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第51話
「里を落ち着かせ、山の奥に足を踏み入れた人間には警告を出すよう狼たちに言いつけたことで、山が平穏になり獣たちには感謝はされたがな。
私が鬼を取り除いても、人が完全な平和を手に入れたわけではない。相変わらず愚かな過ちも繰り返す。しかし、佐助を育てる婆様を見て、闇に憑りつかれた者でもそれを振り払うことが出来る、人は善い方へも変わっていけるのだと知った。
それに、山で伸び伸び育ってゆくお前を見て、里、ひいては山を穏やかにしておいて良かったと初めて思ったのだ」
「そうじゃよ、少なくともこの山の獣たちは山の主に守られて幸せに暮らしとるように見えるよ。皆が嵬仁丸様の事を慕うとるのがよう分かるもん。それにおらだって、そんなに荒れとる時じゃったら、里のもんに石を投げられたりするだけでは済まんかったかもしれん。早々に殺されとったかも」
佐助は腕を解いて、嵬仁丸の顔を正面から捉えた。
「嵬仁丸様。おらのおっ母が行き倒れたんが他の場所でのうて、この山で良かった。さっき嵬仁丸様が生き残った意味って言うたけど、おらがこの山へ来た意味は、きっと嵬仁丸様に会うためじゃったんよ。
平和を愛する心優しい山の主様。けども……ずっと一人ぼっちやったんじゃないん?身の上に起こった悲しい出来事ももう誰も知るものはおらんし、人々を苦しめる鬼を嵬仁丸様が捕まえてくれたことも誰一人知らん。悲しんだり悩んだりしてきたんも誰も知らん。ずっとたった一人で抱えてきたんじゃろ?」
嵬仁丸が目を見開いた。
「辛かったじゃろ?虚しく感じたこともあったじゃろ?でも今は、少なくともここに一人、嵬仁丸様の想いと成してきたことをわかっとるもんがおるよ」
「佐助……」
「全部おらに話してくれて、嬉しい。そんで、おらはずっと嵬仁丸様と一緒におるよ。味方でおるよ」
両手で嵬仁丸の顔を挟むと、尖った口の先に口付けた。なぜかそうせずにはおれなかったのだ。
人の姿の時と違って、薄い唇の周りを覆う毛と髭がちくちくする。だが、嵬仁丸が甘く喉を鳴らすのを聞いて、何度も口付けた。
「怖くはないか?」
「ん……この立派な牙?怖くないよ。だって嵬仁丸様がおらを噛むわけなかろ?」
赤い舌が延びてきて、佐助の頬を舐め、唇を舐めた。嵬仁丸の舌が唇に触れると、頬とは違ってなんかちょっとどきどきする。
「おらが嵬仁丸様を好きなんは、おらに優しくしてくれたからだけでない。嵬仁丸様の人となりが好きなんじゃ。今日の話は怖いこともいっぱいあったけど、それを聞いておらは嵬仁丸様をもっと好きになった」
嵬仁丸が前脚で佐助を肩を押して倒す。その上に覆い被さるようにのし掛かり、佐助の顔や唇を何度も舐め、長い鼻先を首筋へ埋める。
「佐助……佐助……お前だけだ……」
いつも老成した落ち着きや思慮深さを見せている嵬仁丸の甘えるような声と仕草に、胸がきゅんとする。
「佐助……ずっと私の傍にいろ」
切なげな声に今までの嵬仁丸の長い孤独を感じ取る。
「うん、ずっと傍におる」
愛 おしさが溢れ、佐助は下から腕を回して大きな体を力いっぱい抱き締めた。
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