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ほどけて〈3〉

 瞬間立ち上がろうと浮かせた腰を、貝瀬は手に力を込め抱いて離さない。さらには渉の唇を含むように濡らし、強引に合わせた部分を深めた。  それほど長い時間ではない。扉は錆びて重く、すぐには開かない。入り口から今いるカウンターはまっすぐ見えない。  じんと体が痺れ、鼓動が波となりずくずくと緊張と熱を持って体中を駆け巡る。 「好きだよ、渉」  耳元までしっとりと濡らすような掠れた色気のある声で囁かれ、目眩がした。今すぐ離れたく、今は離れ難く。  扉が閉まると同時にやっと俺の体は解放されたが、体の騒つきは一向に収まらない。「いらっしゃい」とまだ見えない客に声を掛けながら、立ち上がった渉の手を貝瀬が離さないからだ。  熱くて大きな手が指をきゅっと握り包んでいる。貝瀬の方を睨むと、別の手の人差し指を立て、唇につけただけだった。椅子へ促すように手が下に引かれ、仕方なく隣に座る。 「気になるものがあったら、なんでも聞いてくださいね」  棚に顔を近づけ熱心にオブジェを見ている女性客に貝瀬が声をかけた。 「はぁい」  間伸びた返事にさえ、渉は体を固くする。貝瀬はそれに気づいているのかいないのか。気づいているなら余程たちが悪い。  貝瀬の口元に笑みが浮かんだのを認めた時、逃げるにはすでに遅すぎた。五本すべての指を器用に動かし、俺の指を一本ずつ撫で始める。手を振り払ってしまえばいい。でもそれができない。  指紋まで記憶しようとしているのではないかと思うほど柔らかく指のふくらみをくるくると触り、節を撫で、指先をつまみ、爪を押す。そして全体を柔らかく包んだ後、指の間を丁寧に擦る。なまめかしさに思わず息が漏れそうになる。  これを親指から順番にやるのだから堪らない。貝瀬は気に入った場所を見つけたらしく、欲に忠実な男の指は、何度も行き来を繰り返している。  手に伝わるのはするりとした心地よさのはずなのに、それが甘やかな刺激となって、さっきまで熱を高まらせていた体の情動を煽る。近くに他人がいるという緊張感と相まり、溢れそうになる快感に身を包んだ。  いい加減耐えきれず、きゅっといたずらっ子のような指を捕まえた。顔に視線を向けると『なんでダメ?』とでも言いたげに目を少し見開くから、やりきれない。本当にもう、三十も過ぎた大人がすることとは思えない。そう思いながらも、心から嫌ではないのが困る。  息苦しささえ甘い。付き合い始めのちょっと判断基準が緩くなっているアレな状態だから仕方がないとはいえ、こうもされるがままになっていては堪らない。捕らえられた指は飽きずに手のひらをくすぐるように撫でている。  これはもうどうなっても渉に責任はないと思う。たとえば今いきなり、貝瀬にくちづけたとしても。  女性客がカウンターに近づいてくると、手は見計らったようにさらりと離れた。なんでもない顔でいつも通り会計を済ませ、商品を渡す貝瀬の手を椅子に座ったまま眺める。そうやって常に手放す準備はできているのだと嫌ほど思い知らされる。 「新しいアルバイトの方ですか?」 「…あっ、…はい」  心の準備ないまま声をかけられ、否定するつもりがなぜか反射的に肯定していた。俯き加減だった視線を上げ、返した声は自分でもびっくりするほど頼りなかった。店に慣れている雰囲気からして、よく立ち寄る客らしい。 「かわいい男の子だから雇ったんでしょう!」  次に貝瀬に向かって親しげに話しかける。その言葉にぱっと血液が顔に昇るのを感じ、また俯いてしまう。絶対に顔が赤くなっている。 「かわいいでしょ。うちのお客さんは女性の方が多いから、俺みたいなむさ苦しいのよりいいかと思って。よろしくお願いします」 「…いやそんな、かわいいとか…ないです」  渉の焦りっぷりに女性客は楽しそうに笑っていたが、それ以上会話を続けず店内を出たのでずいぶんほっとした。貝瀬はパソコンに向かい売り上げを記録している。くるりとこちらを振りかえったかと思うと、気が抜けた俺の顎にさらりと温かな手が添えられ、ちゅっと軽く口づけられる。手は顎先へ滑り、さらりと指先の余韻を残して離れていった。 「可愛いね」  よろめきそうな色気ある声と突然の接触に先の緊張に尽きた出来事を忘れかけるが、ぐっと思い留まる。 「貝瀬さん!これからは店開いてるときは、外から見えないところを触るのは禁止です。お客さんがいる時は俺のこと触るの全面禁止ですからね」  思い切り睨みつけて、はっきりと告げてやった。

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