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第35話
あまりにいっぺんに色んなことが押し寄せてきて、佐助の頭も心もうまく纏まらない。
ただ分かるのは、自分が『生かされてきた』ということ。自分の命が周りの優しさと大きな犠牲の上にあったということ。
「おらが……おらがこんなで生れんかったらおっ母は死なずに済んだんでないん?婆様は見ず知らずの奇怪な子供を押し付けられずに済んだんでないん?」
婆様が床から皺くちゃの手を出して、声を震わせる佐助の手を握った。
「何を言いよるんじゃ佐助。お前はなぁんも悪くない。人も獣も自分の姿を選んで生れてくることは出来んじゃろ。生まれつき耳が聞こえんもんもおれば足が悪いもんもおる。わしじゃってこんなちんちくりんで生まれたいと思うて生れてきたわけでない。
お前の母親じゃって、ちいともそんなこと考えとらんかったに違いない。最期の言葉はお前への愛しみが溢れとった。
それにな、わしは佐助と暮らし始めてじきに、お前に色が無いんはお前に穢れが無うて清らかじゃからではないんかと思えてきたんじゃ。
お前が、空が綺麗じゃ、風が甘い、花が笑わろうとると言うたんびに、わしは忘れとったもんを思い出した。
メジロを死なせてしもうて謝りながら泣きじゃくるお前を見て、恨みを晴らすためとはいえたくさんの里のもんを殺あやめようとしとる自分が空恐ろしゅうなったし、わしの心の内をお前が知ったらどんげに思うかと怯えもした。
そのうちに、お前は産声をあげる事すらできんかった弥吉とおようの子の生まれ変わりなんではないか、一人残された婆を慰めに来てくれた、そんな気がしてきてな。
本当は:反吐(へど)が出るほど嫌じゃった里へ下りて山では手に入らぬものを取引しに行くんも、お前の為じゃと思えば我慢ができた」
婆様のかさついた手が自分より大きくなった佐助の手の甲を撫でる。
「気が付けば、いつの間にかわしの生き甲斐は仇討ちではのうて、お前の成長を見ることに変っとった。倅や嫁を失のうた哀しみは消えんけども、人がひとり育つというのはどんだけ尊いもんか今更ながら思い出した。
恨みを晴らしても倅たちは帰ってきやせん。
わしが人を殺めたら、夫を父を子を失い哀しむもんが新たに増える。
そんなことを考えんようにしとったわしは、もう少しで倅を殺したやつらと同じところまで堕ちるところじゃった。わしは鬼にならずに済んだんじゃ。つまりな……わしは佐助、お前に救われたんじゃよ」
そう言うと、婆様は滅多に見せぬような優しい笑みを浮かべた。
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