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【9】-6

 誠司を思って、身体の熱を散らしている。もうずっと……。長い指の感触を思いながら、自分を慰めている。  そんな汚れた千春を、誠司はどこかで感じ取っているのだ。  堪えきれずに涙が零れ落ちる。 「僕が……」 「千春が? 何を、言って……」  もうどうなってもいい。  自棄(やけ)になって、思った。  誠司はあの人のものになり、千春は有栖川のものになる。壊れるものも失くすものも、もう何もないのだ。  全部壊れる。  全部、失くしてしまう。  だったら、何を知られても同じではないか。 「僕が、誠司さんを、好きだから……」  水膜が視界を奪って、何も見えなくなった。震える呼吸と一緒に、海の味がする涙を深くのみ込む。 「誠司さんが、好き……」  驚いたような黒い瞳が、千春の心を傷つける。  諦めなければいけないと頭ではわかっている。それでも、どうにもできないのだ。頭が出した答えに、心が従わない。わかっているのに、どうにもできない。  行き場のない身体を丸めて、嗚咽を殺す。  千春の背中を誠司が引き寄せた。こんな絶望の中でも、小さな歓びが心に灯をともす。 「……いつからだ」  視線を上げると、目の前に誠司の顔があった。 「いつから、そんなふうに、俺を……」 「わか……、ない……」  わかるわけがない。  千春には初めから誠司しかいなかった。誠司しか見えなかった。それがいつ恋に変わったのか、ほかに恋愛の一つも知らない千春には判断できない。  ただ、誠司が好きで、ほかには何もわからない。

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