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第32話
佐助、お前にこの話をするかどうか随分迷った。
わしが言わずとも、お前は人の怖さをよく知っておるから黙っておこうかとも思った。
じゃが、わしはあまりにお前を里から遠ざけ過ぎた。これからお前が山で暮らすにしろ、どうしても人と一切関わらずに生きていくのは難しい。じゃからやはり知っておいた方がよいじゃろ。
それにな、婆は腹の奥底に隠しとったもんを出して空っぽにして逝 きたいんじゃ。
わしはもともと里の百姓じゃった。旦那は病で早うに亡くなったが、しっかり者の倅 、弥吉 がおって、二人で米を作って暮らしておった。
弥吉には気立てのええ幼馴染の娘おようがおってな、互いに好きおうとるから必ず一緒になろうと約束をしておった。
だがな、この娘の器量が良すぎたのが災いを呼んだ。里の百姓を取り仕切っとる庄屋の息子に目を付けられてしもうたんじゃ。
いくら言い寄ってもなびかぬおように業を煮やした庄屋の息子は、おようを屋敷にさらって手籠めにしたんじゃ。そのまんま嫁にするつもりじゃったらしいが、おようは隙をみて屋敷を抜け出し逃げ帰って来た。
弥吉は庄屋の息子が取り戻しに来る前に大急ぎで百姓仲間を集めて、その前でおようとにわか仕立ての祝言をあげたんじゃ。それが庄屋の息子、ひいては庄屋の怒りをかった。
借りていた田んぼは日当たりの悪い山裾に無理やり変えさせられ、穫 れ高が前より悪いだのなんだの何かにつけて嫌がらせをされるようになった。
そんでも、わしらは耐えた。夫婦は仲睦まじかったし、田の出来が悪うても嫁は機織りに精を出し、わしも山菜や薬草を採って足しにして、幸せに暮らしとった。
じゃが、それは長くは続かんかった。
そのころ領主さまの元で、二つ村の向こうにある大きな川に橋を架ける普請 をしておってな。周辺の里から百姓が人足として連れていかれておった。
この川が厄介で、雨が降るたんびに荒れて岸が削れ、何度も作りかけた橋ぐいや袂 の岸が流され一向に工事が進まんかったんじゃ。
そんで……人柱を立てることになった。
「人柱ってなんじゃ?」
「神へ供える生贄として人を生きたまま橋の袂 の土に埋めるのじゃ」
「い、生きたまま!?そんなこと神様は望まれるんか!?」
「神様なんぞ誰も見たことがないのじゃ。貢ぎ物をすれば言うことを聞いてくださるなんぞ、人が勝手にそんな話を作り上げたんじゃろ」
吐き捨てるように言った婆様の声色から、佐助は嫌な予感に体が震えた。
「そんな……そんなん人が人を殺 めるようなもんじゃないん?」
「ああ、そうじゃ。人は勝手な理屈で人を殺める愚かな生き物なんじゃ。生きていく為に必要なだけの餌を喰う獣の方がどんだけまともか」
「なあ……も、もしかして、その人柱って……」
「ここらの里から誰か人柱を差し出せというお達しに、庄屋が『ちょうどよいのがおる、米をくすねてちゃんと納めん罪人がおる』と弥吉の名を挙げたんじゃ」
「!!」
「勿論、そんなのは言い掛かりじゃ。わしらは日の当たらん田でも手を抜かんと精一杯稲を育てて年貢も納めとった。それは同じ組のもんらも当然知っておった。じゃが皆とばっちりをくらうのが怖くて、わしらがいくら頼んでも口を噤んで見て見ぬふりをした。
わしはこれからやや子が生まれる倅でのうて、老い先短いわしを代わりにしてくれと泣いて頼んだが聞き入れてもらえんで、とうとう弥吉は連れて行かれてしもうた」
「そんな……」
「そのうえ、庄屋の倅がやって来ておようの腹の子を薬草の毒で堕ろさせろ、その後で自分の妾にするからと言って来た」
「なんちゅう恐ろしか……」
佐助は体の震えが収まらず、両の手で自分の体を抱き締めた。
「それを知ったおようは弥吉の埋められた岸から川に身を投げた。奇しくも次の雨でまた川が荒れ、弥吉の埋められた橋のたもとはごっそり抉えぐられ無くなったそうじゃ。きっと弥吉がおようを追って行ったんじゃと皆が言うておった」
あまりに辛い話に、佐助の両目から涙が溢れだした。
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