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 会えない……。  誰かものを盗んで、平気な顔でいられるほど、千春の神経は丈夫にできていない。あんな時間を過ごしておきながら、忘れたふりをして、今まで通り誠司に会うことなどできないと思った。  千春はドロボウだ。人のものだと知っていて、欲しいと手を伸ばした。  いけないことだとわかっていたのに、神様とも悪魔ともわからないものに願った。  今だけでいいから誠司をくださいと。たった一度でいいからと。  どんな罰でも受けると、約束して。  だから、もう、会えない。  会ってはいけないのだ。  ただ一度の願いを叶えた千春は、それと引き換えに罰を受けなければならない。  ランチタイムのピークが過ぎて、カウンターの内側で食器を一枚一枚丁寧に洗いながら、けれど千春の心はすでに音を上げかけていた。  誠司に会いたかった。  ダメだとわかっていても会いたかった。  会えば、きっともっと苦しくなる。それでも、会いたかった。  一週間が百年のように思えた。海外勤務の誠司と一年も二年も会えなかった時より、ずっと長く辛いものに思えた。  先の見えない不安な人生も、この先ずっと、誰とも心を交わさず一生一人で生きてゆくことも、自分で選んだことだと納得している。覚悟も決めている。なのに、それとは別のところで心が苦しい。  もう会わないと決めたのに、会いたがる自分が苦しい。  誠司の熱を忘れることができない。  誠司の指の動き、唇の感触、以前は知らなかったものたちを知り、それを求める強い渇きを知った。どれほど心を空にしても、触れられた場所に誠司の感触が残っていて、心を殺しても、身体が誠司を求める。  もう一度、触れてほしいと、狂おしいほど求める。  同時に、それは決して許されないことだと自分を戒めねばならなかった。罪の意識を忘れ、誠司を求めそうになる自分を心から呪った。

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