は驚いて有栖川の顔を見た。眼鏡の奥の目には熱がこもっている。 「どうだろう」  さらに聞かれて、まさかと思いながら「でも、エントリーシートも出してないのに……」と、どこかずれた返事をした。 「その点は問題ないんだ。うちには特殊な採用システムがあって、一定の条件を満たした社員に年に一人、推薦枠が与えられている。会社公認のコネ入社だ。その制度で入社した人間の評価は、そのまま推薦者の評価にもなるから、なかなか使う勇気のある者がいないのが残念だが……」  それでも、その推薦枠で入社してきた社員は、通常の採用では決して採れない稀有な人材が多いのだと言った。 「電算システムに画期的な改良をもたらしたSEは、元ニートで中学しか出ていない。通常募集では、それこそエントリーシートすら送ってこないだろう」

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