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第41話

冬の寒さにくすんだ色をしていた山を赤や白の梅の花が彩り、産毛に覆われた辛夷(こぶし)木蓮(もくれん)の蕾が膨らみ始めた。 春の訪れを知らせるそれらは、毎年佐助の気持ちを明るくする。もうすぐ眠っていた山全体が目覚めるように、草木が一斉に芽吹き、新しい命がたくさん誕生する季節だ。 そうだ、今日はそろそろ大きくなり始めた(せり)を採ってから月見が原に行こう。野兎たちにやったら喜ぶに違いない。 神社の近くに芹が群生しているところがあったのを思い出し、久しぶりに神社に寄った。 そういえば最近来とらんかったな。嵬仁丸様と出会う前はやたらと人の声が聞きとうなって、しょっちゅう杉の木の上から聞き耳を立てたり、里の様子を眺めたりしとったっけ。ここに来ることが少なくなったんは、おらの寂しさを嵬仁丸様が埋めてくれたからじゃと思う。 そう、この木。ここから落っこちたんを嵬仁丸様に抱き留めてもろうたんじゃ。 杉の大木を見上げながら木肌に触れているうち、久し振りに登りたくなった。 するすると身軽に上まで登ると、お決まりの場所であった枝に跨って里を見下ろした。眼下にはまだ水も入っていない田が広がっていて今は人の姿は殆ど見当たらない。だが、もうしばらくすれば百姓たちの忙しい季節がやって来る。 ふと気が付くと神社への登り口に二人組の姿があった。しばらくすると若い男が女の手を引くようにして石段を登って来た。 年頃はどちらも佐助とそう変わらなさそうだ。なにやら楽しい話をしているのか、二人は終始笑顔で女の方がくすくすと笑い続けている。そのまま二人は手を繋いで神社へ入っていった。 そろそろおらは月見が原へ向かおうかな。早う嵬仁丸様に会いたいし。 木から下りると、人と鉢合わせぬよう参道とは逆の方からぐるっと回って神社の裏手を目指す。芹が群生しているところがあるのだ。予想通り、まだ柔らかい葉を付けた芹をたくさん見つけ、手折たおり始めた佐助の耳に、人の話し声が聞こえてきた。 声がした方を窺うと、神社の社殿の裏側に先程の男女の姿があった。向こうは佐助に気付いていないようだが念のため、木の陰に身を隠す。 「こんなとこでいかんよぅ。誰かに見られたらどうするん」 「こっち側には誰も来んじゃろ。なあ、おたね、お前が好きじゃと言うとろう?」 男が掴んでいた女の腕を引いてぐっとその体を引き寄せる。 「あっ」 「なあ、おたねもおらのこと、好きじゃろ?それとも、甚平が好きなんか。あいつ、いっつもおらにお前の話ばっかりしてきよる」 「そんなん……甚さんは近所のお兄やんなだけじゃもん」 「ほんまか?よう一緒におらん?ほんならおたねの好きなんは誰じゃ?他の女子おなごらみたいに弥彦がええんか?」 「んもう……そんなん……」 「誰じゃ?甚平は力自慢じゃし、弥彦は確かに男前じゃけど、おたねのこと一等好いとるんはおらじゃ。それは里の誰にも負けん。大事にしちゃる。なあ、おらにしとけ。な?」 男が前のめりになって、女に迫る。 「うん……おらも、喜助が好きじゃ」 女の答えに男が歓喜の声をあげて女を抱き締めると、女も甘えるように男の肩に額をのせた。 ふーん、人も獣たちと一緒じゃなあ。 山の獣も、雄たちは様々な形で雌をめぐる戦いをする。美しさや逞しさで勝ったものだけが雌に選ばれ(つが)い子をなすことが出来るので、雄たちはあの手この手で雌の気を引こうと懸命だ。 「なあ、おたね……く、く、口吸いしてもええ?」 「ええっ、あ……」 男がぎこちなく女の唇に自分の唇を合わせる。 「おたね、好きじゃ」 あまり抵抗されなかったので安心したのか、男は二度、三度と女の唇を吸う。女の手がそろそろと男の背に回り着物に縋る。互いに熱っぽい目で見つめ合うふたりの周りには甘い空気が漂っている。 おお、首尾よういったんね。 ついつい気になり覗き見していた佐助は、急に嵬仁丸の顔が見たくて堪らなくなって、そっとその場を後にした。

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