「嵬仁丸(かいじんまる)様は、こっちが本当の姿なん？」 冬の匂いがする風が月見が原を駆け抜けるようになったが、今日はとても良く晴れていて日差しが温かい。それに、こうして嵬仁丸のふかふかした毛に包くるまれていると、冷たい風だって少しも気にならない。 狼の姿で草の上にゆったりと伏せた嵬仁丸の腹の辺りに佐助も並んで座り、大きなその背を撫でる。狼の姿の嵬仁丸といると、佐助はついついその豊かな毛並みを撫でたり頬ずりしたくなってしまう。 「どちらが本当と言うことはない。ただ山で暮らすには狼の姿の方が勝手が良いし、人の姿で里のものに見つかるのも面倒がある。佐助と会うようになる前はもう長く獣の姿でいた」 「おらはどっちの嵬仁丸様も好きじゃ。人の姿の嵬仁丸様は男前じゃし長い髪が綺麗じゃ。けど、狼の姿の嵬仁丸様のこのふっさりした尻尾とかふわふわ柔(やわ)こい耳もたまらんのん」 そう言って毛に覆われた耳をふにふに触ると、ピンと立っていたそれはくすぐったそうにピクピクと動いた。 最初に変化(へんげ)を見たときはやはり驚いたが、あっという間に佐助はそれを当たり前の事のように受け入れた。 むしろ、嵬仁丸の秘密を知ったことで、今まで腑に落ちなかった色々な事が上手く繋がってすっきりした。 山の獣たちと通じ合えるわけ。 嵬仁丸が「人」の話をするときに感じさせていた、距離感。 歳を覚えていないと言ったことや、人には見えぬと教えてくれたはずの鬼のことに詳しい理由。 いつも曖昧にはぐらかされとったんは、本当の事を言えんかったからなんじゃな。逆に言えば、おらみたいな子供相手でも適当な嘘をついて誤魔化したりせんかった嵬仁丸様は正直者じゃなあ。 佐助が子供の頃から狼を身近に見ながら襲われることがなかったのも、狼たちが佐助の事を見守る役割を担っていたからだと知って合点がいった。 「嵬仁丸様のおっ母様は人なんね？おっ父様は神様？それとも狼？今はもうおらんの？」 佐助が素朴な問いを口にすれば、嵬仁丸は暫く考えた後(のち)に口を開いた。 「父は私と同じように狼の姿と人の姿を自由に変化できた。ただその存在は、人にとっては時に神であり時に物の怪でもあった」 「それは人が勝手にそう名付けるから？」 嵬仁丸は頷いた。 「確かに父は人よりずっと長く生きていて、人には無い力があった。そして長い間山を統(す)べる者であったようだ。昔はもっと里の者も山に出入りをしていたらしいから、人に及ぼす力も大きかっただろう。 もっとも私が全てを教えられる前に、母も父も亡くなってしまったので、それらは物知りな鷲(わし)の婆様から聞いた話ではあるが。その鷲もとうの昔に死んだ」 「他にもおっ父様や嵬仁丸様のように、変化(へんげ)できるものがおるん？」 「昔は他にもいたという話だが、私は私以外の者は知らぬ」 それはいくら山の獣たちが仲間といっても随分寂しかったのではないだろうか。知らずのうちに佐助は大きな体に腕を回して抱き締めていた。 「嵬仁丸様もおっ父様と同じ力があって、引き継いで山を統(す)べとるん？」 嵬仁丸は瞼を閉じ、黙り込んだ。