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第44話<嵬仁丸の苦悩>

春が深まるにつれ若葉の明るい緑が辺りに溢れ、生き物達の活動が賑やかになる。 虫も鳥も獣も、厳しい冬を乗り越えたものだけでなく、新しく誕生した幼い命が仲間入りしている。親たちは雛や子供にせっせと餌を運び、外敵から護り、外の世界を教えてと大忙しだ。 今年はどの狼の群れにも子供が産まれたようだ。 月見が原で佐助と嵬仁丸がうららかな春の日差しを楽しんでいると、一つの狼の群れがまるで佐助に新しい家族をお披露目するように、まだよちよちとおぼつかない足取りの子狼たちを連れてやって来た。 漆黒の毛並みから佐助が「黒」と勝手に名前を付けた(おさ)が率いる群れだ。殺生がご法度の月見が原であっても、黒は辺りに注意を払うことを怠らず、番の雌ところころと転がるような子供たちを護っている。 「やあ、黒。今年は4匹生まれたんね。どの子も可愛いやねぇ。白尾(しらお)、抱っこしてもいい?」 尻尾が真っ白なのでそう名付けた母狼にたずねると、よいと言うようにクゥと返ってきた。 まだ手のひらの中にすっぽり収まるほど小さなむくむくした体を抱く佐助の横から、「佐助の匂いを覚えておけ」と嵬仁丸(かいじんまる)が言って聞かせている。 この子達にもそのうち自分を見守らせるつもりなんだろうか。 「嵬仁丸様、おらもう子供でないから自分のことは自分で護れるんでないかな」 「いや、どのようなことが起こるかわからぬ」 真剣な顔で首を横に振る嵬仁丸が自分を大切に思ってくれているのは分かるが、山の主の眷属(けんぞく)をそのような使役につかせるのはなんだか申し訳ないのだ。 だが嵬仁丸は、困ったような顔をする佐助に「何かあってからでは遅い。私はお前のことを知っておきたいのだ」と熱っぽい目で訴えてくる。 口付けを交わしてから、明らかに佐助と嵬仁丸の距離はより近いものになり、時々こんな風にとても甘い雰囲気になる。 胸に抱いていた子狼たちがよじ登ってきて、佐助の顔にまだ短い濡れた鼻を押し付け、小さな舌で顎や頬をぺろぺろと舐め始めた。可愛くてくすぐったくて、佐助はくすくす笑う。そのうち一匹が佐助の唇をぺろんと舐めた。 すると嵬仁丸はその子の首根っこを咥えてつまみ上げた。どうするのかと思ったら、そのちびすけをそのまま自分の前脚の中に収めた。また別の子狼が登ってきて佐助の口を舐めると、同じように咥えて自分の方へ移動させる。 まさか……まだ何も分からんこんな赤ん坊に妬いとるんやないよね? 「白尾(しらお)、皆元気に育つといいね」 そう言って抱いていた残りの2匹を草の上に下ろすと、白尾は少し離れたところで寝そべり、オンと一声鳴いて子狼たちを呼んだ。 嵬仁丸の足元にいた2匹もわらわらと母親の方へ駆け寄り腹の辺りをまさぐり始め、やがて仲良く4匹並んで乳を飲み始めた。 黒もすぐ傍でそれを見守るように伏せ、時折白尾の顔や耳を優しく舐める。他の兄弟姉妹たちは、遊ぶためにじゃれ合いながら原っぱへ駆け出していった。 「みんな、仲良しじゃねえ」 幸せそうな親子の姿を眺めながら佐助は傍らの嵬仁丸にもたれ掛かる。その首回りの毛並みを撫でると、嵬仁丸が満足気な鼻息を漏らした。

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