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第48話

人は自分のおかれた境遇に不満があると何かのせいにしたくなるものだ。そうする方が楽だからな。 だが、元は自分たちの領主が始めた戦が不幸の始まりであったとしても、下々の者はそれをどうすることも出来ぬし、それ以前に不平を口にすることすらできぬ。 だから、もっと手近なところに恨みつらみや憤りをぶつけるものを探す。あの時は、たまたま父がその標的となったのであろう。 だが彼らにとって父は物の怪、山の奥に住み滅多に人の前に姿を現さず、生き物の精気を吸い取る力を持つ魔物。手を出しにくい相手だったに違いない……故に矛先は母と私に向けられた。 「人ならぬものと通じた女」 「物の怪を生んだ女」 「度々里へ来ては、その子供に人の精気を吸わせているのだ」 「このところ里の赤ん坊が良く死ぬのは、その物の怪に精気を吸われたのだ」 「戦や病で沢山人が死んだのは、あるいは山の異形のせいではなかったのか」 「山の獣が里に下りるのも、狼や熊が人を襲うのもやつの差し金やもしれん」 一部の過激な者たちが言い出したことが、風に煽られた炎の様に荒んだ人々の間に一気に広がっていった。 母は胸を痛めた。父や私の事を大切に思っていたし、愛着を持っていた里の人々の心が荒れる様も見ていて辛かったのだろう。 あるいは、里から山へ嫁いだ自分が架け橋となるべきと考えたのか。あらぬ疑いや誤解を解こうとした。その思いは純粋なものであったが、母はあまりに無邪気で世間知らずで、人の危うさをわかっていなかった。 あの日、木に登って遊んでいた私は、里へ向かおうと山を下る母を見つけ、止めようと後を追いかけた。なにやら不吉な予感がしたのだ。なんとか麓へ着く前に追い付き、里へは行かないでくれと縋った。 だが母は山の者も里の者も皆で仲良く暮らしていけるように説いてくるだけだと笑って言うばかりで、私の願いを聞き入れてはくれぬ。そうやって押し問答をしているところへ、やって来たのだ……山の鬼を退治してやると殺気立ち、手に手に鎌や鍬を持った連中が。 ただならぬ気配に私は父に助けを求める叫び声を上げ、母と逃げようとした。 しかし母はよい機会だと彼らの方へ向き直って声を掛けたのだ。だが、母がいくらも話さぬうちに一人がいきなり鎌を振り上げた。 獣の姿の父が狼たちと共に矢のような速さで駆け付けたが、すんでのところで間に合わなかった。皆の目の前で鎌が母に振り下ろされ、血しぶきがあがった。 そこから先は……口にするのも憚られるような惨状だった。怒り狂った父とその命を受けた狼たちによって、連中は残らず噛み殺された。 父は母の亡骸を抱いたまま離さず、山には一晩中、父の慟哭(どうこく)と母を弔う狼たちの遠吠えが響き渡っていた。 母の死に、父は狂気に囚われてしまった。母への執着があまりに過ぎたのだ。 哀しみと怒りと憎しみの棘でその大きな体は覆いつくされ、私も近寄れない。父も、もはや私の事は目に入らぬようだった。いや、本当は一緒に居ながら母を護れなかった私を(ゆる)せなかったのかも知れぬ。 だが里の者たちにしてみれば、仲間を何人も噛み殺されたのだ。やはり山に居るのは恐ろしい魔物だ、また誰かがやられる前に退治をせねばと考えるのは無理からぬことだったかも知れぬ。 もはや、父と里との戦になったも同然だった。 父の最期は酷烈(こくれつ)なものだった。近付けば噛み殺され、魂を抜かれると考えた人間から、毒矢を何本も射られ、「おのれ、許さぬ、愚かな人間どもめ!」と罵りながら血を吐き、悶え苦しみながら死んでいった。 そんな終わりだったから……父の魂は無に還らず、本当に鬼となってしまったのだ。

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