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【11】-1

 冷たい水で顔を洗い、なるべく何も考えないようにして夕方まで働いた。  誠司はなかなか戻ってこなかった。  大事な新居を選ぶのだから、譲れない条件がたくさんあるのだろう。庭のある真新しい家の前に立つ二人の姿を思い浮かべ、一人で傷つく。  何かほかのことに集中したくて、いつも以上に念入りに窓や食器やテーブルを磨き続けた。  なぜか金井も、同じようにあちこち磨き始める。  ふだんから掃除はしっかりやっているのだが、二人掛かりで隅々まで磨くと、やはり全体的に輝きが増した気がする。掃除というものは不思議だ。  六時過ぎに仕事を終えて、私服に着替えてから店を覗く。 「金井さん、お先に……」 「終わったか」  カウンターの前に誠司がいた。その姿を見て、性懲りもなく心臓が跳ねる。  彼女の姿はなかった。「じゃあ、行くか」と腕を取られて、何が何だかわからないまま流されて、コインパーキングまで歩いた。アウディのドアを開かれ、大人しく助手席に収まる。  歩いて十五分、車なら五分もかからない千春の自宅には向かわず、誠司のクルマはひと駅先の瀟洒なマンションの駐車場に滑り込んだ。 「理恵おばさん、今日は早いのか?」 「わかんない」  春の人事異動で本社のバイヤーに昇格して、今までとは違う忙しさになった。しばらくの間、帰宅時間が読めないらしいと答える。 「メシはどうしてる?」 「それぞれ、自分で食べてる」 「だったら、今日はうちで食ってけ。作ってやる」  機嫌よく言われて、曖昧に頷いた。

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